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性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
危ないから、歩きスマホなど一人の時は絶対していないのに…

8月から週末ごとに
新宿中央公園(オススメ)
代々木公園(行かなくてもよい、無駄)
そして昨日は、お台場(オススメ)
今日は、新宿中央公園。

休日はポケモン狩りにお出かけ。

前回新宿中央公園では、念願のピカチューGET!
きょうも、近くにいたのに出てこなかった…


そして昨日、お台場へ
すごい人です。新キャラも3つほど仕入れられて満足。

実は結婚記念日だったので、ついでに台場で夕飯も食べて
ご機嫌でレストラン棟から出ようとしていたとき
うまくGPSが動いていなくて
再起動しながら歩いていたら

がしゃーん  ってすごい音。

おでこと顔右、右ひざ 強打

出入り口手前の柱にぶつかりました。

目から火花でた(泣)

ほんとに何処にあたってあんな音でたんだろう

前歩いていた主人が走って戻ってきたほど(笑)

みるみるおデコに青いコブ
よく歯が折れなかったなー、口もむっちゃ腫れてるし
DV被害者が電車に乗ってますみたいな
感じでヨロヨロ帰宅しました。

頭がんがん、首も痛いし(ムチ打ち?)

夜冷やして寝たのに、全然コブ治ってないしー。
痛すぎてオデコ触れない

絶対歩きスマホは止めましょう!
ほんとに危険だから。
これで死んだら新聞沙汰になるとこだった。

それでも懲りずに
2人で今日は、モバイルバッテリーまで買いに行ってしまった(笑)
とんだ結婚記念日

とりあえず火曜日病院だな。

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青天の霹靂!

人生ではじめて、晴天の霹靂 とはこのことだ。
いまなら、この言葉の意味を正しく説明できる!

ほんとうに何でこんなことに…。

SMAPの解散
父の死
間をおかずにボディーブローが効いて倒れる寸前です。

主人の転勤。

火曜日深夜、お風呂に入ろうとして裸になったところで
帰宅した主人が風呂場に来て「大阪転勤や」

はーーぁ 
慌てて服に着替えました。。。風呂に入っている場合ではない。

そもそも転職した時(7年前?)に
部長になるときは、大阪行って、本部長で東京戻ってくるのがコースやから 
と言われていて
その頃は家も建ててなかったし
「3年ほど関西に戻るのも楽しいだろうなー」と思っていました。

去年8月、前の会社を辞めた時も
どうせなら、このタイミングで大阪転勤決まれば辞めやすいのにと思っていたけど
主人からは
大阪はほぼ無い。あるとしたらシンガポール。
っていうか、人事にひとり出せと言われているらしく
早々に人事に異動するかもしれん
という情報もあり、

わたし12月に就職したばかりやん
かなりの安月給だけど、やっと軌道にのりはじめ、これからというときに…
まだ1年も経ってないし
紹介してもらった人にもお詫びのしようもない。

それなら、派遣だけど高収入のまま、あと1年つづけていれば…
すっきり9月末退職もあったのに。
(いやあの時はあと1年続けるのは考えられなかった)


「来月からシンガポールよりええやん」というが
シンガポールなら、向こうで仕事すればキャリアが出来て
帰ってきたとき就職しやすいから、喜んでいくが
いま大阪いって、戻ってきたら50超えてるのに
再就職できひんやん!

かといって、うちのローンは、私の給料の手取りと変わらないので
私が東京残ってもローンが払えず
さすがに2世帯の維持は無理で
家を売却するか貸すしかない状態。

ただ単身赴任なら、家賃の80%会社負担
月6万円の生活費、家族の赴任先への交通費月2回という高待遇。
これなら単身赴任してもらえるが…

3年だか4年だか、結局5年以上になるのか
本社に次のポストが空くまでは帰ってこれないだろう。
子供がいるわけでもなく、安月給の会社を理由に単身赴任
ご飯とか洗濯とか
と思うと単身赴任してとも言えず…。

会社にはまだ報告していない。
昨日の会議でも、今年の4月から稼働した新しいシステムで
9月いっぱいで本社のシステム部門が完全に引き上げるため
あとは私が専任者としてやっていくことが決まり
(いや、もう出来ないかもよとは言えなかった)
これから仕事に今以上に責任も増えていくのに(給料は安いが)

とりあえず主人には
申し訳ないが年内は、東京にいる
3月までの半年間の猶予をいただき、そのあと合流すると伝えた。
一応、大阪兵庫にも職場はあるが
どこも港湾で通える範囲になく、仕事内容が完全にITから離れて
現場作業になってしまうので
現場の仕事するなら結局は退職することになるだろうな。

定年まであと15年。なんとか社員として働きたかったが無理か。

もう関東に16年も住んでしまった。
すっかり都会の絵の具に染まってしまっているのよー。

そしてこの暮らしやすい東京を離れる不安
自宅を処分する不安
5年近く東京離れて、また東京の人混みで生活していけるんだろうか

いままでもいろんな不安はあったものの
常に新天地でもうまく行っていたし
住めば都(っていうか、懐かしき生まれ故郷やないか)

人生、けっして自分の思うようには転がらないが
それでもなんとかなるさ。

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父が最後にお世話になったのは
緩和ケアの病院でした。
長年かかっていた近所の内科の先生の紹介で
結局入院することなく、最後まで家に居ましたが
今年の4月に病院に見学して決めました。

母方の伯母が手術後チューブ人間になって、1ヶ月以上意識のないまま亡くなったこと
本家の伯母が、植物状態のまま3か月ごとに病院を転院させられ大変だったことなどで

チューブ人間は絶対嫌だ。
痛みを和らげる以外の治療で、延命目的だけのために生きたくない
(これは私も同じで、チューブ人間になって1か月以上意識のないまま
苦しそうな顔で寝たきりだった伯母を思い出すといまでも辛くなる)

看護師さんも先生も定期訪問してくれて
最後の3日間ほどは1日4回訪問してくれたり
とても信頼できました。
ただ食事がとれなくなっても、栄養点滴は延命となるのでしてもらえません。
点滴は水分補給のみです。

先生からは食事がとれなくなったら、のこり1週間ですと言われた通り
ほぼ1週間でなくなりました。

食事がとれなくなったり、お水さえ取れなくなっても
自分で死ぬこともできず
生殺し状態で、本人も家族もとても辛いです。

食事がとれなくなったら、最後に家族に
「ありがとう、もう逝きますね、では さようなら」と言って
注射でもしてもらえるをありがたい、→認められていないが
自分が飲まず食わず1週間、おまけに自分では体も動かせないほど体力もなくなり
自分の意志ではどうすることも出来ず。
その状態で耐えられるかな。
死ぬのは簡単ではないんだと知りました。

父も家族も、緩和ケア病院では楽に死ねるんだと
そのあたりは勘違いしていたと思います。

体力がなくなって、体が動かなくなり、ただベッドで寝ているだけ
生殺しのままの一週間は
さぞ辛いだろうとおもうと、何が一番楽なんだろうと思う。
先生曰く「ボケてるとわからないから、最後もつらくない」らしいが
父はまったくボケが出なかったため
亡くなる3日前までオムツを嫌がっていたし
自分で起き上がってトイレに行きたがっていた。
なので、自分でトイレにいけない、ご飯が食べられない最後の3日は
本当に辛かっただろうと思う。

普通の病院に入院していたらどうだったのか?
結局、これが正解だったのかどうか
亡くなる2-3週間前には
母には、「やっぱり癌の手術しとけばよかったんかなー」と後悔していたようです。

でも父のように精神のもろい人は
85歳で手術をしたところで
そのあと、精神的にやられて寝たきりだったような気がします。
そして技術的にまったく信用できないあの病院では
結局手術後、一度も退院できず
病院に半年ほどいて、そのまま亡くなったかもと思います。

それよりも数年前、病院の不手際が重なり
京大病院の紹介状をかいてもらった時点で
京大に移って、正しい診断で手術をしてもらえたら
いまも元気でいたのでは?と思うのと
病院を今さら変わるのもイヤ、いちから検査するのもイヤ…
という両親を説得して
無理にでも連れていけばよかったと後悔しています。

手術をしなかったことで、亡くなる10日ほど前まで
ひとりで散歩に出かけることも出来ていたし

そして最後、ご飯の食べられない状態で
普通の病院だったら、どうだったのか?
それでも死ぬまでの苦しみは同じなのか?

母は、親せきや近所の人に
「苦しまずに静かに亡くなりました」と言っているけれど
最後の1週間、父は本当に苦しい苦しい辛い我慢の毎日だったと思う。

自然に枯れていく命に医療行為はいらないと思うものの
楽に死にたいと切に思いました。

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父は達筆で、筆まめな人で(伯母も叔母も書道家)
昔から、その日の天気や気温によって、お店で作る和菓子の種類や量をメモしていて、
去年は、この天気は結構売れているとか、売れなかったなど
こういう天気は、調合を変えてみようなど
仕事上のことを大判の手帳に書きつけていました。

仕事を辞めてからも
天気と気温を毎日メモし、孫から手紙がきたとか
最期は、食事の量や薬の量など
ペンが持てなくなるまで
ささいなメモを書き遺していました。

父が亡くなった後、父の手帳に
誕生日の日付けで
「これが最後の誕生日かもしれないので、自分の人生を回想しておこう」との記述がありました。
まず最初に
子供の頃のいちばん嬉しかった思い出として
学徒動員で工場に行っていたとき、赤痢になり
お父さんが、食事もせずに慌てて駆けつけてくれて
その頃はほとんど手に入らなかった小豆を使って、お菓子を作って持ってきてくれて
あまりにも美味しくていまだにその味を覚えている。
何一つ親孝行できなかったことを後悔している、と

これが父の一番の思い出?と驚きました。
父は、祖父のことは苦手で嫌いだと勝手に思っていました。

祖父は、手広くいろいろな仕事をしていて
父のために家の近くに小学校を作ったり
叔母が雨の日、遊べないのを可哀想に思って、小学校に体育館を寄付したり
政治家を書生さんのころから家に住まわせてたり
社会に貢献することにお金を惜しみなく使う人でした。
その反面、複数のお妾さんと子供が外にいたため
祖父が亡くなった後、祖母は、1軒ずつ回って
住んでいる家とお金を渡して、縁を切ってもらったという話もあり
叔母などは「立派なお父さんをお持ちですね」と人には言われるが、
決して家族にとっては立派な人ではなかったと言うし
父も「自分が何をしたところで、お父さんのおかげで と言われるのが嫌だ、自分の努力など世間の人は認めない」と言っていたし
大学へ行けと祖父に言われたものの、
ジャズが好きで音楽をやっていて(叔母曰く、ぐれていた)大学に行かなかったり
(晩年、お父さんの言うことを聞いて、大学行けばよかったと言っていたが)
なのに、父親のことをこんなふうに思っていたのか

父を迎えにきたのは祖父だったのか?
私はてっきり祖母や伯母が迎えに来てくれるものと思っていたけれど、
父は学生時代迎えに来てくれた同じ生きるか死ぬかの状況で
祖父が迎えに来てくれるのをベッドの上で待っていたんだろうか?

母に対しても
誕生日に一度もプレゼントを贈ったことはなかったが
世界各国、旅行に行けたこと、日本中あますことなく旅行へ行けたことが
とても楽しかった。 
娘3人には、何一つ残すことが出来ず、甲斐性のない父親で申し訳ないとあり
孫には、「出世してください」と一行だけ書き記されていました(笑)

商売を50年以上できて、
最初からいろんな人に助けられて、一度もお金や食事の心配をすることなく
つまずくことなく仕事が軌道にのって、しあわせな人生だった と

叔母は、父に対して
若いころから好き勝手に生きて
お金も残さず、最後まで遊びまわって(4月まで温泉旅行に行っていた)
入院もせずに家で最期を迎えられて
こんな幸せな人生おくれる人は、なかなかいない。
本人も十分満足しただろう。

父はほんとうに幸せな人だったと思う。
小売りの小さな商売でも生活できる右肩あがりの時代に、
好きに商売ができて
夜の10時まで仕事をして、朝の2時から仕事をしていたこともあったほど
繁盛するお店を切り盛り出来て、
たくさんの人から惜しまれながらお店を閉店できたことも
父の誇りだっただろう。
後継ぎがないことを寂しがっているかもしれないが
この時代、後継ぎがいたとしても、今は小売りが食べていける時代ではなく
跡は継がさなかったと思う。

出世できた娘は一人もいなかったが
ずっと自慢の種だった孫は無事に成人し
あー幸せな人生だった と思い残すことなく
天国へ旅立ったのだと思いたいと思います。

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父が亡くなりました。
あと1ヶ月で、87歳の誕生日。
来月に予定していた米寿のお祝いの会を楽しみにしていたのに。
もっともっと悲しいかと思っていたけれど
急な死ではなかったため、意外にショックはなく
自然なことと受け止めています。

亡くなる1週間前の週末
姪と2人で帰省しました。

4月に会った時からは想像できないほど変わり果てた父の姿でした。
前日までは3食食べていたらしいのですが
その日から2食しか食べられなくなっていました。
喉がつまるそうで、食事がとれなくなっていて
声もほとんど出ないため、何を言ってるのか聞き取れません。
それでも、トイレにも行っているし、食事もダイニングまで歩いてきて取っていました。
日課の散歩は、もう行けなくなっていました。
頭はしっかりしていてまったくボケていないし
痩せ細った体を「こんなんやでー」と笑って見せるほどの元気もありました。
東京へ戻るときは
「これが最後やな」と泣きながらも、ダイニングの椅子に座って見送ってくれました。


なくなる4日前、姉から「もう食事できなくなった、だめかもしれん」と連絡があり
金曜日、会社を休んで帰省しました。
意識はあって、私が「帰ってきたでー」と声をかけたら
笑ってくれました。
すでに声も全然でなくなっていて、
小さな氷を一日数回なめる程度が食事でした。
とても辛そうで悲しそうで
土曜日、とうとう水が呑み込めなくなり、氷もなめられなくなりました。
この暑さの中、喉が渇いても氷すらなめられない。
どんなに辛かったか。

1週間前、「これが最後やなぁ」と言った父に
「どんなに辛くても頑張って生きていてほしい、
おばあちゃんや伯母ちゃんが迎えに来ても絶対断ってや
もっとずっとずっと長生きしてほしいねん」と私が言ったことを
父はしっかり聞いてくれた、
比較的裕福な家に育ち、戦争中でも食べるのに困ったことがなかった父が
牛肉が大好きで、三島亭の牛肉を毎週のように食べていた父が
何も食べられず、水すら飲めない状態で
どんなに惨めで辛い思いをしているだろうと思うと
何でがんばれと言ってしまったのか、先週まだ元気なうちに死にたかったろうに。
娘のわがままを聞いて、頑張って生きている。
土曜の夜から高熱が2日続き、本当に辛そうで。
今さらながら「おばあちゃん、伯母ちゃん、はやく迎えにきて」と願っていました。

月曜の朝、訪問看護士さんから、
脈が弱くて取れなくなっているので、今日でお別れの可能性があるとの話があり
自宅で看取るときのお話と、そのあとの手順など説明を受けました。
東京の姪に電話して帰ってくるように伝え
大学に通っている甥もお昼前に戻ってきました。
叔母と本家の長男が来てくれました。
夕方、姪が帰ってきました。
父が急に胃液?のようなものを吐き、病院に電話したところ
口の中を拭いてきれいに拭ってくださいということでした。

比較的落ち着いていて、晩御飯後に
姪が父のベッドのそばでTVで見ているとき
「おじいちゃんの目が開いてる!」と気づき
家族で取り囲むと、呼吸が止まって、手足も冷たくなってきていました。
声をかけたら、また呼吸が動き出して
「なんや、びっくりしたやんか」と笑っていたら、また呼吸がとまり
その後、口が開いて何か言いたかったのかどうか
舌がうごいたあと、呼吸が完全にとまりました。

家族でみんながそろうのを待っていたかのように
父は亡くなりました。
父はいろいろと準備をしていて
葬儀も家族だけの簡素なもので、とのことだったので
お棺に入った後、町内の方が弔問にきてくれ
家を出て葬儀所に向かう時には
家の前に20人ほど集まってお見送りしてくれました。

自分の建てた家から、みんなに見送られて
家から旅立つことが出来て、幸せな最期だったと思います。

家族だけということでしたが
親戚があつまり、久しぶりにいとこが顔を合わせて
楽しい通夜・葬儀となりました。
父や母が亡くなったら、こうしていとこが集まることもなくなるんだなぁと思うと
さみしく感じました。













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【直木賞受賞作に待望の続編登場!

その部品があるから救われる命がある。
ロケットから人体へ――。佃製作所の新たな挑戦!

ロケットエンジンのバルブシステムの開発により、倒産の危機を切り抜けてから数年――。
大田区の町工場・佃製作所は、またしてもピンチに陥っていた。
量産を約束したはずの取引は試作品段階で打ち切られ、ロケットエンジンの開発では、
NASA出身の社長が率いるライバル企業とのコンペの話が持ち上がる。
そんな時、社長・佃航平の元にかつての部下から、ある医療機器の開発依頼が持ち込まれた。
「ガウディ」と呼ばれるその医療機器が完成すれば、多くの心臓病患者を救うことができるという。
しかし、実用化まで長い時間と多大なコストを要する医療機器の開発は、中小企業である佃製作所に
とってあまりにもリスクが大きい。苦悩の末に佃が出した決断は・・・・・・。
医療界に蔓延る様々な問題点や、地位や名誉に群がる者たちの妨害が立ち塞がるなか、佃製作所の新たな挑戦が始まった。

日本中に夢と希望と勇気をもたらし、直木賞も受賞した前作から5年。
遂に待望の続編登場! 】


話は、まんまドラマのままでした。
もともとの下町ロケットは、ドラマが始まる数年前に、結構面白く読んだけど
これは、ドラマの後で、
内容がほぼドラマと同じだったため新鮮味がなくて
読まなくてよかった、というか
ドラマでもそうだったけど、あまり面白みがなかった。
いや、池井戸作品にちょっと飽きてしまったのかもしれません。



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【人間ドックで偶然発見された「肝内胆管がん」。
手術と抗がん剤に疑いを持ち、最善の治療法を探し求めたセカンドオピニオン。
信頼できる医師と出会い、覚悟して臨んだ腹腔鏡手術。
手術前夜に病室で綴った、夫への遺書。
「私の娘」とまで呼んでいた、愛犬シナモンの最期。
そして、夫が書き記す、激やせ騒動と衝撃の死の真相。】

夏の北海道旅行、ちょうど図書館から借りられたため
行きの飛行機にて読みました。

川島なおみ本人の闘病記に
死後、夫である鎧塚さんが加筆されて完成されている本で

結局、何が良くて何がいけなかったのか
ガンにどう向き合えば正解なのか?
本人が満足できればそれでいいのか?
すごく考えさせられました。

川島さんは、毎年ドッグも受診されていて
すぐに手術することよりも、いろいろ勉強されて
いろんな病院に診察うけて、民間治療もされ
いいのか悪いのか
すごくお金があるがゆえにいろんな選択肢があったんだろうし
周りが見たら「はぁ?」と思うようなことも納得してされていて

本を読む限りでは
まだまだ若くて体力もあるんだから、すぐに手術していたら
どうなんだろうか?と思う気持ちが大きいし
最後まで無理して仕事を続けることで
仕事では大きな迷惑をかけていたんじゃないかと思う。

鎧塚さんの深い愛情には敬服しました。
TVだけじゃなく、本当にいい夫婦だったのだろうと
川島さんは、幸せなまま亡くなっていて、それもまたいい人生だったんだろうと思いました。



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【人生くだりのエスカレーターに乗りかかった、夢をあきらめきれないOLのもとに、
自称成功請負人のヘンな神様・ガネーシャが現れた!
しかも今回は「ブラック」仕様。カーネルサンダースくんを白髪にし、
ムンクくんを叫ばすほどにスパイシーな、ブラックガネーシャ流成功法とは?
 釈迦や貧乏神などおなじみのキャラに加え、今回はガネーシャのライバル登場!?
アカン、ワシ史上最大のピンチや…。
笑って、泣いて、タメになる、究極の自己改革エンタテインメント小説! 】

夏休みに行った北海道
トマムリゾート内のライブラリーで借りて、プールや雲海の待ち時間で読みました。
2泊しかしていないため、宿泊中、ひたすら読んでました。

1冊目(2冊目はイマイチ)もそうだったけれど
買おうかなー、買って手元に置いておきたいなーという本。

面白いし楽しいし、ちょっとジーンとくるし。

もう一度、図書館で借りてじっくり読みたい本。

うちにもガネーシャ来てくれへんかなー。


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アメリカで大人気というTVのステマに乗せられ
日本に上陸したら、ぜったいインストールしよう!
と思っていたポケモンGO
本日、解禁!

残業つづきで会社を出たのが19時40分
電車の中で会社員数人がポケモンGOの話をしていて
もう家に帰るまで、スマホ持ってる人、全員がポケモンしているようにみえる

帰りの東京駅で
「歩きスマホに注意しましょう、アプリを使用しながらの歩行は危険です」みたいな
放送が流れている
これって昨日まであったのか?気づかなかっただけなのか?
それとも今日からの注意喚起なのか?

さて、家に帰ってさっそくインストール!

アンドロイドタブレット  (゚◇゚)~ガーン 対応してない…
画面小さいけど、iPhoneにインストールで我慢する。

家の中に1匹いたので、GET

で?これどういうゲーム?
ポケモン自体を全く知らないので、ポケモンの種類もピカチューしか知らず
どのポケモンが悪者かも知らず…
おまけに画面小さいから、字がよめない

とりあえずやってるうちに楽しくなるのか?

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【絶体絶命のカウントダウン!
史上最強の天才強盗4人組に強敵あらわる!
嘘を見抜く名人、天才スリ、演説の達人、精確な体内時計を持つ女――

陽気なギャング一味の天才スリ久遠は、消えたアイドル宝島沙耶を追う火尻を、暴漢から救う。
だが彼は、事件被害者のプライバシーをもネタにするハイエナ記 者だった。
正体に気づかれたギャングたちの身辺で、当たり屋、痴漢冤罪などのトラブルが頻発。
蛇蝎のごとき強敵の不気味な連続攻撃で、人間嘘発見器成瀬ら 面々は断崖に追いつめられた!
必死に火尻の急所を探る四人組に、やがて絶体絶命のカウントダウンが!
人気シリーズ、九年ぶりの最新作! 】

久しぶりのシリーズだったので
久遠と成瀬がどっちがどっちだったか分からない…
でも、楽しめます。
こういうライトでテンポのよさ
どこまで嘘でどこが本当なのか、
最期は痛快で、面白かった!と言える作品です。

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【超大型ヘリ「BIG-B」が乗っ取られた。
無人操縦で飛行するヘリに搭乗しているのは一人の少年。
ホバリング位置は原子炉の真上。
国内すべての原発を使用不可にしなければ、エンジンは停止し落下する―
―日本国民全員を人質にしたテロが始まった。】

amazonのレビューは評価高かったものの
自分としてはイマイチだった。。。
専門的な説明が多すぎる
登場人物が多すぎる

たぶん評価されている方は、東日本大震災が起こるよりも以前
20年も前に原発の危険について書いているという
着眼点の良さを評価しているんだろうと思います。

原発の危険についての着眼点はよいと思うけれど
小説としては、面白さを感じませんでした。

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【不老不死温泉で殺人事件が起きた。重要参考人として、休暇で訪れていた警視庁刑事の酒井が連行される。
弘前署から連絡を受け、十津川警部は青森へ。
留置さ れている部下の話では、死亡した女性から誘われ、
露天風呂に一緒に入ったはいいが、翌日には急に態度が変わったという。
しかし解剖の結果、酒井が一人で露 天風呂に入っていた時刻に、
女性が死亡しており…(「死体は潮風に吹かれて」)。他、東北を舞台にした4編を収録。】

GWに行った不老ふ死温泉が舞台のため
図書館で借りました。

2016/1/23発行の新刊と思いきや
初出は、一番古いものが1987年、他は1990年~1998年の作品。
30年近く前の作品とはいえ、かなり古い、昭和の小説。
設定がどれもこれも???
自分の学生時代ってこんな時代だっけ?
車とかNシステムとかまだなかったっけ?
警察でもない一般市民が
戸籍調べたり(これはたしか出来たかも)、役所の人が個人情報ペラペラしゃべったり
ホテルのフロントが、だれがいつ宿泊してたとか答えたり
一つ一つがしっくり来なくて

不老不死温泉の第1話にしても
犯人女性(1人)が被害者が女性とはいえ、死体を簡単に持ち運びできるものなのか?

西村京太郎作品は
2時間ドラマでみるだけで、初見だったけど
こんな浅いミステリー書く人だったのか?
ちょっと肩すかしな作品でした。

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【200万部超えのベストセラー「夢をかなえるゾウ」の水野敬也と
動画サイトで300万回以上の再生数を誇ったパラパラ漫画「振り子」や
NHK朝ドラ「あまちゃん」のアニメーションの作者鉄拳がタッグを組んだ。

「夢」はずっと僕のそばにいた。
けれど、いつまでも「夢」を追うのが辛くなった僕は、ある日彼を捨てた――。
老いた主人公がひとり病室で横たわるとき、捨てたはずの「夢」が戻ってくる。
「夢」に励まされ、主人公が最期に書き上げた一通の手紙とは?
動き出しそうになめらかなモノクロの絵と、静かな余韻を残す物語。
読む人によって、それぞれが違う感動を味わえる
しっとり泣けてほんわか温かくなれる、珠玉の一冊です。】


金曜ドラマ「私結婚できないんじゃなくて、しないんです」を見て
原作があると知り
その原作が、「夢をかなえるゾウ」の水野敬也さんの作品としり
amazonでみると
意外にいろんな作品を出しているんだと知り
ドラマの原作本ではないけれど
さっそく図書館で借りてきました。

しかし、ほんの3分足らずで読み終わってしまい。。。
借りずにその場で読んで、返せばよかった…と

amazonのレビューだと結構絶賛されていて
ただこれを読むときの心情にもよると思います。

私だって100万人いればもっとも平均的な人間で
子供がいないし、仕事も中途半端で
死ぬ時に「あー自分はこの世に何も残せなかった」と思うかなーと考えるまでもなく

自分の人生、何もなかったけど
振り返ってみれば楽しくて、なかなか面白い人生だったと思う気がする。
(というか、そうなりたくて今、人生を生きてる気がする)

なので
自分のような人間には、この本は響かない というか
なぜこの人はこんな悲しい人生送ったんだもったいない!
ほとんどの人は10人並み以下の平凡な人生だけど
それでもその中に楽しみや自分に可能な目標を見出しながら
生きていかなくっちゃ、生まれてきた意味がないような気がする。
人生もったいない。
誰だってほんの小さな幸せ、たとえば今日の晩御飯、いつもより美味しかった!とか
そういう日々の生活のなかの幸せは平等にあって
その積み重ねが生きていることは結構楽しいことだにつながると思うのだけれど。

だからこの本は、ぜんぜん心に響かず。。。
本当に弱ったときに読めば
また違う感想があるかもしれません。

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やはり去年とはマイナーチェンジしています。




お気に入りのハーブティーが消えてしまいましたが
私の中では不評などら焼きだけは毎年変わりません。

そういえばどら焼きは
2年前は賞味期限が11月だったのに
今年は6月まで。安全な製品に変わったのか
純粋に製造したのが3月ほど早いのかは(謎)
どちらにしても、日持ちの長い生菓子は怖くて食べられない。

そしてまたもや
ネギ柄のセロテープが!
これ去年、そのまま捨ててしまった。。。
ことしも捨ててしまう。。
セロテープ、せめて無地なら使用できるのに。。。

これが去年の市民パック

http://momosuke.fukuwarai.net/%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E7%B4%8D%E7%A8%8E/%E7%B1%B3%E5%AD%90%E5%B8%82%E6%B0%91%E4%BD%93%E9%A8%93%E3%83%91%E3%83%83%E3%82%AF

おととしの市民パック

http://momosuke.fukuwarai.net/%E3%81%B5%E3%82%8B%E3%81%95%E3%81%A8%E7%B4%8D%E7%A8%8E/%E5%A4%A7%E5%B1%B1%E3%83%8F%E3%83%A0

今年のラインナップは
栗入りどら焼き
大山みどり茶
栃の実茶
ピーリング成分の洗顔石鹸
たまごの殻からつくった保湿クリーム
米子の水
ヨネギーズセロテープと絆創膏セット

各種米子市で使用できるサービス券

セロテープと割引券以外は例年通り使用し
どら焼きは主人が責任もって食べてくれます。

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【僕がマユに出会ったのは、代打で呼ばれた合コンの席。
やがて僕らは恋に落ちて…。
甘美で、ときにほろ苦い青春のひとときを瑞々しい筆致で描いた青春小説― と思いきや、
最後から二行目(絶対に先に読まないで!)で、
本書は全く違った物語に変貌する。
「必ず二回読みたくなる」と絶賛された傑作ミステリー。 】

姪に、読んで感想きかせて!と手渡された文庫本。

内容自体は中高生向きで
時代はバブル時代の大学生の恋愛。
なので、こういうのあるあると思いながら読めました。

「必ず二回読みたくなる」と絶賛された傑作ミステリー

とありますが、べつに2回読みたい内容ではないです。
ようするに普通の恋愛話。

ネタバレになるので書きませんが
途中から「んー?」と疑問に思うとこが出てきて
最後で、あーそういうことねって感じ。
よく書けていて趣向としては面白いとおもうけど
小説として面白いかは別。

まぁ、まったく予備知識(「必ず二回読みたくなる」)なく読んだので
ワクワク最後を楽しみに読んだわけでもなかったので
予備知識ある人よりは、楽しめたかと思います。



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start:2005年7月17日

プロフィール
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momosuke
性別:
女性
自己紹介:
家にいる時は
だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪

*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
  大沢たかお
*着うた*
  SMAP
リラックマ時計
うちの部屋
    いつものんびり
今日は…
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