性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
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父が最後にお世話になったのは
緩和ケアの病院でした。
長年かかっていた近所の内科の先生の紹介で
結局入院することなく、最後まで家に居ましたが
今年の4月に病院に見学して決めました。
母方の伯母が手術後チューブ人間になって、1ヶ月以上意識のないまま亡くなったこと
本家の伯母が、植物状態のまま3か月ごとに病院を転院させられ大変だったことなどで
チューブ人間は絶対嫌だ。
痛みを和らげる以外の治療で、延命目的だけのために生きたくない
(これは私も同じで、チューブ人間になって1か月以上意識のないまま
苦しそうな顔で寝たきりだった伯母を思い出すといまでも辛くなる)
看護師さんも先生も定期訪問してくれて
最後の3日間ほどは1日4回訪問してくれたり
とても信頼できました。
ただ食事がとれなくなっても、栄養点滴は延命となるのでしてもらえません。
点滴は水分補給のみです。
先生からは食事がとれなくなったら、のこり1週間ですと言われた通り
ほぼ1週間でなくなりました。
食事がとれなくなったり、お水さえ取れなくなっても
自分で死ぬこともできず
生殺し状態で、本人も家族もとても辛いです。
食事がとれなくなったら、最後に家族に
「ありがとう、もう逝きますね、では さようなら」と言って
注射でもしてもらえるをありがたい、→認められていないが
自分が飲まず食わず1週間、おまけに自分では体も動かせないほど体力もなくなり
自分の意志ではどうすることも出来ず。
その状態で耐えられるかな。
死ぬのは簡単ではないんだと知りました。
父も家族も、緩和ケア病院では楽に死ねるんだと
そのあたりは勘違いしていたと思います。
体力がなくなって、体が動かなくなり、ただベッドで寝ているだけ
生殺しのままの一週間は
さぞ辛いだろうとおもうと、何が一番楽なんだろうと思う。
先生曰く「ボケてるとわからないから、最後もつらくない」らしいが
父はまったくボケが出なかったため
亡くなる3日前までオムツを嫌がっていたし
自分で起き上がってトイレに行きたがっていた。
なので、自分でトイレにいけない、ご飯が食べられない最後の3日は
本当に辛かっただろうと思う。
普通の病院に入院していたらどうだったのか?
結局、これが正解だったのかどうか
亡くなる2-3週間前には
母には、「やっぱり癌の手術しとけばよかったんかなー」と後悔していたようです。
でも父のように精神のもろい人は
85歳で手術をしたところで
そのあと、精神的にやられて寝たきりだったような気がします。
そして技術的にまったく信用できないあの病院では
結局手術後、一度も退院できず
病院に半年ほどいて、そのまま亡くなったかもと思います。
それよりも数年前、病院の不手際が重なり
京大病院の紹介状をかいてもらった時点で
京大に移って、正しい診断で手術をしてもらえたら
いまも元気でいたのでは?と思うのと
病院を今さら変わるのもイヤ、いちから検査するのもイヤ…
という両親を説得して
無理にでも連れていけばよかったと後悔しています。
手術をしなかったことで、亡くなる10日ほど前まで
ひとりで散歩に出かけることも出来ていたし
そして最後、ご飯の食べられない状態で
普通の病院だったら、どうだったのか?
それでも死ぬまでの苦しみは同じなのか?
母は、親せきや近所の人に
「苦しまずに静かに亡くなりました」と言っているけれど
最後の1週間、父は本当に苦しい苦しい辛い我慢の毎日だったと思う。
自然に枯れていく命に医療行為はいらないと思うものの
楽に死にたいと切に思いました。
緩和ケアの病院でした。
長年かかっていた近所の内科の先生の紹介で
結局入院することなく、最後まで家に居ましたが
今年の4月に病院に見学して決めました。
母方の伯母が手術後チューブ人間になって、1ヶ月以上意識のないまま亡くなったこと
本家の伯母が、植物状態のまま3か月ごとに病院を転院させられ大変だったことなどで
チューブ人間は絶対嫌だ。
痛みを和らげる以外の治療で、延命目的だけのために生きたくない
(これは私も同じで、チューブ人間になって1か月以上意識のないまま
苦しそうな顔で寝たきりだった伯母を思い出すといまでも辛くなる)
看護師さんも先生も定期訪問してくれて
最後の3日間ほどは1日4回訪問してくれたり
とても信頼できました。
ただ食事がとれなくなっても、栄養点滴は延命となるのでしてもらえません。
点滴は水分補給のみです。
先生からは食事がとれなくなったら、のこり1週間ですと言われた通り
ほぼ1週間でなくなりました。
食事がとれなくなったり、お水さえ取れなくなっても
自分で死ぬこともできず
生殺し状態で、本人も家族もとても辛いです。
食事がとれなくなったら、最後に家族に
「ありがとう、もう逝きますね、では さようなら」と言って
注射でもしてもらえるをありがたい、→認められていないが
自分が飲まず食わず1週間、おまけに自分では体も動かせないほど体力もなくなり
自分の意志ではどうすることも出来ず。
その状態で耐えられるかな。
死ぬのは簡単ではないんだと知りました。
父も家族も、緩和ケア病院では楽に死ねるんだと
そのあたりは勘違いしていたと思います。
体力がなくなって、体が動かなくなり、ただベッドで寝ているだけ
生殺しのままの一週間は
さぞ辛いだろうとおもうと、何が一番楽なんだろうと思う。
先生曰く「ボケてるとわからないから、最後もつらくない」らしいが
父はまったくボケが出なかったため
亡くなる3日前までオムツを嫌がっていたし
自分で起き上がってトイレに行きたがっていた。
なので、自分でトイレにいけない、ご飯が食べられない最後の3日は
本当に辛かっただろうと思う。
普通の病院に入院していたらどうだったのか?
結局、これが正解だったのかどうか
亡くなる2-3週間前には
母には、「やっぱり癌の手術しとけばよかったんかなー」と後悔していたようです。
でも父のように精神のもろい人は
85歳で手術をしたところで
そのあと、精神的にやられて寝たきりだったような気がします。
そして技術的にまったく信用できないあの病院では
結局手術後、一度も退院できず
病院に半年ほどいて、そのまま亡くなったかもと思います。
それよりも数年前、病院の不手際が重なり
京大病院の紹介状をかいてもらった時点で
京大に移って、正しい診断で手術をしてもらえたら
いまも元気でいたのでは?と思うのと
病院を今さら変わるのもイヤ、いちから検査するのもイヤ…
という両親を説得して
無理にでも連れていけばよかったと後悔しています。
手術をしなかったことで、亡くなる10日ほど前まで
ひとりで散歩に出かけることも出来ていたし
そして最後、ご飯の食べられない状態で
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それでも死ぬまでの苦しみは同じなのか?
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「苦しまずに静かに亡くなりました」と言っているけれど
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女性
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
大沢たかお
*着うた*
SMAP
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