元号発表を家でゆっくり見て、その後、号外もらいに大阪駅まで行こうと思ってたけど
行ったときには配布終わっていた。。。
TVのニュースで見た感じだと、阿鼻叫喚でいかなくて良かった。
なので、夕刊と翌日朝刊で。。。
令和の美文字に、うっとり。
こんなふうに書道ができれば本当にうらやましい。
これを見て、書道教室習いに行きたいと思ったけれど
わたしは、本当にセンスがない。3歳くらいから小学校卒業するまで習ったのに上達せず。
大学で、書道の教員免許とるつもりが
まわりと比べてあまりの下手さに恥ずかしくなり
2年目の途中で辞めてしまい、教員免許とれなかった(初告白!)
さてさて、すでに亡くなられた安斎先生という姓名判断の先生。
いろいろ私もやってるけれど、姓名判断は安斎先生が一番好きで
その安斎先生が
明治 17画 謙虚さを持って大吉。
あらゆる困難を排して必ず突破する、困難にくじけない強さ。
大正 8画 努力して発達する、忍耐強い。
昭和 17画
平成 12画 失意破財招き、経済運なし。
これは平成の初めの頃、書かれていて、
欧米に追い付こうと努力した明治、
いけいけどんどんで戦争に突入し、戦後は経済大国になって強い日本を作った昭和。
ちょうど時代にのってということもあったけれど、
画数ってすごいなぁと思っていたので
バブル崩壊を迎えた平成がどんな感じなんだろうと思っていたけれど
平成を振り返ると、ほんとうにバブル崩壊、リーマンショック
中国や韓国にまで追いつかれ、格差とか災害、暗いワードばかりの沈滞ムード。
だから、発表の時も字画が気になり、明るい時代が来るような元号がいいなと期待をしていました。
ちなみに先生が、元号としておすすめされていたのが
11画 順調に発展し子孫繁栄
15画 福徳、円満、繁栄
18画 意志強固、発展、向上
令和 13画 大吉
何事も誠意をもってあたれば成功と幸運を得る、学術・芸術面でも才能豊か。
画数も良く、音の響きがすごくきれいです。
はじめて中国古典ではなく、日本の古典
万葉集が出典というのも素敵です。
「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ。
梅の花のように、日本人が明日への希望を咲かせる国でありますように。」
次世代の若い人たちの未来や希望を表しているようで納得の選定です。
とはいえ、
昭和の頃は全部が元号で統一されていたけれど
私も、就職した年(大学卒業年)以降、ほぼ平成を使っていなくて
平成何年に何があったとかいわれてもピンと来ず
今となっては役所の届け出以外で、それも今年が何年だかさっぱり。
最近になって平成30年を振り返るで、
あーー今年が平成31年なんだーくらいで。
実際、今後も令和を使うことはないか。。。
ずっと放置していた掃除に出かけました。
と言うのも、古い戸建で北向きの家のため
とにかく極寒、暖房なんて効きやしない。
で、ちょっと暖かくなってから掃除しようと行ってきたけど
厚着していったものの寒い寒い。
とりあえず、1階の仏間とその隣の和室。
この2間をきれいにすることが優先。
義父の部屋は2階にあったものの
荷物が多すぎて物置となり、1階の和室を自分を部屋にしてたらしいけど
そりゃすごい荷物で
ゴルフウェアって私は全シーズン分あわせても
ポロシャツは5枚くらいしか持っていないんだけど
いやいやゴルフポロシャツだけでも、100枚近くあり
下着もパンツにシャツ、靴下とそれぞれ5-60枚もっと?あった。
買ったこと、あること忘れてどんどん買ってくるんだろうけど
タンス以外の外に出ていた着衣片付けただけで
45リットルのごみ袋が50個ちかく。
和室に面した広縁(ほんとうに広くて長い縁側)
40歳を過ぎた3兄弟の小学生時代の野球のボールだのサッカーボールだの
買ったのに使っていない家電やらの不燃物
これ、2部屋の外に出てるぶんだけでも軽トラック借りて
2-3往復しないと捨てられず、
結局、部屋がゴミ袋で埋まってしまった。
13年前に亡くなった義母のものや部屋も片付いてないし
18歳で家を出た長男の部屋も物置小屋
2階の4部屋ほとんどが物置と化していて
台所ももので溢れているし
リビングも足の踏み場がなく
毎年うちが買って、義父に渡していたお節の重箱。
全部捨てずに置いてあるし(何故?)おせちの仕切りのプラケースも
なぜか洗ってそのまま収納されている。
山のようにタッパーやコーヒーやジャムの空き瓶
広い家だから、捨てなくてもいくらでも物を収納し続けられる恐ろしさ。
とりあえず1階2部屋のゴミを捨ててしまいたい。
いっきにやらないと、もう面倒くさくなって
このまま捨てずにゴミ屋敷と化してしまいそう。
私は業者に頼んでやってほしいんだけどなぁ。
1週間ほどは、とにかく疲れて疲れて
ほとんど家から出ることもなくゴロゴロ寝て過ごしていました。
その反動か
ここのところは
母とランチ、姉とランチ、
母と姉とランチ 等
まぁお気軽生活をしています。
もともと2月にランチに行こうと声をかけてくれていた友人に
「ちょっと待って、あと少し」と待ってもらっていて
やっとランチへ、
私も去年1年は母の病院通いに付き合って
ほぼ友達と疎遠だったので
本当に久しぶりのランチ。
まぁ義父の話で尽きることはなく
ランチで12時にお店に入ったのに
出たのが17時過ぎ(ゆっくり出来るところと個室を予約した)
ほんと、これが一番のストレス解消だ!
楽しかったー、ありがとう。
先行販売した3月1日が7時間待ちの行列と聞いて
何時に買いに行こうか?と前日考えていた。
が、当日、朝起きたら10時半で、
あーーもう面倒くさくなったーと思ったものの
夕方になって、まだ売り切れていないかなぁと調べても
全然情報はでてこない。
阪神電車梅田駅の電話番号もでてこなかったので
近いし行くだけ行ってみよう、明日なら売り切れてるかもしれないと
阪神梅田駅へGO。
並ばされはしたものの、30分ほどで購入できました。
御一人様2枚まで、
トラッキー柄と球団旗柄2種類あったのですが
姉と自分の分、合計2枚
どちらもトラッキー柄で
これ可愛すぎるでしょう。
そしてこれがICOCA初購入。
いまはずっと、東京メトロのオートチャージPASMOを使用中。
とりあえず関西在阪中は、タイガースICOCAを使う予定。
SUICAやICOCAに限らず
昔のJRオレンジカードや、NTTテレフォンカードみたいに
いろんな企業と提携してご当地カードができればいいのに。
特に関西は現金主義の人が多くて
ICOCA使っている人少ない。
(という私も切符は京阪もJRも金券ショップで買った切符しか使わないのだが)
事前に数か所で見積もりを取れたため
結果的に満足する葬儀が行えたことです。
最初から決めていたことは、2点
・家族でのみで行うこと(喪主の主人と妻の自分、主人の弟の3人)
義母は早くに亡くなり、母方親戚と付き合いがなくなった
義父兄弟がすでに亡くなっていた
義父母ともに熊本出身で親戚はみな熊本在住だった
・なるべく安上がりに葬儀をしたかった
義父がまったく貯金を残さず、生命保険にも入っていなかった為
葬儀や納骨は自分たちの実費が必要となり、お金を掛けたくなかった
そこで一番安くできるというのが
最近増えていると言う「直葬」という葬儀の形でした。
ただ具体的にはどういうものかイメージがわかず
WEBで調べたり、葬儀社の方に相談したり。
流れとしては
1.父死亡(午後)
2.葬儀社に連絡 → 葬儀社会館の霊安室へ
(霊安室は24時間自由に出入りできました)
3.24時間後、火葬 火葬の前に家族でお別れをします。
これだけの簡素なものです。
僧侶を会館に呼ぶには、ホール(部屋の大きさは選択)を借りて
祭壇がかならず必要になる と言われました。
→ホールと祭壇が高額になる一因
直葬だと通常供養はしないもの、というのがネックでした。
うちの場合は、
火葬後に、お寺に遺骨をもっていき
4.「骨葬」 として
葬儀、初七日法要をしていただき、戒名を付けていただきました。
事前見積もり(http://momosuke.fukuwarai.net/Entry/2108/)
最終的に選択肢としては、2つ
チェーン店での普通の葬儀
明石市営の葬儀場「あかし斎場 旅立ちの丘」で直葬
喪主である主人は、最後まで
多くの友人には見送ってもらいたいから
積み立てしているベル〇という葬儀社でやろうかと迷っていましたが。
結局、父の友人の
「親戚のおばさんの葬儀の時、彼らが団体で乗り込んできて好き放題にした」
という経験談を聞いたため
N氏紹介の葬儀場で葬式するのはやめようと決めたようです。
明石の市営葬儀場は、パックというものがなく、明朗会計です。
事前の見積もりの説明で
・霊安室が使用中で使えない場合、待機させる必要があって余分にお金がかかる
・焼き場の予約が取れない場合、霊安室日数分と
ドライアイス追加の金額が余計にかかる
ということでした。
父が亡くなり、病院からすぐに電話したところ
いま霊安室が空いてないが「17時に空くので夕方お迎えに上がります」と
霊安室が空いてほっとしました。
ただ、翌日が友引で、友引の日は火葬場が休日になるそうです。
そのため、24時間後の火葬が翌日行えず、まる一日空いてしまいました。
おまけに
予約がすでにいっぱいで、明後日朝いちばんしか空きがなく、
それを逃すと明々後日になると言われ、火葬は2日後の朝いちばんとなりました。
一日分、霊安室使用料が余分にかかったものの
友引で1日空いたことは結果的に良かったです。
主人と弟は、棺にいれる父愛用の品を準備したり
葬儀場へ打ち合わせに行ったり
私は、入院中お見舞いに来ていただいた父の友人へのお礼状を作成したり
お見舞いのお返しを買いに行ったり、お寺の連絡、喪服やお布施の準備など
やることはいくらでもあったので
丸一日体が空いたのは本当に助かりました。
火葬が2日後になったことで、
霊安室は1日分追加で支払ったこと。
ドライアイス18800円の一日分追加するということでしたが
冬だったからか、「ドライアイスの追加必要ありませんでした」ということで
結局、支払いは、ほぼ10万でした。
国から火葬代50000円戻ってくるため、5万で葬儀が出来たことになります。
実は、大阪市にも葬儀場があって母方の本家の叔母が大阪市営を使い
焼き場が併設で楽だったときいていましたが
明石市も葬儀場と焼き場が隣接していて移動時間のロスがなく、
民間と比べても葬儀のサービスは全くかわらず
施設が新しかったためか、とにかくきれいで
最後に御棺にいれた花は、係の方のおすすめだったのですが
5000円ですごいたくさんの量でした。
何と言っても霊安室が
勝手に暗くて怖いところと思っていたのに
明るい和室に御棺を置いてあって、掛け軸も花もあって
5-6人座れるように椅子もありましたし
本当に満足でした。
係の人に聞いたところでは、
昨年は3割くらいが直葬という今回の形式だそうで
ホールを借りて祭壇を置くという従来の葬式は今後どんどん減っていって
直葬が多くなるんじゃないかと思いました。
安く葬式をしたいと言っていた実父の葬儀に200万かかったため
今に思えば父の時もあらかじめ探しておけばよかったと思うし、
自分もこういう公営のところで家族だけで十分だなぁと思いました。
死んだあとにお金をかける意義がわかりません。
そして、お骨を持って
午後からお寺に行き、「骨葬」として
葬儀と初七日法要を行い、戒名もいただいてきました。
(お布施は、普通の葬儀と同じ金額です)
普通の葬儀と比べてとにかく楽で
(義母や実父の葬儀のときの分刻みの慌ただしさが無い)
金銭的にも精神的にも負担が少なく
「直葬+骨葬」を教えていただいた明石の葬儀場のスタッフの方には感謝しかありません。
結局、民間のように大きな儲けを考えないため
このような方法を提案していただけたのだと思います。
事前に葬儀のついて相談していた自分の友人や母、姉にも
「お寺さんに供養してもらう」という点だけは疎かにしてはいけないと言われていて
供養という点をクリアしながら
コンパクトに安価で出来てよかったと言われたし
人に聞かれても、良かったと勧めることができます。
よく葬儀をするのは、残された家族がお別れするための時間と聞きますが、
普通の葬儀だと、とにかく時間に追われるし
準備することが多く
時間もかかるし、家族の疲れは半端ないし、終わった後に疲労感。
今回は、ゆっくり食事をする時間も十分あり
父の写真や棺に入れるものを吟味したり
バタバタすることがまったくありませんでした。
さて、積み立てしていたベル〇という葬儀社の件です。
①かけていた保険
ベル〇ではなく保険会社に直接電話したところ
ベル〇と提携していて、葬儀の金額を保険金で相殺できるが
・葬儀の金額が保険支払金に満たなかった場合、残りのお金を
契約時指定の受取人様に振り込みます。
・今回は、ベル〇で葬儀しなかった為、全額、お振込みします
ということで、83万円の少額ながら全額保険を受け取ることが出来ました。
②積み立て2口
主人が約款を確認したところ、解約できるとのことで
ベル〇へ解約申し込みをしたところ、手数料数万円をひかれたうえ
支払い済み掛け金は戻ってくるとの説明をうけ
後日、解約書類が送付されました。
大きな会社のわりにえぐい商売だと思っていましたが
きちんと保険の支払いもしてもらえて
積立金も戻ってきたので結果オーライで
戻ってきたお金は、義父母に今後の法要や、永代供養の料金費用として
使用できることになりました。
これは本社に苦情電話をいれていい事案では?と思いました。
見積もり時の営業さんのおばさんの説明では
ベル〇で高額パックの葬儀するか
掛け金・保険金をあきらめるか
2択しかありません。
高額葬儀は自分たち家族の希望したものではないし
掛け金は流すつもりでした。
はっきり言って
ベル〇に対して言えるのは、
今後家族が葬儀するときにもお世話になるつもりは無いし
人に聞かれても絶対お勧めしませんし、
まして「積み立てをするなんて、愚の骨頂」と答えます。
残りのお金を準備できず葬儀をしなかった場合
満期まで支払っていれば解約しない人も多いんじゃないでしょうか。
坊主丸儲けとは言いますが
葬儀社こそ丸儲けです。
葬儀の形はいろいろあると思いますが
自分たち家族にとっては身の丈に合ったいい葬儀であったと思います。
葬儀の見積もりなんて
周りからどう思われるだろうか?と最初は躊躇しましたが
事前に見積もりを取っておかないと
その時になってしまうと、病院には短時間しかいられないため
本当に考える時間が全くないので
すすめられるままを受け入れるしかないし
その時に、何社も病院に呼んで見積もりとることも出来ないので
最初に来た業者と契約するしかありません。
今回は、義父が入院し
長くても1ヶ月もたず、今日明日亡くなってもおかしくない
という条件で、実際義父が1ヶ月以上生きていた ので
準備できる時間があったからこその話で
だれもに当てはまることではないとわかっています。
振り返ってみて実父が生きていたときにできただろうか?
いま85歳の実母が元気なのに出来るか?というと
やっぱり見積もりなんて、と躊躇してしまいます。
でも実母が、最期に病院に入院することになったら
やはり事前に三社見積もりは必要だとは思っています。
そして事前見積もりが当たり前になって
亡くなる本人がある程度元気なうちに
準備できる金額の範囲で自分で決めて、自分で準備しておく というのが
当たり前になっていけば
もっと葬儀の金額がいまの「言われるまま金額」でなく
適正な金額に変わっていくのではないかと思いました。
呼吸器をつけてからは手が動かせなくなり
私がスプーンで食べさせたり飲ませたりしないと
何もできなくなっていたので
看護師さんに面会時間外に来ていいか確認したところ
看護師では手が回らないので来てもらえるほうがいいということで
午前は今までも寝て過ごしているため
午後早い時間からくるのがいいと言われ、午後一から弟がくるまで病院に居ました。
亡くなる前日、
あしたは朝からきてほしいと言われ
「あさはいつも寝てるんだよね」というと
「ひとりだから寝ているだけ、明日は午前中からきて」と
これが虫の知らせだったのか
当日は休日で主人も病院に行くと言うけれど
「おやじのわがままに付き合う必要は無いから午後からでいい」というものの
11時半には明石まできていました。
いつもなら午前中から「何時に来る?」と電話がかかるのに
珍しく電話もなく
ここでお昼たべて、乗り換えて病院にいくつもりが
仕事中の弟から「父が危篤」と病院から連絡があったと電話がかかり
病院にかけつけました。
看護師さんの話では
あさもいつも通り牛乳をのんで
その後、10時半ごろナースコールで苦しい苦しいと
腹水から胆汁があふれて、喉が詰まったようです。
家族3人がそろった時にはもう意識はまったくなく
眼球もまったく動かなくて反応もありませんでした。
ただ送られてくる酸素で呼吸しているだけで、
これが脳死状態なのかなと思いました。
このままゆっくり呼吸は停まっていきますということで
3時間後に結局息子に何も伝えず、何も言わないまま
ほんとうに好き勝手自分勝手に最後まで幸せに死んでいきました。
悲しいとかより
ほっとしたのが本音です。
せいぜい1週間と引き受けた介護が1ヶ月を超え
遠い病院との往復
N氏とそのグループの訪問に気をとがらせて
父はわがまま好き放題の振る舞いをし
今週亡くならなかったら、自分が先に死んでしまうと思っていました。
主人や弟とは、結局血がつながっていないので
私がずっと願っていた「N氏との引き離し」というのに非協力的で
弟がN氏やN氏母の便利なタクシーとなっていたことも許せませんでした。
ほっとした、やっと解放されたという以外なにもありません。
最初はたった1cmのガン
その程度なら腹腔鏡でなく内視鏡で取れたかもしれないのに
いくら社会的に立派な人でも
宗教に嵌ったら最後です。
止めてくれた友人はたくさんいたのに
そしてこんな状態でも見捨てずにいてくれる友人がいたのに
一切に背を向けて
自分の病気や現状にさえ背を向けて、夢の世界にだけ希望を見ていていた義父。
葬式は3人で行い、ゴルフ仲間の幹事の方2名が最後のお見送りにきてくださいました。
本来なら、もっと立派な葬儀が出来たかもしれませんが
家族はN氏から逃げるように病院を出て、
早々に葬儀を済ませました。
事情が分かっている父の友人も皆それに理解を示してくださいました。
父は、駅から車で30分もかかる40年以上前に買った古い家だけを残し
少なくなかった老後のお金もすべて自分で使いきっていました。
葬式代と引き換えに自分の好きなことが出来て本望でしょう。
父は自分にふさわしい立派な葬儀を望んでいたかもしれませんが
家族がそれに応える必要はなかったと、私は思っています。
弟にはN氏には気をつけろと注意されていたにも関わらず
私は、N氏が来るのを病室で待っていましたが
結局父が亡くなるまでの3日間、N氏は病室に来ませんでした。
その週の頭に
N氏が、宗教施設で無農薬で作っていると言うみかんを
私が帰った後にきて、みかんを押し売りしていたことで
私が父を激怒しました。
そのみかんは、あきらかにきれいなみかんで
父に指摘したところ
「1個1個丁寧に手をかけて作っている」というので
「お父さん、作ってること見に行ってないのに
そんなのどうしてわかるの?」と言うと、
「そうかもしれん」
父も少しは怪しいと考えれられるようになったか?
毎日400円を病院に支払、パジャマやタオルの交換を頼んでいて
ティッシュBOXの消耗品もその料金に入っています。
みかん押売りの翌日、病院に行くと、高級ティッシュボックスがあり
「これなに?」と聞くと
「N氏がティッシュ少なくなってるといって、買ってもってきてくれた」
「お金払ったの?」
「払った」
「また押し売りか、これは病院にお金払ってティッシュも交換してもらえるの
こんな無駄なことしないで
N氏には、勝手に買い物しないでって前に注意したこと
お父さんもしってるよね、どういうつもり?
なんで断らないの、買い物は家族だけ」 と怒った経緯があって
そのことを注意したいのと借金がある事実だけでも伝えなければと
待ち構えていましたが
結局会うことはありませんでした。
たぶん最後に病室に来た時
もうこれは今週もたないなと思ったのでしょう
(特殊な能力なくても誰でも見たらそう思う)
あと父と毎日電話で話しながら、もう会話が聞き取れなくなって
そろそろ終わりとも思っていたでしょう。
父が亡くなる朝、ちょうど生死をさまよっているときで
N氏からかかってきた電話に父がでれなかったことで
「もう死んだ」と確認したのかもしれません。
その電話以降、電話を解約するまでの5日間
電話が鳴ることも、メールが入ることもありませんでした。
その後、病院にきたかどうかも知りません。
実は、ずいぶん前にお見舞いに来てくださった父の友人から
自分の親戚が同じ宗教にかかわってしまい
葬式に集団で乗り込んで来られて、
こちらの制止も聞かず
自分たちの思うように勝手にされたので
最後まで気を抜かずに注意しないといけないよと
忠告いただいたので
N氏から紹介された葬儀社も使用しなかったし
自宅は知っていても、N氏には車がないため
こないだろうし、もう完全に縁がきれて
正直、負のオーラから解放され
ほっとしています。
父が結局借金のことを言ったかどうかは分かりませんが
N氏母親には弟が借金のことを言ってあるため
家族が知った以上、ヤバイと思って
病院にも来なくなり、身を引いたのだと思っています。
特に、N氏もN氏母も長男の妻である私が
理論武装で攻め立てるのに応戦できず、
私に対しては本当に苦手な態度が顔に出ていたため
私に責められるのは明らかだし。
ゴルフ仲間の数人の方も、三男がN氏に付きまとわれていないかと
心配して連絡いただいた方もいましたが
本当にもういまはとりあえず安堵しました。
父が亡くなる前の日曜日
N氏が一人の男性を連れてきました。
父が「NA先生」とよぶその男NA氏
休日、家族が全員そろっていたときに来たため
私が父に激怒し、NA氏が引き下がってすぐに帰ってしまったのですが
そのNA氏について父に問いただすと
その教団のその地区の一番偉い人で
すごい能力があって
そのNA氏に
「しこりは手かざしで治る」と言われたそうです。
私は、とても大事なことなので
父に2度確認しました。
「お父さん、NA氏は、
お父さんに、(しこりは手かざしで治る)って言ったのね」と
「そう」と答えた父に
「大事なことだからもう一回確認するけど
本当にそういわれたのね?」と聞くと
「そう、しこりは治るって」
出直しますと言って去ったNA氏に
そのことを、NA氏の口からきいて、必ず録音して残そうと思っていましたが
結局、つぎに来たのは
その日の19時過ぎで会うことはできず、
きちんと確認できなかったことだけが心残りです。
いくら信仰したところで、癌は信仰でも手かざしでも
治療などできません。
せいぜい精神が安定するくらいでしょう。
実際、父の1cmで見つかった癌は、順調に進行して肥大し
入院時は20cmもの大きさになり
腹水は16kgも溜まって、
入院中も腹水の量が減ることなどありませんでした。
薬は毒、薬を飲むと死ぬとか
輸血は悪 などという考えを父に植え付け、治療すら受けさせなかった
(ガンと知っていながら治療うけることをすすめなかった)
NA氏が代表をつとめる団体は
絶対、信用できない危険な団体です。
川島なおみさんだって、麻央ちゃんだって
民間治療に走った人で完治した人などいません。
最後まで生活することを大事にしたいという選択で
民間治療に走ることには同意しますが
義父のように、癌を完治させる目的という選択には
同意できません。
奇しくも時期をまったく同じくして
義父よりひとまわり以上年齢が上の85歳の実母は
大腸がんステージ2の手術で、20cm腸を取り除きリンパも含めて1kgもとりましたが
翌日からぴんぴんして、
いまはひとりで買い物にも行っています。
昔のガン治療と比べて今の医療はほんとうに進んでいます。
6時間の大手術をおこなった85歳の母でさえ
10日後、まったく問題ないのでと退院を促され、14日目に退院しました。
主人が、あと数年すればAIが手術して
いまより手術の精度はもっと上がるだろうと言います。
ガンを切ったら寿命を縮めるなどという
父やN氏の考えはとても古い考えであると実感しました。
義父の誤った選択、そこに付け込んで父を操った集団。
彼らの自己満足に父は付き合わされただけです。
末期がんの父が、1ヶ月以上死ななかったのは
彼らに言わせると「自分たちの手柄」だと言うでしょうが
父が快適に過ごせるようにお世話頂いた
看護師さん
リハビリの先生、
前の病院を追い出されたにも関わらず、引き受けてくださった担当の先生の
おかげだと思っています。
本当に最後まで一生懸命看ていただき
感謝の言葉しかありません。
亡くなった父はそれに気づいているのかいないのか
本当に感謝すべき病院スタッフの方に
「あなたたちのおかげで1ヶ月命が延びた、ありがとう」と思っていると
思いたいです。
食べたり飲んだりはしているものの
確実に量は減っていて、顔も死相が出てきたほど変わってきた。
呼吸器がついたその日
ゴルフ友達が面会に来られ、見送った後
帰る間際コーヒー飲みたいとか、フロスしてほしいと言われ
フロスをして、うがい、歯磨きして
いつもよりすっかり遅くなってしまって
仕事帰りの弟と久しぶりに顔を合わせた。
私が、もう帰るね と病室を出ると
病室の外まで送ってくれて
「日曜日にお父さんに聞いたばかりなんだけど
借金があるって、聞いた?」と言われ
「いやいや、知らない、借金?」
「借りてるんじゃなく、貸してる、200万」
「200万!」あまりの額に大きな声で「200万!」と叫んでしまった
弟から聞いた話を整理すると
・N氏は、3人兄弟で
すでに結婚して家を出ている長女、N氏、N氏の妹といて
現在は、母とN氏の2人暮らし
・お金を貸したのは妹で
妹はずらかって現在行方不明らしい (真偽不明)
・借金のことをN氏は知らない
母親は借金のことは知っているが、金額は知らない
・N氏は、話し方が子供っぽいため私は若いのかと思っていたら
49歳お中年のおっさんである
・N氏と母は、生活保護を受給している
・借用書はある
ということだった。
母親の年金で暮らしてるのかと思ったら生活保護受給者か。
じゃあ返済可能なお金は持っていない
父を食い物にしてマルチで稼いだお金があるのに、生活保護ね。
借金の話を聞いてから弟がおばさんにいろいろ確認して
ここまでがわかったことらしい
弟は、またもや
「とにかくN氏は危険な人だから、N氏に安易にいったり詰め寄ったりしないで」と
くぎを刺されてしまった。
私もあまりのショックと、確実に近付いている父の死期を思うと絶望的になった
「とりあえずこういうことは兄さんに相談するほうがいい、
私もパニックで何も考えられない」と帰宅しました。
この日帰ったら21時廻ってしまい、さすがにクタクタ。
主人に大事な話があると言ったのに、夜中の2時に帰って来られて
借金の話をしたところ
「借りてるんじゃなくて貸してるんだったら、もういい
あんな連中とこれ以上関わり合いになるな
おやじのお金だから、好き勝手に使ったと思えばいい」と言われ
金額の大きさとショックと怒りで、結局一睡もできないまま
翌日、病院に行き
とりあえずまだ意識のあるうちに、話ができるうちに
父に詳細を確認しなければと
病室で父を問い詰めました。
「きょうはとても大事な話があるので、きちんと答えてください
私が初めて前の病院でN氏と会ったとき
お父さんがお金を貸したと言ってましたけど、それはなんです?」
「N氏の親父さんが死んだときに、葬式代を立て替えてほしいと頼まれた。
保険金が入ってすぐに返却してもらった」
「じゃあそのお金はもう返してもらってるのね」
「返してもらっている」
「では妹に貸してるってそれは本当? 妹とはどういう関係?
そういうお金貸すような関係?」
「そういう関係はまったくない」
「じゃあ弱み握られているとか、なにか脅されているとか」
「そういうこともまったくない」
「じゃあなんで200万貸してるの、妹失踪中でどうするつもり」
「ほかに何かサインとかしてない?
気づかないうちに借金背負わされたりしていない?」
父の話では
・人に金は借りていないしサインもしていないし借金はない
・おばさんにお金を頼まれて貸したりして返してもらっていて
・娘に貸してほしいと何度も頼まれて
・年金生活だから自分もお金貸すほど余裕がないと何度も断ったが
・自分は人がいいので貸してしまった
・妹が失踪中だと知らなかった
・自分もこんな状態だし、どうしろと言われてもどうしようもなく
もう借金はしょうがない
とこんな感じで開き直られてしまった。
おまけに
N氏と毎日電話連絡取ってるんだからちゃんと言ってくださいと
言ったけれど
「母親もN氏も関係ない、悪いのは妹」
「おとうさん、これ典型的な詐欺でしょう
最初貸して、返す、貸して返す、信頼したところで最後にどろんって
これ犯罪者の一家ですよ」
「おばさんもN氏もいい人で、絶対悪い人じゃない
だましたとか、そんなこと絶対ない
あの人たちいないと、自分は生きていられないのに」
「こっちはお父さんの葬式代さえなくて困ってるのに
どうするんです?お金なかったら葬式だせませんよ」
「葬式は、積み立ててある」
「N氏の紹介で入った葬儀屋、あれ使えませんよ、
すごく高い値段提示されて そんなの払うお金ないから、
積み立てたお金も流すことに決めたんです。
お父さんが積み立てたお金は全部無駄になったんです」
「そしたら、次男の貯金がある、それ使って葬式代に使ったらいい」
そこで私もぶちっと頭の線が飛んでしまい
「なにばかなこと言ってるんですか!
あれはお父さんのお金でも、私たちのお金でも、三男のお金でもない
あれは次男のお金でしょう。
次男に何かあって大きなお金が必要になった時どうするんですか
そのときのために貯金してあるお金でしょう
親が子供のお金あてにするって、どこまで自分勝手なんですか」
「それしか方法ないから仕方がない」
もう、心のなかで、はじめて
「死ね、くずオヤジ」 と大声で叫んだ。
わたし、こんなにやさぐれた人間じゃなかったのに
この1ヶ月マイナスオーラ浴びすぎて、こんなすさんだ人間になってしまった。
「とにかく200万はもう長男がいいといっているので諦めますけど
N氏に借金あることは伝えてください
毎日連絡してるんだから」
「わたし毎日来てますけれど、お父さんは私が来るよりも
N氏を信頼してN氏だけいてくれたらいいんですよね
わたし、お父さんの態度にあきれました。
今日はもう帰りますし、もうここに来ることもありませんので」
といって帰ろうとすると
「ちょっとまってちょっとまって
来てくれな、毎日食べるもんも飲むもんもどうするの
自分でもう何にもできひんのに」 って
結局自分のことか。
この日、本当にもう主人の父だしと親切心だして、
のこのここの1ヶ月病院に通っていた
自分にほとほとあきれて果て、
もうこの人のことはあきらめよう、ただただ早く死ねばいいのにと思ってしまった。
この日の帰り、もう頭痛くて脳梗塞とか顔面神経痛になりそうで
駅からいつもの整体院に予約の電話をし
帰りに飛び込みこみました。
そして翌日から亡くなる前日まで
「N氏に借金のこと電話で話してくれました?」
「してない、N氏は関係ないから」の繰り返しでした。
この借金の確認した日が、はっきり父が話せていた最後で
翌日以降、いままで全く昼寝しない父が
うとうとしている時間のほうが多くなり
話していても、半分は聞き取れなくなっていました。
自発呼吸が弱くなったとのことで
鼻呼吸器を装着されていました。
尿も先生が亡くなる目安と言っていた一日1000mlを初めて切りました。
この日から700ml、700ml、400mlと尿の量は減りました。
呼吸器つけていて、だいぶ言葉がでなくなって
今までのように続けて話つづけることもできなくなっていました。
じょじょに言葉は少なくなっていたものの
この日急に弱った感じはしました。
それでも、相変わらず私が持って行った食事も取り
甘酒やヤクルト、牛乳、コーラなど量は少ないものの摂取は出来ていました。
バレンタインデーなので一口チョコを持っていきましたが
それは手にすらできませんでした。
主人に呼吸器のことを連絡し、面会謝絶にしてもいいかと電話で確認したところ
もうさすがに自分で連絡とることはないだろうから
いいと許可がでたため
看護師さんに面会謝絶の札をかけてもらいました。
最後に連絡するところと
何度も面会に来ていただいた父のゴルフ仲間の幹事の方に
面会謝絶にしたけれど
まだ話は出来るし意識もしっかりしているので
面会してもらうことは可能ですと言うと
ゴルフ場から帰り道に病院に来てくれました。
この日はまだ会話も出来ていたのですが
亡くなる前日、お見舞いに来てくださったゴルフ仲間の方とは
ほとんど話は出来なくなっていました。
声がほとんどでなくて、話してはいるが何いってるのか聞き取れなくなっていました
本当に、今週末だなと覚悟しました。
葬儀の積立金の話をしていた父。
義母の葬儀は、義父母両方が現役だったため、いわゆる普通の葬儀でした。
義母の仕事関係者、親戚はもちろん、義父方の会社関係、親戚と
通夜・葬儀とも大勢の参列者がいて、花輪の数もすごかったし
当時で300万ほどかかっていました。
生命保険にも入ってなかった為、全部貯蓄から出したことになります。
入院中、父といろんな話をしていたとき
何の話かのときに
「そうだ、あの葬儀場あそこの御膳おいしいから楽しみにしておいて」と言われ
「お父さん、あそこの葬儀いったことあるんですか」と聞いたところ
「N氏に試食会無料であるからと誘われて、N氏の親父さんもあそこで葬儀をやって
すごくいいので積み立てしたほうがいいと言われて
それで積み立てすることになった」
ここでもN氏。。。
早速主人に「あの葬儀場、N氏にすすめられて入ったんだって」というと
「きっとそうだと思っていた、だって東〇〇〇(地名)の葬儀なんて
家の場所と関係ないし、生命保険さえ掛けない家なのに
葬儀の積み立てするわけないやろ」と
「N氏はどうせわずかな紹介料貰ったんやろうけど、
葬儀屋はチェーン店だから、積み立てあるなら使えばいいよ」ということで
でも、私はN氏が絡んでいることにそれだけで拒否反応が出ていました。
弟に「お金を1円でも多く弟に残してやりたいので、葬儀は簡単に安くしたいんだけど
どういう風に考えてる?お母さんみたいなのがいい?」と聞いたところ
「葬式にお金かけるのもったいないし、3人の参列だけなら安いほうがいい」というので
弟の平日の休みの日に、一緒に積み立てしている葬儀社で見積もりしてもらいに行った。
そこは、最近TVのCMもバンバン流していて
京都にはないけれど兵庫のあちこちにある大手の冠婚葬祭場「ベル〇」でした。
そこで話をきいたところ、びっくり仰天
ほんと絶対、葬儀屋の積み立てなんてやっちゃダメ。
・2口だと、このパック以外使用できない → 約50万
(98万くらいのが会員価格で48万くらいになる)
・パックにはついていないオプションを絶対頼まないと
葬儀が出来ない → 約50万
・現在、満期になっていないため、残りの積み立て金を全部払わないと
上記のパックは使用できない → 残金60万ほど
さらに、ここで入っている死亡保険金83万がでる保険も一緒に入っていたが
・この保険金は、あくまで葬儀費用と相殺するための保険金のため
ここで葬儀しないと支払われない。
たとえば、葬儀が10万であっても残りの73万は流れる。
あくまで葬儀プランが使用目的となり
オプション費用でも、この保険支払可能なものと可能でないものがある
そして葬儀をここで全くしない場合は
積立金の払い戻しは一切しません。
これは、ここでの葬儀する際の積み立てです
これを聞いて、私も弟も真っ青。
既に積み立てた金額や満期残りの支払い、オプション
お寺さんに払う分を合わせたら200万かかるし
貯金は40万。
200万のうちの僅かが保険でまかなえるだけ。。。。
これは
もう支払い済みの積立金を捨てて、他を探すしかないんじゃないか。。。
葬儀をするとしたら。長男、三男、私の三人の参列とすると
そんな大げさな葬儀はいらないかなぁと勝手に思っていて、
私にとっての知恵袋である高校時代の友人に電話で相談したところ
(その友人は一人っ子が4代続いているため
名家なんだけど親戚が全くいない)
昨年の母親の葬儀で一番最低ランク選んだけれど200万かかったと、
(うちの実父の時も一番最低ランク選んで200万だった)
だから、チェーン店はどこも値段は変わらないから
安くするなら個人の葬儀社使わないとだめだから
地元の役所で紹介してもらったほうがいい」とアドバイスをうけた。
町役所は病院からも車がないと行けないし。。
病院の受付で、お金をかけずに葬儀をしたいのでチェーン店以外で紹介してもらえないかと
聞いたところ
「明石市は市営の葬儀場があります、ただ明石市民以外が使用できるかはわかりません」と教えてもらえた。
まず電話で、自宅のある町役場に聞いたところ
町でも葬儀が直葬で可能だけれど、いろいろ聞くと葬儀社を頼まないといけないこともわかり、
町役場の人に、明石市の市営が使用できるのでそちらを使ってはどうかと教えてもらえた。
明石市営葬儀場に電話して見積もりを取ってもらったところ
市民以外は3割ほど料金の割り増しがあるものの
安く上げるなら15万あれば出来るということと
お寺さん呼ぶのなら、ホールを借りて祭壇がないといけないので50万かかるとのこと。
迷っていると
こんな方法もありますよと
葬儀はここで直葬という形でやって、遺骨になってから
骨葬という形で、お寺で葬儀と初七日やってもらうのが一番安上がりですよ
ただお寺によっては骨葬をやってもらえるかどうかは分かりませんが
本当にここの人は親切で助かりました。
さっそく、義母のお参りをお願いしているお寺にお話ししてみると
骨葬はやったことは無いけれど、することは可能ですと
おっしゃっていただけた。
明石のネックは、自宅から少し距離があることだったけど
私も弟も明石でいいかとおもっていた。
決めるのは喪主となる主人だけど、情報だけ集めておいて
自分でもすっきりした。
父といろいろ話をしながら
ちょこちょことN氏のことも話に混ぜながら
父にいろいろ説得を試みましたが、無理でした。
私がN氏の施術?父曰く「除霊」だそうです(笑)を見たのは
父が号泣した2日ほど後でした。
それまで私が病室にいると病室には絶対入ってこないし
N氏がいるところに私がはいると、N氏が席を外していたため
そのおかげで私はN氏の本当の正体を知らなかったわけですが
あの日を境に、私がいても
勝手に病室に入ってきて施術を始めるようになりました。
こちらとしても、父に余計なことを吹き込まれたり
お金を渡されたり、サインを強要したりといった不安を
見張ることで取り除くことが出来て、それはそれで良かったと思っています。
そしてこれを目にして、初めは笑いをこらえるのに必死だったのですが
この「除霊」と称する癌の治療が全くの茶番であることも気が付きました(笑)
N氏が来てなんかしてても、私は変わらず椅子に座ったまま
父と話を続けます。
N氏が来ているときは、ほぼゴルフの話。
父はゴルフ馬鹿でかなりうまい、そりゃ練習も必死でラウンド数もプロ並みにやってるし、
私は一度も一緒にラウンドしたことないけれど、
ゴルフの話だと尽きることがないのと
N氏が全くゴルフと無縁の人なので
2人の話に入ってこれないので。
ガンを治す などと大層なことをいう割には、
2人の話になんとか入ってこようとするし
女子プロ選手や男子プロのプライベートな話やゴルフのエピソードなど
コアな話に参加しようとして
頓珍漢のことを言ってきて、父に「ちがうちがう」と話を瀬切られたり
とにかく施術にまったく集中していない。
話に入ろうとすることに必死になっている。
時計をチラチラ見ながら、ただ手をかざしているだけで
おまけにむっちゃ距離もある。
足元にたって、体にむけて手かざしとか。
それで手からマイナス電流だかプラス電流だかが反応してって
「おいおい、いくらなんでも遠すぎるやろ」って(笑)
そんなに離れてて電流とんでたら怖すぎるし(笑)
全く集中もせず、電波飛ばせるってすごすぎるよ(笑)
どうせならもっと真面目に集中してやってくれないと
信じてるお父さんがいくらなんでも可哀想すぎる。
っていうか、ほんとに信じてるとしたら
お父さん、やっぱり認知症になってしまったんだろうか。
そもそも、こんな不真面目なのに騙される人いるんだろうか?
って、目の前にいた!
あるとき、父の熊本の子供の時に家にあった果物の話をしているときなんか
「えーきいたことない、そうだしらべてよ」とか言いながら
片手は手かざし、片手はスマホで検索して
「あーーこれのことか、いまはすぐ調べられるから便利や」って
ちょっと、布教活動中なのに雑すぎる。まじ真面目にやれよ!
父には毎日、むくんだ足のマッサージをしにきてくれる
リハビリの先生がいます。
若くてかわいい先生で、いつも楽しい会話をしながら
リハビリが終わるとむくんだ足が少し軽くなって
体調も良くなるそう、父も先生がくるのを楽しみに待っています。
先生が帰られてすぐあとにN氏が来て
施術はじめて、
「あーー〇〇さん(父)、ほら足のむくみちょっととれてますねぇ」と言うので
あっけにとられたものの
「いまリハビリの先生がきて、マッサージしてくださったんですよ
気持ちよかったよね、お父さん」とぴしゃりと言うと
「そうですか、リハビリの先生来られて良かったですね」と
とにかく、おかしなことばかりで
信じられる要素が全くない。
私ならもっと信じてもらえるようにうまく出来るのに
この商売立ち上げたらぼろ儲けできるし
なんならコンサルとして教えてあげてもいいくらい(笑)
私もありとあらゆるマッサージ系が好きで
占いも好きで、まぁいろいろ行ってるし自分でも簡単に星をみたらわかる程度なんだけど、
だから
人間にはエネルギーや、不思議な力ってもんがあるっていうのは信じていて
赤ちゃんのお腹をさすると赤ちゃんが安心するとか
痛いところを手で撫でるだけで痛みが軽減するとか
いわゆる昔から言われていることは信じているけれど
それはあくまで精神的に安定すると思っていて
そういう手のひらの力は誰もが持っていると思っている。
父が言うには
N氏母はすごい力を持っていて、N氏も治療が出来る程度の力を持っていて
自分はずっとやったけど才能無くて
そういう力がない (笑)
父にも、肩がこるならN氏にみてもらえばいいよ と言われたことがあって
それで肩こり治るなら、
いまごろ行列のできる電波師でてんてこ舞いになってるよ、
力があるのと癌が治るのは全くの間違いで
ガンは手をかざしたって治りません。
そんなん出来たら、いまごろ京大病院もっと予約とりやすくなってるし
あんなに次から次へと新棟建設工事やらないでしょう。
私がいままで経験した気功の話をしたり、
気功のすごい先生が小岩にいて
お父さんこんなん好きなら 小岩の先生紹介してあげたのにって言ったら
父も食いついてきた。
でも気功をやる他の先生に聞いた話で納得した話があり
気功の良くないところは
気功をする人の体の弱いところや病気の部分も飛ばしてしまうことがあること
だから気功も必ずしもいいことではないということ。
その話を父にして
N氏のようにネガティブで負のオーラ被っている、不健康そうな人に
気をいれてもらったら、
「お父さん本当にそれはとても危険なことなんだよ」 と言ったときは
びびっていたが
父がいうのは
「とにかく信じることが大事で、まず信じないと効かない
効き目は、すぐに目に見えるわけでなく徐々に徐々に病気は治っている」
って
なるほど、うまいこと言って騙しているんだなぁと
実母が手術前に癌の神様「石切さん」にお参りに行きたいと言うので
主人が車で母を連れて行ってくれました。
その前夜、亡くなった義母が出てきたので
その話も父にしていたんだけど
私には特殊な能力あるから
人の手を触ったり、顔見たりしたら
考えてること、性格とかすぐほとんどわかるから
お父さんが考えていることも全部わかるからね、と脅しをかけていました。
実際は、教育系の大学行ってたから
いろんな子供と接してたので、顔を見るだけで
人の性格がすぐわかるようになったので
この子はいじめっ子とか、いじめられっ子とかも話すとすぐわかるし
仕事でたくさんの人をマネージングしていたので
経験上、ちょっと話したり顔見るだけで
その人が真面目な人か、真面目そうでもサボってばっかりで仕事してないなぁとか
性格とか家族構成とかも少しでも話すとほぼわかる。
それは不思議な力でもなんでもなく
自分の社会経験から培われたもので、だれもが磨けば光る能力の一つ。
父には、スピチュアル系の言い方をしていたけれど(笑)
だから、N氏のことも全部わかるのよ と一日一回はいっていました。
N氏は私の目は絶対みない、
私に見透かされてること、
私がN氏を軽蔑していること、
悪い言い方をすればN氏をバカにしていることもわかっている。
結構両親に抑圧されて育っていて
裕福な家で生まれ育っていない。たぶん生活に困っていた時期もある。
父と私の会話にはいってくるN氏の発言を拾うと、
努力している人、頭のいい人に対して
ものすごく僻み根性の強い。
父に、ほんとうに部長として部下の人事評価してたの?と言ったこともある。
「お父さんは仕事中にスマホいじってたり、べらべらバカ話ばっかりして
手の動いてない人でも、あの人いい人だからインセンティブつける とか
やってた訳?
N氏は、真面目に施術なんかやっていないよ
お父さん気づいてても知らぬふりしているでしょう、
あんな不真面目でいい加減な人いないから
わたしなら辞めてもらうな」と言ったり
まぁ何をいっても
「でもちょっとずつ病気は治っている」って言うというか
頑固で頭がこりかたまっていて
人の意見を行けない、自分の間違いをけっして認めないという
父の性格がここまで意固地にさせてしまったんだと思う。
結局2週間以上は通った。
最初に、どうせ2-3日だし、今週末まで と思ったものの
父の食欲やわがままは衰えることがなく
自分のストレスは半端なくN氏のことで言い合いをすることも
たびたびでした。
毎日15時前に到着し、遅いときは仕事帰りに弟が来る19時ごろまで
早いときでも16時半ごろまで
1時間半以上かかるけれど、JR西も山陽電鉄も
往復座っていられるので、その間にひたすら借りてきた本を読んだり
都内の通勤とくらべると天国と思いながらの日々でした。
それよりも、往復の切符を正規で買うと3000円。
金券ショップで乗車券を買い
毎日往復2000円が痛かった。JRの昼得が廃止になったのが本当辛い。
ある日、父から呑気に
「定期買えばいいのに」と言われ
心の中で「まだ生きるつもりかい!」と叫んだこともありました(笑)
結局、転院してからも1ヶ月以上生きたけれど
きょう、あす、今週末とその繰り返しで
回数券を買うことすらためらわれました。
滞在時間が長いけれど
最後の2日を除いて、話すことは問題なく、さいごの週が言葉がでなくなったことを除いて
ずっと多弁で、こちらが話しかけると何時間でも自分のことを話し続ける人でした。
先生のお話の時に
転院時は2-3日かと思ったけれど、心臓がとても強くてとおっしゃったので
「父は前回の東京オリンピックで聖火の伴走して走ったんですよ」というと
弟がそんな話知らないと言っていて
義母は急死で、きっと子供に言いたかったこともあったろうに
なにも伝えずに死んでしまって
お父さんは時間があるんだから
いままでの人生を降りかえってとか、それぞれ息子に言いたいことは書いたらどうでしょうと提案し、ノートも買って持っていきましたが
「そんな恥ずかしいことできん」と結局ノートは白紙のままでした。
それでも私とはいろいろ話しました。
義母との出会いや結婚まで
新婚生活のこと
熊本での小学生時代のこと、祖父のこと
大学時代のこと
アメリカ駐在時代のこと
ゴルフの理論について
イーグル、ホールインワンを出したときのこと
父自身がいろんなことを思い出しながら懐かしげに話してくれました。
いろいろ話してわかったのは
結局、結婚生活も今も、自分自分のわがままな人で
人のことに全く興味はなく、常に自分中心、
病気のことも宗教のことも
「Nさんも自転車で来るのは気の毒でしょう、あまり無理言わないように」と言ったときに
「どうせたいした仕事もしてないんやからええんや、暇やから来てるんやろう」と答えが返ってきたときには
この人は、ほんとうに自分の都合のいいように宗教を信じてて
自分が生き続けるためだけにN氏を利用しようとしてるだけなんだな と感じました。
主人に聞いても「自分のことしか考えていないから、亡くなった母は本当に苦労した」と
3年前に癌でなくなった実父は
85歳で手術はしないと決めてから、葬式以外は全部自分できれいに整理して
最後も迷惑だけはかけたくないと一切の治療も受けず
最後まで日常生活を大事に過ごしていました。
自宅での緩和ケアを受けていましたが
わがままなんて一度も言わず
最期食事がとれなくなった時に
もうこれでいい、はやく死にたいといって
静かになくなっていきました。
手術をしないと決めたのは自分のくせに
最後までそのことに背を向けて
現実逃避しつづけ、散々わがまま三昧に好き勝手にすごす義父をみていると
自分の父の立派さや、家族への愛情ややさしさに
改めて父に尊敬の念がわきました。
私も自分の父のように
最後はいさぎよくきれいに、迷惑かけずにこの世から消えなければと
そう思えば思うほど
義父の醜さがたまらなく我慢できなく思いました。
「とにかく判子やサインして大金の借金背負わされたら最後だから
自分はひとりで大丈夫だから、病院に行って」と言われ
もろもろ相談していた友人にも母と全く同じことを言われ
「借金のサインでもさせられたら大変だから、絶対見張ってないとだめだよ」と言われ
N氏が来るときは、必ずiPhoneで音声を取っておくこと
何かあった時に、何か証拠を残しておかないといけないと言われ
音声録音のアイコンを、トップ画面に置いて
その機会をうかがっていました。
母が心配するといけないので
母には言いませんでしたが、
姉と友人には、弟から「N氏が危険な人で注意するように」言われた話をしたところ
とにかく、現状を病院に話して対応してもらうしかないと言われました。
そこで、翌日、看護師長さんに面会し
昨日のN氏母にお金を取られていたことから、
父が取り乱したこと、そこまで洗脳されていることに気が付いてなかったこと
父が薬に殺される、手かざしで病気が治ると思い込んでいること など
話をしました。
ただこの病院に転院して
母が入院していた京大病院とに違いは分かっていました。
いつも少ないスタッフで、
土日となるといついってもナースステーションに人がいることもなく
平日でもとにかく看護師さんが少なく、
コールしても10分以上放置されるのも日常茶飯事。
ほんとうによくしていただいて頭は上がらないのですが
とにかく馬車馬のように働かれていて気の毒なほどの状態は
毎日みていてわかっていました。
やはりお話をしても
病院側で対応できることは無いと言うことでした。
だれが宗教の人で、だれがお見舞いの友人でもわからないし
カーテンを閉められているので
人がきているかもわからないし
長時間いるから注意と言っても、いつから誰がどれくらいいるかも
把握できないとのことでした。
提案としては、
面会謝絶にすること。
それでも勝手に入ってくる人はいるけれど
家族以外なら注意できる という1点でした。
それを弟にも主人にも相談しましたが
父の状態をみていない主人は
「どうせあと数日なんやから好きにさせればいい、
もう病院にもいかなければいい
借金させられたら、相続放棄して家も手放せばいいだけ」というし
弟は
「お願いだから最後までお父さんの好きにやらせてあげて
それだけが楽しみなんやから」と言われ
肝心の父も、意識はまだまだしっかりしていて
常に手のひらに携帯電話を握ったままで
N氏と毎日のように連絡をとりあっているため
面会謝絶は無理かなぁとあきらめてはいました。
それでも、こんなに私が毎日父の面倒を見ていても
主人からも弟からも拒絶され
病院では、家族の扱いは長男と三男だけで
長男の妻は家族扱いされないため、
長男か三男の依頼がなければ面会謝絶にもできないと
とてもあと数日で亡くなりそうにもなく
自分はもういっぱいいっぱいになって八方ふさがりとは
まさにこれで
家族を守ろうとしているのに、だれからも信任を得られず
本当に辛い毎日でした。
それでも病院のスタッフの方の中には
毎日、父に食事を持ってくる私に
「本当に必要な大事な人は家族だったと最後はわかって逝かれますよ」と
声をかけてくれる人もいました。
私がプリンを持ってお見舞いに行くと
プリンも食べたし、食事にも手を付けていた。
ただその後、むっちゃ吐いてしまったんだけど。。
看護師さんに、食事を軟食か刻み食に変更してほしいとお願いたところ
「先生と栄養士さんとでご本人に確認しますね」とのことで
「いやいやそれだと、本人絶対いやって言うんです」といったものの
結局、本人が嫌がって普通食のまま
普通食はもうたべられないのにー。
先生に相談したところ「軟食にしてもどうせもう食べられませんから
それより本人が目で見て楽しめるように、普通食でいいですよ」ということでした。
でも、それでは食べるもの本当にないからなーと
翌日から亡くなるその日まで
リンゴをすったもの
湯むきしたトマトを裏ごししたもの
みかんの実をつぶしたもの
を持っていって食べさしました。
甘酒に、ヤクルト 牛乳、黒酢
リンゴも初めのころは、2分の1でしたが
だんだん呑み込めなくなり、さいごの2日は6分の1をすったものでした。
チョコが食べたいと言ったら
細かく刻んで噛まずに食べられるようにしてもっていったり
長イモの酢の物が食べたいと言われたら、すったナガイモの酢の物と
食べたいと言うものをすりおろして毎日運んでいました。
父の食欲というかわがままには困ったもので
熱いコーヒーが飲みたいと、一口飲んだと思ったら
コーラ飲みたいと言い
そのたびに買うものの、どれもせいぜい多くて3口くらいなので
父の分だけ置いて
私も紙コップを持っていき、自分の分をとって飲んでいました。
カフェオレが飲みたいと言ったのに、苦いと飲まなかったり
コーラや甘いカフェオレが苦手な自分にはなかなかの苦行でした。
弟にはもっとひどくて
毎日仕事帰りスーパーで大量の食品を交わされていました。
もう食べることも出来ないのに
あれかってこい、これ買ってこいと、
いったいお金がいくらあると思ってるんだろうと
あきれて、何度か注意しました。
弟も最後のわがままだからと聞いていましたが
あまりにひどいので、主人に話して
主人から弟にも父にも注意してもらいました。
わたしも主人から「どうせ食べない飲まないから、いちいち全部買う必要は無い」
わがままにつきあうな!とよく注意されましたが
「言っても今週末まで」、と
みんながそれぞれ父のわがままを聞いてしまいました。
よく食べられなくなったら1週間で、と言いますが
食が細くなっても食べないことは無かったので
いったいいつまで生きるんだろうかと実際不安になりました。
亡くなる前日は、
リンゴ、トマト、ヤクルト、甘酒、コーラ、アイスクリーム、オレンジ
どれも2口ずつだったけど 最後までわかまま放題
食べたいんじゃなく、生きるために必要な栄養素を取るのを
義務と思っていて、
亡くなる朝も、直前まで牛乳を飲んでいたようですから
ほんとうに幸せな人です。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
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*着うた*
SMAP

