性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
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父が亡くなったのは突然でした。
呼吸器をつけてからは手が動かせなくなり
私がスプーンで食べさせたり飲ませたりしないと
何もできなくなっていたので
看護師さんに面会時間外に来ていいか確認したところ
看護師では手が回らないので来てもらえるほうがいいということで
午前は今までも寝て過ごしているため
午後早い時間からくるのがいいと言われ、午後一から弟がくるまで病院に居ました。
亡くなる前日、
あしたは朝からきてほしいと言われ
「あさはいつも寝てるんだよね」というと
「ひとりだから寝ているだけ、明日は午前中からきて」と
これが虫の知らせだったのか
当日は休日で主人も病院に行くと言うけれど
「おやじのわがままに付き合う必要は無いから午後からでいい」というものの
11時半には明石まできていました。
いつもなら午前中から「何時に来る?」と電話がかかるのに
珍しく電話もなく
ここでお昼たべて、乗り換えて病院にいくつもりが
仕事中の弟から「父が危篤」と病院から連絡があったと電話がかかり
病院にかけつけました。
看護師さんの話では
あさもいつも通り牛乳をのんで
その後、10時半ごろナースコールで苦しい苦しいと
腹水から胆汁があふれて、喉が詰まったようです。
家族3人がそろった時にはもう意識はまったくなく
眼球もまったく動かなくて反応もありませんでした。
ただ送られてくる酸素で呼吸しているだけで、
これが脳死状態なのかなと思いました。
このままゆっくり呼吸は停まっていきますということで
3時間後に結局息子に何も伝えず、何も言わないまま
ほんとうに好き勝手自分勝手に最後まで幸せに死んでいきました。
悲しいとかより
ほっとしたのが本音です。
せいぜい1週間と引き受けた介護が1ヶ月を超え
遠い病院との往復
N氏とそのグループの訪問に気をとがらせて
父はわがまま好き放題の振る舞いをし
今週亡くならなかったら、自分が先に死んでしまうと思っていました。
主人や弟とは、結局血がつながっていないので
私がずっと願っていた「N氏との引き離し」というのに非協力的で
弟がN氏やN氏母の便利なタクシーとなっていたことも許せませんでした。
ほっとした、やっと解放されたという以外なにもありません。
最初はたった1cmのガン
その程度なら腹腔鏡でなく内視鏡で取れたかもしれないのに
いくら社会的に立派な人でも
宗教に嵌ったら最後です。
止めてくれた友人はたくさんいたのに
そしてこんな状態でも見捨てずにいてくれる友人がいたのに
一切に背を向けて
自分の病気や現状にさえ背を向けて、夢の世界にだけ希望を見ていていた義父。
葬式は3人で行い、ゴルフ仲間の幹事の方2名が最後のお見送りにきてくださいました。
本来なら、もっと立派な葬儀が出来たかもしれませんが
家族はN氏から逃げるように病院を出て、
早々に葬儀を済ませました。
事情が分かっている父の友人も皆それに理解を示してくださいました。
父は、駅から車で30分もかかる40年以上前に買った古い家だけを残し
少なくなかった老後のお金もすべて自分で使いきっていました。
葬式代と引き換えに自分の好きなことが出来て本望でしょう。
父は自分にふさわしい立派な葬儀を望んでいたかもしれませんが
家族がそれに応える必要はなかったと、私は思っています。
呼吸器をつけてからは手が動かせなくなり
私がスプーンで食べさせたり飲ませたりしないと
何もできなくなっていたので
看護師さんに面会時間外に来ていいか確認したところ
看護師では手が回らないので来てもらえるほうがいいということで
午前は今までも寝て過ごしているため
午後早い時間からくるのがいいと言われ、午後一から弟がくるまで病院に居ました。
亡くなる前日、
あしたは朝からきてほしいと言われ
「あさはいつも寝てるんだよね」というと
「ひとりだから寝ているだけ、明日は午前中からきて」と
これが虫の知らせだったのか
当日は休日で主人も病院に行くと言うけれど
「おやじのわがままに付き合う必要は無いから午後からでいい」というものの
11時半には明石まできていました。
いつもなら午前中から「何時に来る?」と電話がかかるのに
珍しく電話もなく
ここでお昼たべて、乗り換えて病院にいくつもりが
仕事中の弟から「父が危篤」と病院から連絡があったと電話がかかり
病院にかけつけました。
看護師さんの話では
あさもいつも通り牛乳をのんで
その後、10時半ごろナースコールで苦しい苦しいと
腹水から胆汁があふれて、喉が詰まったようです。
家族3人がそろった時にはもう意識はまったくなく
眼球もまったく動かなくて反応もありませんでした。
ただ送られてくる酸素で呼吸しているだけで、
これが脳死状態なのかなと思いました。
このままゆっくり呼吸は停まっていきますということで
3時間後に結局息子に何も伝えず、何も言わないまま
ほんとうに好き勝手自分勝手に最後まで幸せに死んでいきました。
悲しいとかより
ほっとしたのが本音です。
せいぜい1週間と引き受けた介護が1ヶ月を超え
遠い病院との往復
N氏とそのグループの訪問に気をとがらせて
父はわがまま好き放題の振る舞いをし
今週亡くならなかったら、自分が先に死んでしまうと思っていました。
主人や弟とは、結局血がつながっていないので
私がずっと願っていた「N氏との引き離し」というのに非協力的で
弟がN氏やN氏母の便利なタクシーとなっていたことも許せませんでした。
ほっとした、やっと解放されたという以外なにもありません。
最初はたった1cmのガン
その程度なら腹腔鏡でなく内視鏡で取れたかもしれないのに
いくら社会的に立派な人でも
宗教に嵌ったら最後です。
止めてくれた友人はたくさんいたのに
そしてこんな状態でも見捨てずにいてくれる友人がいたのに
一切に背を向けて
自分の病気や現状にさえ背を向けて、夢の世界にだけ希望を見ていていた義父。
葬式は3人で行い、ゴルフ仲間の幹事の方2名が最後のお見送りにきてくださいました。
本来なら、もっと立派な葬儀が出来たかもしれませんが
家族はN氏から逃げるように病院を出て、
早々に葬儀を済ませました。
事情が分かっている父の友人も皆それに理解を示してくださいました。
父は、駅から車で30分もかかる40年以上前に買った古い家だけを残し
少なくなかった老後のお金もすべて自分で使いきっていました。
葬式代と引き換えに自分の好きなことが出来て本望でしょう。
父は自分にふさわしい立派な葬儀を望んでいたかもしれませんが
家族がそれに応える必要はなかったと、私は思っています。
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start:2005年7月17日
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HN:
momosuke
性別:
女性
自己紹介:
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
大沢たかお
*着うた*
SMAP
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