性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
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帰省。
関西に戻り、主人の実家に日帰りで帰ったのは結局1回だけ。
お正月2日の日に年始のあいさつに伺う予定だったのに
また泊まりか!
それも急に決まったため
義父が31日に病院から戻ってくる。
病院では昼ご飯をたべて夕方迎えに来てくださいと言われていたが
父から朝に家に帰りたいと連絡があったたため
主人が早朝実家へ帰りました。
私は、母の手術があったため家の掃除も洗濯もしてなくて
早朝から洗濯3回して、マットも全部洗い
ベランダ掃除、お風呂、洗面所を掃除して
床の水拭きだけして(窓はもう無理)
神棚も準備だけして
おせちのお重が13時前にとどき、それを冷蔵庫になんとか押し込んで
主人が打ってくれたソバをお昼に食べ
なんとかお正月を迎える準備完了させて
主人の実家へ移動しました。
もう、すでに疲れている。。。
家に帰ってきた父は、元気とはいえ
お腹大きくて動けないし、ソファーに座ったきり。
義母が生きていた頃、雑多だった実家も
義父は結構マメで、いつもきれいにしていて、新しい家電を次々買ったりして
生活空間としては暮らしやすくなっていたはずなのに
家は埃だらけで、あちこちに大量の服が脱ぎっぱなし
仏間も、いつも泊っていたいた客間も足の踏み場がなく、
毎年、7月末の母の命日に合わせて送っている花も
枯れた状態で、仏壇前にお供えしたまま。
7月末にお参り時に父とご飯に行った際は元気で
家もきれいに片付いていたのに
そのあとすぐ体調が悪くなって整理も出来なくなっていたのか。
これ、在宅看護とか無理だな。
とりあえず、仏間だけ片付けて掃除機かけて布団敷く準備はしたが
数回かけて家全部掃除しないとダメだ。
いつも父が鍋の用意やあれこれしてくれてたのに
そういう訳に行かないので
人の家の台所、ただでさえ使いにくいのに
とにかく汚い、ここで料理をするのか。。。
田舎なので、台所も広いだけあって極寒だし。
準備から片付けとか次々用事があって
結局、ガキ使も紅白もほとんど見られなかったし
見たいと思ってた『映像の世紀』も全く見られなかった。
そして、小学生以来だよ、大みそかなのに11時半には寝てしまった。
あーージャニースのカウコン予約しとけばよかった。。
カウントダウンCDも見たかった。。。
1日もお雑煮作るのに6時前から起きだし
おせちをいただいて、11時には早々にお暇しました。
(父が2日まで病院に帰らないと言うので主人は残った)
大阪に戻り、一旦自宅に戻ってお昼を食べて
あーーもう疲れて無理。
兵庫→大阪→ こんどは京都へ
母の病院へいくと、お昼に野菜や魚のお重がでて、全部食べることが出来たと
喜んでいました。
ご飯は3分がゆでしたが、おかずは柔らかく煮てあって
この状態でお重が出ると思ってなかったので
とてもうれしかったようです。
点滴もはずれて、明日には尿のチューブも外れるということで
とりあえず、大きな山は越えてほっとしました。
義父のほうは、新興宗教に嵌ったりして
その関係者が病院に出入りしてるのが気になって
母にも、こっちはいいから、向こうの病院に行って
お金持ち出されたりややこしい人が近づかないように
なるべくお父さんが目の届くところにいるようにと言われたが
京都の街中に簡単に行けるのと違って
大阪からでも2時間近くかかる。
なにしろ病院が駅から1時間に1回のバスで20分ほどかかるので
駅前でカーシェア借りていくのがいいのか。
JRの昼得も廃止されたせいで交通費だけで往復3000円かかる。
向こうの家は汚いし泊るのは嫌だし
困った困った。
義父には、在宅看護は無理だから病院に戻ってと主人が話してくれて
自分の父親を自宅で看取ったため
義父の気持ちはわかるので、なるべく在宅の方向でと私は考えていたけれど
家までのアクセスが病院よりさらに悪いし
この辺りは灯油を売りに来ないそうで
1日1回はガソスタまで車で灯油を買いにいって、補充しないといけないが
そんなん私には絶対無理なので
父には病院に戻るで納得してもらうしかない。
もう何もかも私には無理なことばかりで
わたしは、サラリーマンとして朝から夜遅くまで働いて
ご飯や洗濯するくらいの、世間のお父さんのようなことしかできず
介護や車で買い物行ってご飯作って、人の送り迎えしてという主婦にはなれないんです!
ほんとうに絶対無理だ、もう無理だ。
母の病院で2時間ほど話して、
毎年1月1日は、家族全員集まっての新年会に行くため
母を残して姉と病院を出た。
ことしは、母も主人も来れないため
5人という寂しい新年会。
やっぱり健康で家族がそろって食事をできるなんて
一番なによりも幸せなことだと思う。
来年は母も主人も参加できるだろう。
やっぱり元旦に家族で食事するのって
楽しいし、にぎやかだし疲れも吹き飛ぶ。
亡くなった父が、亡くなったその年の元旦のこの場で
「来年は自分は参加できないけど、自分がいなくても
毎年、元旦に皆で集まって、来年からは割り勘にして続けてください」と。
2日は母にも「病院にはいかない
ゆっくりひとりなので、一日TVみて寝てるから」と言ったので
きょうは、のんびりお正月です。
関西に戻り、主人の実家に日帰りで帰ったのは結局1回だけ。
お正月2日の日に年始のあいさつに伺う予定だったのに
また泊まりか!
それも急に決まったため
義父が31日に病院から戻ってくる。
病院では昼ご飯をたべて夕方迎えに来てくださいと言われていたが
父から朝に家に帰りたいと連絡があったたため
主人が早朝実家へ帰りました。
私は、母の手術があったため家の掃除も洗濯もしてなくて
早朝から洗濯3回して、マットも全部洗い
ベランダ掃除、お風呂、洗面所を掃除して
床の水拭きだけして(窓はもう無理)
神棚も準備だけして
おせちのお重が13時前にとどき、それを冷蔵庫になんとか押し込んで
主人が打ってくれたソバをお昼に食べ
なんとかお正月を迎える準備完了させて
主人の実家へ移動しました。
もう、すでに疲れている。。。
家に帰ってきた父は、元気とはいえ
お腹大きくて動けないし、ソファーに座ったきり。
義母が生きていた頃、雑多だった実家も
義父は結構マメで、いつもきれいにしていて、新しい家電を次々買ったりして
生活空間としては暮らしやすくなっていたはずなのに
家は埃だらけで、あちこちに大量の服が脱ぎっぱなし
仏間も、いつも泊っていたいた客間も足の踏み場がなく、
毎年、7月末の母の命日に合わせて送っている花も
枯れた状態で、仏壇前にお供えしたまま。
7月末にお参り時に父とご飯に行った際は元気で
家もきれいに片付いていたのに
そのあとすぐ体調が悪くなって整理も出来なくなっていたのか。
これ、在宅看護とか無理だな。
とりあえず、仏間だけ片付けて掃除機かけて布団敷く準備はしたが
数回かけて家全部掃除しないとダメだ。
いつも父が鍋の用意やあれこれしてくれてたのに
そういう訳に行かないので
人の家の台所、ただでさえ使いにくいのに
とにかく汚い、ここで料理をするのか。。。
田舎なので、台所も広いだけあって極寒だし。
準備から片付けとか次々用事があって
結局、ガキ使も紅白もほとんど見られなかったし
見たいと思ってた『映像の世紀』も全く見られなかった。
そして、小学生以来だよ、大みそかなのに11時半には寝てしまった。
あーージャニースのカウコン予約しとけばよかった。。
カウントダウンCDも見たかった。。。
1日もお雑煮作るのに6時前から起きだし
おせちをいただいて、11時には早々にお暇しました。
(父が2日まで病院に帰らないと言うので主人は残った)
大阪に戻り、一旦自宅に戻ってお昼を食べて
あーーもう疲れて無理。
兵庫→大阪→ こんどは京都へ
母の病院へいくと、お昼に野菜や魚のお重がでて、全部食べることが出来たと
喜んでいました。
ご飯は3分がゆでしたが、おかずは柔らかく煮てあって
この状態でお重が出ると思ってなかったので
とてもうれしかったようです。
点滴もはずれて、明日には尿のチューブも外れるということで
とりあえず、大きな山は越えてほっとしました。
義父のほうは、新興宗教に嵌ったりして
その関係者が病院に出入りしてるのが気になって
母にも、こっちはいいから、向こうの病院に行って
お金持ち出されたりややこしい人が近づかないように
なるべくお父さんが目の届くところにいるようにと言われたが
京都の街中に簡単に行けるのと違って
大阪からでも2時間近くかかる。
なにしろ病院が駅から1時間に1回のバスで20分ほどかかるので
駅前でカーシェア借りていくのがいいのか。
JRの昼得も廃止されたせいで交通費だけで往復3000円かかる。
向こうの家は汚いし泊るのは嫌だし
困った困った。
義父には、在宅看護は無理だから病院に戻ってと主人が話してくれて
自分の父親を自宅で看取ったため
義父の気持ちはわかるので、なるべく在宅の方向でと私は考えていたけれど
家までのアクセスが病院よりさらに悪いし
この辺りは灯油を売りに来ないそうで
1日1回はガソスタまで車で灯油を買いにいって、補充しないといけないが
そんなん私には絶対無理なので
父には病院に戻るで納得してもらうしかない。
もう何もかも私には無理なことばかりで
わたしは、サラリーマンとして朝から夜遅くまで働いて
ご飯や洗濯するくらいの、世間のお父さんのようなことしかできず
介護や車で買い物行ってご飯作って、人の送り迎えしてという主婦にはなれないんです!
ほんとうに絶対無理だ、もう無理だ。
母の病院で2時間ほど話して、
毎年1月1日は、家族全員集まっての新年会に行くため
母を残して姉と病院を出た。
ことしは、母も主人も来れないため
5人という寂しい新年会。
やっぱり健康で家族がそろって食事をできるなんて
一番なによりも幸せなことだと思う。
来年は母も主人も参加できるだろう。
やっぱり元旦に家族で食事するのって
楽しいし、にぎやかだし疲れも吹き飛ぶ。
亡くなった父が、亡くなったその年の元旦のこの場で
「来年は自分は参加できないけど、自分がいなくても
毎年、元旦に皆で集まって、来年からは割り勘にして続けてください」と。
2日は母にも「病院にはいかない
ゆっくりひとりなので、一日TVみて寝てるから」と言ったので
きょうは、のんびりお正月です。
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性別:
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自己紹介:
家にいる時は
だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
大沢たかお
*着うた*
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