性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
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結局、毎日15時からの面会に行くようになって
結局2週間以上は通った。
最初に、どうせ2-3日だし、今週末まで と思ったものの
父の食欲やわがままは衰えることがなく
自分のストレスは半端なくN氏のことで言い合いをすることも
たびたびでした。
毎日15時前に到着し、遅いときは仕事帰りに弟が来る19時ごろまで
早いときでも16時半ごろまで
1時間半以上かかるけれど、JR西も山陽電鉄も
往復座っていられるので、その間にひたすら借りてきた本を読んだり
都内の通勤とくらべると天国と思いながらの日々でした。
それよりも、往復の切符を正規で買うと3000円。
金券ショップで乗車券を買い
毎日往復2000円が痛かった。JRの昼得が廃止になったのが本当辛い。
ある日、父から呑気に
「定期買えばいいのに」と言われ
心の中で「まだ生きるつもりかい!」と叫んだこともありました(笑)
結局、転院してからも1ヶ月以上生きたけれど
きょう、あす、今週末とその繰り返しで
回数券を買うことすらためらわれました。
滞在時間が長いけれど
最後の2日を除いて、話すことは問題なく、さいごの週が言葉がでなくなったことを除いて
ずっと多弁で、こちらが話しかけると何時間でも自分のことを話し続ける人でした。
先生のお話の時に
転院時は2-3日かと思ったけれど、心臓がとても強くてとおっしゃったので
「父は前回の東京オリンピックで聖火の伴走して走ったんですよ」というと
弟がそんな話知らないと言っていて
義母は急死で、きっと子供に言いたかったこともあったろうに
なにも伝えずに死んでしまって
お父さんは時間があるんだから
いままでの人生を降りかえってとか、それぞれ息子に言いたいことは書いたらどうでしょうと提案し、ノートも買って持っていきましたが
「そんな恥ずかしいことできん」と結局ノートは白紙のままでした。
それでも私とはいろいろ話しました。
義母との出会いや結婚まで
新婚生活のこと
熊本での小学生時代のこと、祖父のこと
大学時代のこと
アメリカ駐在時代のこと
ゴルフの理論について
イーグル、ホールインワンを出したときのこと
父自身がいろんなことを思い出しながら懐かしげに話してくれました。
いろいろ話してわかったのは
結局、結婚生活も今も、自分自分のわがままな人で
人のことに全く興味はなく、常に自分中心、
病気のことも宗教のことも
「Nさんも自転車で来るのは気の毒でしょう、あまり無理言わないように」と言ったときに
「どうせたいした仕事もしてないんやからええんや、暇やから来てるんやろう」と答えが返ってきたときには
この人は、ほんとうに自分の都合のいいように宗教を信じてて
自分が生き続けるためだけにN氏を利用しようとしてるだけなんだな と感じました。
主人に聞いても「自分のことしか考えていないから、亡くなった母は本当に苦労した」と
3年前に癌でなくなった実父は
85歳で手術はしないと決めてから、葬式以外は全部自分できれいに整理して
最後も迷惑だけはかけたくないと一切の治療も受けず
最後まで日常生活を大事に過ごしていました。
自宅での緩和ケアを受けていましたが
わがままなんて一度も言わず
最期食事がとれなくなった時に
もうこれでいい、はやく死にたいといって
静かになくなっていきました。
手術をしないと決めたのは自分のくせに
最後までそのことに背を向けて
現実逃避しつづけ、散々わがまま三昧に好き勝手にすごす義父をみていると
自分の父の立派さや、家族への愛情ややさしさに
改めて父に尊敬の念がわきました。
私も自分の父のように
最後はいさぎよくきれいに、迷惑かけずにこの世から消えなければと
そう思えば思うほど
義父の醜さがたまらなく我慢できなく思いました。
結局2週間以上は通った。
最初に、どうせ2-3日だし、今週末まで と思ったものの
父の食欲やわがままは衰えることがなく
自分のストレスは半端なくN氏のことで言い合いをすることも
たびたびでした。
毎日15時前に到着し、遅いときは仕事帰りに弟が来る19時ごろまで
早いときでも16時半ごろまで
1時間半以上かかるけれど、JR西も山陽電鉄も
往復座っていられるので、その間にひたすら借りてきた本を読んだり
都内の通勤とくらべると天国と思いながらの日々でした。
それよりも、往復の切符を正規で買うと3000円。
金券ショップで乗車券を買い
毎日往復2000円が痛かった。JRの昼得が廃止になったのが本当辛い。
ある日、父から呑気に
「定期買えばいいのに」と言われ
心の中で「まだ生きるつもりかい!」と叫んだこともありました(笑)
結局、転院してからも1ヶ月以上生きたけれど
きょう、あす、今週末とその繰り返しで
回数券を買うことすらためらわれました。
滞在時間が長いけれど
最後の2日を除いて、話すことは問題なく、さいごの週が言葉がでなくなったことを除いて
ずっと多弁で、こちらが話しかけると何時間でも自分のことを話し続ける人でした。
先生のお話の時に
転院時は2-3日かと思ったけれど、心臓がとても強くてとおっしゃったので
「父は前回の東京オリンピックで聖火の伴走して走ったんですよ」というと
弟がそんな話知らないと言っていて
義母は急死で、きっと子供に言いたかったこともあったろうに
なにも伝えずに死んでしまって
お父さんは時間があるんだから
いままでの人生を降りかえってとか、それぞれ息子に言いたいことは書いたらどうでしょうと提案し、ノートも買って持っていきましたが
「そんな恥ずかしいことできん」と結局ノートは白紙のままでした。
それでも私とはいろいろ話しました。
義母との出会いや結婚まで
新婚生活のこと
熊本での小学生時代のこと、祖父のこと
大学時代のこと
アメリカ駐在時代のこと
ゴルフの理論について
イーグル、ホールインワンを出したときのこと
父自身がいろんなことを思い出しながら懐かしげに話してくれました。
いろいろ話してわかったのは
結局、結婚生活も今も、自分自分のわがままな人で
人のことに全く興味はなく、常に自分中心、
病気のことも宗教のことも
「Nさんも自転車で来るのは気の毒でしょう、あまり無理言わないように」と言ったときに
「どうせたいした仕事もしてないんやからええんや、暇やから来てるんやろう」と答えが返ってきたときには
この人は、ほんとうに自分の都合のいいように宗教を信じてて
自分が生き続けるためだけにN氏を利用しようとしてるだけなんだな と感じました。
主人に聞いても「自分のことしか考えていないから、亡くなった母は本当に苦労した」と
3年前に癌でなくなった実父は
85歳で手術はしないと決めてから、葬式以外は全部自分できれいに整理して
最後も迷惑だけはかけたくないと一切の治療も受けず
最後まで日常生活を大事に過ごしていました。
自宅での緩和ケアを受けていましたが
わがままなんて一度も言わず
最期食事がとれなくなった時に
もうこれでいい、はやく死にたいといって
静かになくなっていきました。
手術をしないと決めたのは自分のくせに
最後までそのことに背を向けて
現実逃避しつづけ、散々わがまま三昧に好き勝手にすごす義父をみていると
自分の父の立派さや、家族への愛情ややさしさに
改めて父に尊敬の念がわきました。
私も自分の父のように
最後はいさぎよくきれいに、迷惑かけずにこの世から消えなければと
そう思えば思うほど
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momosuke
性別:
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自己紹介:
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
*好きなもの*
本・映画・旅行・男前・テレビ・
大沢たかお
*着うた*
SMAP
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