性格そのままにまったりだらだらと。。。日常生活を綴っています
転院後、先生のお話で
「いつ急変してもおかしくないので、余命は週単位では考えないでください」と
ここは「看取りの病院」ですので
あとは好きなものを食べて好きなことをさせてあげてください
とのことでした。
先生からも
「お父様はここが看取りの病院とわかってらっしゃるんですよね」と聞かれ
「ええもちろんわかっています」と答えたものの
???と思っていました。
入院時の説明で担当の看護師さんから説明があった際に
「前の病院からの引継ぎで、新興宗教に傾倒されていてと書かれているのですが
こういうことが初めてなんですが」
「まえの病院では友人という男性が出入りして先生や看護師さんにご迷惑おかけしたんですが
つよく注意しましたので、こちらではご迷惑おかけしないように注意しますので」
「ご長男夫婦は強く反対されているようですが、三男さんはどうなんでしょうか」
「三男は優しい子で、父のいうことに逆らえないので、宗教には関係ないことは
確認していますので大丈夫です」
「余命のことはご本人知ってます? ここが看取りの病院ということも」
「ええ、あと1週間とかそこまでは言っていませんが、末期ということと、
ここが看取りの病院ということもわかっています」
??? 末期ってわかってるし、ここが看取りってわかってるんだけどなー
いまとなってはN氏から吹き込まれていたんだろうと察しがつきますが
「まえの病院では治療もしてもらえなかったが、転院して治療してもらえるので
ここで元気になったら退院できる」とゴルフ仲間にも言っていたようで
私にも1月末頃「みんな葬式どうするとか、そんな話ばっかりするけど
自分は死ぬつもりなんか全然ないわ。腹水のコントロールさえうまくいけば
肝臓も動いてるから全く問題ないんやで」と
父が本当に洗脳されて恐ろしいことになっていると気づいた事件、
それ以来、私は毎日病院に通い、父に付き添うことになりました。
入院して2週間近くなり、父の状態も安定していたし
これだと今月は元気そうだなぁと
私は、自分の母の面倒を見るために京都に帰ったりしていました。
基本、週末に夫婦で見舞いに行けばいいやと思っていました
転院して2週間もたち一度先生にお話をしたいと申し込んだところ
弟の平日の休みに合わせて予約を取り、面会時間は15時からですが
14時に先生の約束で、13時半に病院に行ったところ
ほどなくして弟が来たのですが、N氏の母親を伴っていました。
「三男くんがきょう病院に行くと言うので送ってきてもらった」というのです。
「面会時間は15時からですよ、このあいだ息子さんにもいいましたけれど
きちんと病院のルールは守っていただけますか」
「えーーでもそしたらどうしたらええの」
「いったん時間つぶしに出られたらどうです」
弟には、「このおばさんは許してあげて、お父さん喜ぶから」と言われたが
「いやいやルールはきちんと守らないと
ここに居られなくなったら次行くとこなくなるよ」
2人で、先生のお部屋に行くと何故かおばさんも付いてきたが
「説明は家族のみですので」といって入室させませんでした。
先生とお話をおえて、病室に戻ると
N氏の母親は、父からお金をもらっていました
お札を数枚8000円くらいかな。
「それ、なんです?買い物は家族でしますので、それ返していただけますか
家族で出来ることは家族でするのでお見舞いだけお願いしますと先日
息子さんにも言いましたけど」
「わたしはただ買い物頼まれただけで」
「ですから買い物はこちらでします。必要なもの言ってください、なんです?」
「いや、そのへんで売ってるのと品質が全然違うんです、
同じもの買うとしたらものすごく高いけど、
私が買うと安く買えるので」
「ここ病院ですよ、あなた方親子が父とマルチしているのは知っていますし
父も大人ですし、これまで黙ってみていましたけど
ここで商売するのはやめていただけますか」
「だから頼まれただけで」
「ここで商売するのはやめてくれって言ってるんです
非常識でしょ」
父が「僕が頼んだんや、ごめんごめんもう頼みません」
「お父さん、わかってる?
いま先生のおはなしがあって、先生がお父さんの体すごく細かくデータも取って
何をどんだけ食べて何をどんだけ飲んだかでそのたびに
薬替えたりいろいろしてくれてるのに、
勝手なことして勝手なもの食べたり飲んだりしないで
この人たちは何にもわかってない、
家族しかそういうことわからないんだよ」
「あなたこないだも、うちの息子にいろいろ言ったそうやけど
それなら直接息子にいっていください。私に言われても困る」
「息子さん?わたし長い間息子さんにお会いしてませんけど。
私の顔見ると、いつも逃げるように消えてしまって、
挨拶もろくにされませんけど」
「いま来てるので、呼びます」
しばらくしてN氏が来て
「いま父からお金受け取っていましたけど、
ここで商売するのはやめていただけますか
ここは病院ですから、もう父もこういう状態ですし、
これ以上、お金も渡せませんし
もう御引取ねがえますか」
N氏母「商売って、あんたら、私たちと〇〇さん(父)は
長い間ずっと人間としての崇高な付き合いをずっとしてたんです」
(正確には覚えていないけどこんな感じ)
N氏急にやくざ口調で
「おーーおーーーあんたら長男夫婦は、
俺らのこと邪険にして、そこまでいうならもう金輪際縁きったるわ、
これから生涯もう一切関係ないし
二度とここにはきいひん」
N氏母もやくざ口調になり「さいなら、もう2度ときいひんから」
えーーーちょうラッキー、向こうから引いてくれるなんて
ありがたい
おまけにとうとう本性あらわした!本性見られてよかったー
と、そのとき信じられないことに
父が号泣して錯乱状態になり
「待ってください、待って 帰らないでー
かえったらあかん、見捨てられたらしんでしまう
全部自分が悪いんです、自分のせいやから
ごめんなさい、ごめんなさい
薬なんかいくら飲んでもあかんね、薬は毒で 薬に殺されるんや
手かざししてもらわなガンは治らない、手かざしやめたら死んでしまう」
えーー なにこの三文芝居
なに言ってることわからんけど
こんな取り乱したら死んでしまうやん
「お父さん、ちょっと落ち着いて、大丈夫 この人らいなくても大丈夫やから」
こんどは弟も泣きながら
「お姉さん、お父さん許したあげて、これだけは続けさしてあげて
お父さんの生きがいやから 最後までやらしてあげて
お父さんが死んでしまう」
はぁ、ほんま何これ
私以外の人、「モニタリング」の出演者なのか
「わかったから、お父さんとりあえず落ち着いて、血圧上がるから」
「やってもええんか」
「とりあえずはいいよ」
そのときのN氏の勝ち誇った醜い顔、あーイライラする
「だけど家族で話してる時は席はなしてください、家族の中には入って来ないで
私、今日は父に大事な話があって確認するために来てるんで」
N氏「なんやそれは」
「家族のプライベートな話です、話に入って来ないでください」
N氏。父に「ほな、あとでまた席外すわ」
父 ふたたび取り乱し号泣 「あかん、あかん、帰らんといて」
N氏「かえんのちゃう、またもどってきたるわ」
いままで猫なで声で父と話していたN氏がヤクザになったのに父は本当に気づいてないんだろうか?
その後、父が元気なうちに確認したかった個人的なことを
父と弟と話していると
廊下で大きな声でN氏が
「おぅ、いつまでまたせんねん、おれはもう1時間もここで待っとう、
ええ加減にしーや」
と何度も叫びだし、これでは病院に迷惑かけてしまうと
わたしも帰宅時間になったため、じゃあこれで帰るわと病室を出ました。
病室出たときには、そこにN氏はいませんでした。
帰り際、弟には
「息子のほうにあんないい方して、おばさんはまだマシやけど
あの息子はほんまにヤバイ人なんやで、なんでもハイハイおとなしいしてたらええから
あと少しなんやから
あの息子はほんまに何するか分からん人なんやから、今後は気をつけて」
えっ?そうなん
でも、はっきり言ってあんな無職の親子が何言っても
10年外資で働いてきた自分にとったら簡単に論破できるし、
まったく怖くないんやけど
と思いながらも
暗い帰り道、駅まで20分の道のりを
何度も後ろを振り返りながら帰ったびびりの私(笑)
にしても、なによりびっくりしたのが
父がそこまで「手かざし」に傾倒していて
洗脳されていたこと。
恐ろしすぎて、これは死ぬまでに正気に戻さないと
ほんとうに家までとられてしまう。。。
最初に会った日からこの日まで1ヶ月近く、
N氏もN氏母もその取り巻き連中も、私や主人がいる時はすぐに席を外すので
一度も見たことがなかったので
いったい病室で何が行われていたのか、どんなことを言われていたのか
ほんとうに恐ろしい。
家族の知らないところで行われていた洗脳。
そしてそれに対して支払われているであろう料金
あとから知ったことだけれど、
前の病院では頻繁に手かざしが行われていて看護師さんも知っていて
そのことが引き継ぎに書かれていたようです。
父のゴルフ仲間がお見舞いに来た時にも出くわした人も数人いて。
休日しか来ない長男や、自分の母の看護に忙しかった自分だけが
知らなかった本当に恐ろしい宗教。
もう一つ知った事実。
東〇〇〇(地名)の散髪屋でマルチに引っかかったんじゃなくて
その宗教は、自然食品をつくったり売ったりしていて
マルチは、宗教が副業?事業?収入源として行っていて
宗教とマルチ、別々のものと思ってたら
実は同じ正体だった。
そして父の死後、父のゴルフ友達が
数年前、東〇〇〇のサティで、電気椅子の展示販売をしていたのが
散髪屋のN氏母と、N氏で
父に展示販売に連れて行かれ、そのあとN氏の家に連れて行かれ
呪文を唱えながら手かざしをされてお金を請求され
お金を置いて帰ってきたという話をお伺いしました。
父がN氏の商売に加担までして長年の友人にそんな仕打ちをしていたとは
本当に洗脳されている人間はこわい。
何も他のことが見えていない。
人間は見た目が9割とはよく言ったもので
年齢を増すごとに顔に性格が表れてくる。
N氏の顔を見たら、だれもが
この人は近づいてはいけない人、顔に邪気がでていて
絶対信頼できない人だとわかるのに。
なぜ父がここまでN氏に心酔して従いつづけるのか
最後まで私にはわかりませんでした。
「いつ急変してもおかしくないので、余命は週単位では考えないでください」と
ここは「看取りの病院」ですので
あとは好きなものを食べて好きなことをさせてあげてください
とのことでした。
先生からも
「お父様はここが看取りの病院とわかってらっしゃるんですよね」と聞かれ
「ええもちろんわかっています」と答えたものの
???と思っていました。
入院時の説明で担当の看護師さんから説明があった際に
「前の病院からの引継ぎで、新興宗教に傾倒されていてと書かれているのですが
こういうことが初めてなんですが」
「まえの病院では友人という男性が出入りして先生や看護師さんにご迷惑おかけしたんですが
つよく注意しましたので、こちらではご迷惑おかけしないように注意しますので」
「ご長男夫婦は強く反対されているようですが、三男さんはどうなんでしょうか」
「三男は優しい子で、父のいうことに逆らえないので、宗教には関係ないことは
確認していますので大丈夫です」
「余命のことはご本人知ってます? ここが看取りの病院ということも」
「ええ、あと1週間とかそこまでは言っていませんが、末期ということと、
ここが看取りの病院ということもわかっています」
??? 末期ってわかってるし、ここが看取りってわかってるんだけどなー
いまとなってはN氏から吹き込まれていたんだろうと察しがつきますが
「まえの病院では治療もしてもらえなかったが、転院して治療してもらえるので
ここで元気になったら退院できる」とゴルフ仲間にも言っていたようで
私にも1月末頃「みんな葬式どうするとか、そんな話ばっかりするけど
自分は死ぬつもりなんか全然ないわ。腹水のコントロールさえうまくいけば
肝臓も動いてるから全く問題ないんやで」と
父が本当に洗脳されて恐ろしいことになっていると気づいた事件、
それ以来、私は毎日病院に通い、父に付き添うことになりました。
入院して2週間近くなり、父の状態も安定していたし
これだと今月は元気そうだなぁと
私は、自分の母の面倒を見るために京都に帰ったりしていました。
基本、週末に夫婦で見舞いに行けばいいやと思っていました
転院して2週間もたち一度先生にお話をしたいと申し込んだところ
弟の平日の休みに合わせて予約を取り、面会時間は15時からですが
14時に先生の約束で、13時半に病院に行ったところ
ほどなくして弟が来たのですが、N氏の母親を伴っていました。
「三男くんがきょう病院に行くと言うので送ってきてもらった」というのです。
「面会時間は15時からですよ、このあいだ息子さんにもいいましたけれど
きちんと病院のルールは守っていただけますか」
「えーーでもそしたらどうしたらええの」
「いったん時間つぶしに出られたらどうです」
弟には、「このおばさんは許してあげて、お父さん喜ぶから」と言われたが
「いやいやルールはきちんと守らないと
ここに居られなくなったら次行くとこなくなるよ」
2人で、先生のお部屋に行くと何故かおばさんも付いてきたが
「説明は家族のみですので」といって入室させませんでした。
先生とお話をおえて、病室に戻ると
N氏の母親は、父からお金をもらっていました
お札を数枚8000円くらいかな。
「それ、なんです?買い物は家族でしますので、それ返していただけますか
家族で出来ることは家族でするのでお見舞いだけお願いしますと先日
息子さんにも言いましたけど」
「わたしはただ買い物頼まれただけで」
「ですから買い物はこちらでします。必要なもの言ってください、なんです?」
「いや、そのへんで売ってるのと品質が全然違うんです、
同じもの買うとしたらものすごく高いけど、
私が買うと安く買えるので」
「ここ病院ですよ、あなた方親子が父とマルチしているのは知っていますし
父も大人ですし、これまで黙ってみていましたけど
ここで商売するのはやめていただけますか」
「だから頼まれただけで」
「ここで商売するのはやめてくれって言ってるんです
非常識でしょ」
父が「僕が頼んだんや、ごめんごめんもう頼みません」
「お父さん、わかってる?
いま先生のおはなしがあって、先生がお父さんの体すごく細かくデータも取って
何をどんだけ食べて何をどんだけ飲んだかでそのたびに
薬替えたりいろいろしてくれてるのに、
勝手なことして勝手なもの食べたり飲んだりしないで
この人たちは何にもわかってない、
家族しかそういうことわからないんだよ」
「あなたこないだも、うちの息子にいろいろ言ったそうやけど
それなら直接息子にいっていください。私に言われても困る」
「息子さん?わたし長い間息子さんにお会いしてませんけど。
私の顔見ると、いつも逃げるように消えてしまって、
挨拶もろくにされませんけど」
「いま来てるので、呼びます」
しばらくしてN氏が来て
「いま父からお金受け取っていましたけど、
ここで商売するのはやめていただけますか
ここは病院ですから、もう父もこういう状態ですし、
これ以上、お金も渡せませんし
もう御引取ねがえますか」
N氏母「商売って、あんたら、私たちと〇〇さん(父)は
長い間ずっと人間としての崇高な付き合いをずっとしてたんです」
(正確には覚えていないけどこんな感じ)
N氏急にやくざ口調で
「おーーおーーーあんたら長男夫婦は、
俺らのこと邪険にして、そこまでいうならもう金輪際縁きったるわ、
これから生涯もう一切関係ないし
二度とここにはきいひん」
N氏母もやくざ口調になり「さいなら、もう2度ときいひんから」
えーーーちょうラッキー、向こうから引いてくれるなんて
ありがたい
おまけにとうとう本性あらわした!本性見られてよかったー
と、そのとき信じられないことに
父が号泣して錯乱状態になり
「待ってください、待って 帰らないでー
かえったらあかん、見捨てられたらしんでしまう
全部自分が悪いんです、自分のせいやから
ごめんなさい、ごめんなさい
薬なんかいくら飲んでもあかんね、薬は毒で 薬に殺されるんや
手かざししてもらわなガンは治らない、手かざしやめたら死んでしまう」
えーー なにこの三文芝居
なに言ってることわからんけど
こんな取り乱したら死んでしまうやん
「お父さん、ちょっと落ち着いて、大丈夫 この人らいなくても大丈夫やから」
こんどは弟も泣きながら
「お姉さん、お父さん許したあげて、これだけは続けさしてあげて
お父さんの生きがいやから 最後までやらしてあげて
お父さんが死んでしまう」
はぁ、ほんま何これ
私以外の人、「モニタリング」の出演者なのか
「わかったから、お父さんとりあえず落ち着いて、血圧上がるから」
「やってもええんか」
「とりあえずはいいよ」
そのときのN氏の勝ち誇った醜い顔、あーイライラする
「だけど家族で話してる時は席はなしてください、家族の中には入って来ないで
私、今日は父に大事な話があって確認するために来てるんで」
N氏「なんやそれは」
「家族のプライベートな話です、話に入って来ないでください」
N氏。父に「ほな、あとでまた席外すわ」
父 ふたたび取り乱し号泣 「あかん、あかん、帰らんといて」
N氏「かえんのちゃう、またもどってきたるわ」
いままで猫なで声で父と話していたN氏がヤクザになったのに父は本当に気づいてないんだろうか?
その後、父が元気なうちに確認したかった個人的なことを
父と弟と話していると
廊下で大きな声でN氏が
「おぅ、いつまでまたせんねん、おれはもう1時間もここで待っとう、
ええ加減にしーや」
と何度も叫びだし、これでは病院に迷惑かけてしまうと
わたしも帰宅時間になったため、じゃあこれで帰るわと病室を出ました。
病室出たときには、そこにN氏はいませんでした。
帰り際、弟には
「息子のほうにあんないい方して、おばさんはまだマシやけど
あの息子はほんまにヤバイ人なんやで、なんでもハイハイおとなしいしてたらええから
あと少しなんやから
あの息子はほんまに何するか分からん人なんやから、今後は気をつけて」
えっ?そうなん
でも、はっきり言ってあんな無職の親子が何言っても
10年外資で働いてきた自分にとったら簡単に論破できるし、
まったく怖くないんやけど
と思いながらも
暗い帰り道、駅まで20分の道のりを
何度も後ろを振り返りながら帰ったびびりの私(笑)
にしても、なによりびっくりしたのが
父がそこまで「手かざし」に傾倒していて
洗脳されていたこと。
恐ろしすぎて、これは死ぬまでに正気に戻さないと
ほんとうに家までとられてしまう。。。
最初に会った日からこの日まで1ヶ月近く、
N氏もN氏母もその取り巻き連中も、私や主人がいる時はすぐに席を外すので
一度も見たことがなかったので
いったい病室で何が行われていたのか、どんなことを言われていたのか
ほんとうに恐ろしい。
家族の知らないところで行われていた洗脳。
そしてそれに対して支払われているであろう料金
あとから知ったことだけれど、
前の病院では頻繁に手かざしが行われていて看護師さんも知っていて
そのことが引き継ぎに書かれていたようです。
父のゴルフ仲間がお見舞いに来た時にも出くわした人も数人いて。
休日しか来ない長男や、自分の母の看護に忙しかった自分だけが
知らなかった本当に恐ろしい宗教。
もう一つ知った事実。
東〇〇〇(地名)の散髪屋でマルチに引っかかったんじゃなくて
その宗教は、自然食品をつくったり売ったりしていて
マルチは、宗教が副業?事業?収入源として行っていて
宗教とマルチ、別々のものと思ってたら
実は同じ正体だった。
そして父の死後、父のゴルフ友達が
数年前、東〇〇〇のサティで、電気椅子の展示販売をしていたのが
散髪屋のN氏母と、N氏で
父に展示販売に連れて行かれ、そのあとN氏の家に連れて行かれ
呪文を唱えながら手かざしをされてお金を請求され
お金を置いて帰ってきたという話をお伺いしました。
父がN氏の商売に加担までして長年の友人にそんな仕打ちをしていたとは
本当に洗脳されている人間はこわい。
何も他のことが見えていない。
人間は見た目が9割とはよく言ったもので
年齢を増すごとに顔に性格が表れてくる。
N氏の顔を見たら、だれもが
この人は近づいてはいけない人、顔に邪気がでていて
絶対信頼できない人だとわかるのに。
なぜ父がここまでN氏に心酔して従いつづけるのか
最後まで私にはわかりませんでした。
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お正月が空けて父は病院に戻りました。
同居する弟は仕事があるし
仕事をしていない私も、主人の実家は遠く、
さらに駅から車で30分かかるため通いではいけないし、
私は、その頃1週間かそのくらいなら在宅看護も可能かと
安易に考えていましたが。
主人が、家の介護は無理だから
病院に入ってもらうと言って父に納得してもらいました。
しかし最初の病院の医師は父に対して感情の拗れがあり
(ややこしい友人は出入りするし、医師のいうことも聞かないし)
関係も最悪で、ここで治療することは何もないので転院してくださいということで
こちらの病院は、とにかく大阪から遠いだけでなく
駅から1時間に1本のバスに20分乗っていかないといけないため不便で
主人が、駅にもうすこし近い病院を紹介してほしいと依頼していました。
病院に行くたびにN氏がいて、おまけにN氏の母親やその友達など
いわゆるマルチ商法のグループの人がいつも誰かしら見舞いに来ていて
とりあえず気味が悪く、
ただ向こうも長男夫婦が来ているときは、席はずしたほうがいいと思っているみたいで
行くと席をはずされるのであまり問題にしていませんでした。
それは、私が彼らの本当の正体を知らなかっただけなのですが。。。
1月の中旬、転院
せいぜい1週間かとおもっていたのに
このころまだ父は歩いて移動出来ていたので、
平日休みの弟が車で転院先まで送っていくことになっていて、
私もこの日、あさ6時に家を出て病院まで退院の手続きをするために行きました。
8時過ぎに病院に到着すると父はもういつでも出られるよと準備万端で
8時半に弟が到着すると、なんとN氏も付いてきていました。
弟に送迎を頼んでついてきたようでした。
はーー?
退院時間は9時半で、退院手続きも9時からなのに
8時半に来たそうそう、さぁ行きましょうと父を連れ出そうとするので
「まだ退院の手続きや、紹介状、薬など貰っていないので」と言うと
「じゃあ看護師に言ってやりますよー」というので
「もうやめてください、まだ時間でもないのに
病院に迷惑かけないでもらえますか」
「退院手続きも家族しかできませんし、入院手続きも家族でします。
来ていただいても待っていただくばかりですので
今日は帰っていただけますか。
家族で出来ることは家族でやりますのでお世話にならなくて結構ですので」と
やんわりと注意したところ
口をとがらして、じゃあ帰ります
というので、「わざわざありがとうございました」と見送る。
その後、私が先生とお話したり
看護師さんから薬の説明、退院の手続き、その他書類をもらって
病室に戻ると、
「じゃあ荷物持っていきまーす」と荷物を持って下に降りてしまい
はぁ?と唖然としてしまったけれど
その後会計も終えて。弟のまわしてくれた車に乗ると
さきにN氏が乗っていました。
なんなん この人、ほんとうに気持ち悪い
車に乗ると、運転している弟に対して
この道よりあっちへいけ、車線を移動しろと
後ろの席から、乗り出して指示しはじめ
それも乗せてもらってるのに、命令口調で
おとなしい弟もイライラしているのがわかって
私も弟に対してのバカにした偉そうな態度にイライラ。
(それは父に対するものでも、私に大してとも違う一面をみました)
「あの、先ほども言いましたけれど
入院とか退院とか家族でやりますので今日は御引取いただけますか
お見舞いには今まで通りきていただいて、父も喜びますので」
きつい兵庫弁で
「えーーなんでそんなこというとう
ねぇ〇〇さん(父に)、いいよねぇ僕がいてもいいよねぇ」とネコ撫で声で。
父は
「Nさんは、すきで来てくれてるんやから好きにさしたらええ」
「お父さん、そういう訳にはいかないんですよ
まえの病院でも私は何度も注意されたんです。
家族以外の人が、ナースステーションや先生に治療や手続きのことで口出しされても困るんです。いくら来ていただいても家族以外には出来ないことばかりですから
このまま病院についても、入院手続きおわるまで
何時間もまっていただかないといけませんので帰っていただけますか」
「えーーなんでー病院がそんなんいうとう?」
「いまはコンプライアンスが厳しくて、家族以外は面会しかできませんので」
「まぁそういうことやったら」と引いてくれましたが
10時前に転院先の病院に着いても帰る様子はなく、
私と弟は入院手続きに説明を受けに移動し、
父は検査のためあちこち連れて行かれて
その後、担当の先生からのお話もあり
結局、病室に入れたのは13時過ぎ。
途中まで待合に座っていたN氏も、こちらがバタバタしている間に帰ったようでした。
なんだかいつも見張られているようで
ほんとうに気持ちの悪い目つきの悪い男で。
でも、N氏の本性を見るのはまだまだこの先でした。
同居する弟は仕事があるし
仕事をしていない私も、主人の実家は遠く、
さらに駅から車で30分かかるため通いではいけないし、
私は、その頃1週間かそのくらいなら在宅看護も可能かと
安易に考えていましたが。
主人が、家の介護は無理だから
病院に入ってもらうと言って父に納得してもらいました。
しかし最初の病院の医師は父に対して感情の拗れがあり
(ややこしい友人は出入りするし、医師のいうことも聞かないし)
関係も最悪で、ここで治療することは何もないので転院してくださいということで
こちらの病院は、とにかく大阪から遠いだけでなく
駅から1時間に1本のバスに20分乗っていかないといけないため不便で
主人が、駅にもうすこし近い病院を紹介してほしいと依頼していました。
病院に行くたびにN氏がいて、おまけにN氏の母親やその友達など
いわゆるマルチ商法のグループの人がいつも誰かしら見舞いに来ていて
とりあえず気味が悪く、
ただ向こうも長男夫婦が来ているときは、席はずしたほうがいいと思っているみたいで
行くと席をはずされるのであまり問題にしていませんでした。
それは、私が彼らの本当の正体を知らなかっただけなのですが。。。
1月の中旬、転院
せいぜい1週間かとおもっていたのに
このころまだ父は歩いて移動出来ていたので、
平日休みの弟が車で転院先まで送っていくことになっていて、
私もこの日、あさ6時に家を出て病院まで退院の手続きをするために行きました。
8時過ぎに病院に到着すると父はもういつでも出られるよと準備万端で
8時半に弟が到着すると、なんとN氏も付いてきていました。
弟に送迎を頼んでついてきたようでした。
はーー?
退院時間は9時半で、退院手続きも9時からなのに
8時半に来たそうそう、さぁ行きましょうと父を連れ出そうとするので
「まだ退院の手続きや、紹介状、薬など貰っていないので」と言うと
「じゃあ看護師に言ってやりますよー」というので
「もうやめてください、まだ時間でもないのに
病院に迷惑かけないでもらえますか」
「退院手続きも家族しかできませんし、入院手続きも家族でします。
来ていただいても待っていただくばかりですので
今日は帰っていただけますか。
家族で出来ることは家族でやりますのでお世話にならなくて結構ですので」と
やんわりと注意したところ
口をとがらして、じゃあ帰ります
というので、「わざわざありがとうございました」と見送る。
その後、私が先生とお話したり
看護師さんから薬の説明、退院の手続き、その他書類をもらって
病室に戻ると、
「じゃあ荷物持っていきまーす」と荷物を持って下に降りてしまい
はぁ?と唖然としてしまったけれど
その後会計も終えて。弟のまわしてくれた車に乗ると
さきにN氏が乗っていました。
なんなん この人、ほんとうに気持ち悪い
車に乗ると、運転している弟に対して
この道よりあっちへいけ、車線を移動しろと
後ろの席から、乗り出して指示しはじめ
それも乗せてもらってるのに、命令口調で
おとなしい弟もイライラしているのがわかって
私も弟に対してのバカにした偉そうな態度にイライラ。
(それは父に対するものでも、私に大してとも違う一面をみました)
「あの、先ほども言いましたけれど
入院とか退院とか家族でやりますので今日は御引取いただけますか
お見舞いには今まで通りきていただいて、父も喜びますので」
きつい兵庫弁で
「えーーなんでそんなこというとう
ねぇ〇〇さん(父に)、いいよねぇ僕がいてもいいよねぇ」とネコ撫で声で。
父は
「Nさんは、すきで来てくれてるんやから好きにさしたらええ」
「お父さん、そういう訳にはいかないんですよ
まえの病院でも私は何度も注意されたんです。
家族以外の人が、ナースステーションや先生に治療や手続きのことで口出しされても困るんです。いくら来ていただいても家族以外には出来ないことばかりですから
このまま病院についても、入院手続きおわるまで
何時間もまっていただかないといけませんので帰っていただけますか」
「えーーなんでー病院がそんなんいうとう?」
「いまはコンプライアンスが厳しくて、家族以外は面会しかできませんので」
「まぁそういうことやったら」と引いてくれましたが
10時前に転院先の病院に着いても帰る様子はなく、
私と弟は入院手続きに説明を受けに移動し、
父は検査のためあちこち連れて行かれて
その後、担当の先生からのお話もあり
結局、病室に入れたのは13時過ぎ。
途中まで待合に座っていたN氏も、こちらがバタバタしている間に帰ったようでした。
なんだかいつも見張られているようで
ほんとうに気持ちの悪い目つきの悪い男で。
でも、N氏の本性を見るのはまだまだこの先でした。
年末、父を病院に迎えに行くため主人は早々に実家に帰り
私は、術後入院中の自分の母のお見舞いに行ったり
ずっと母をみていたため、全くできなかった大掃除を簡単にして
31日に自宅に来たお節をうけとって、夕方、主人の実家へと行きました。
家に行ってびっくり
義母はあまり掃除しない人だったけれど、母が亡くなって以来
きれい好きなのか父はいつ行ってもきれいに家が片付いていました。
それが、7月に毎年義母の命日に生花を送っているのですが
それがまだ仏壇の前に飾ったまま(もちろん枯れている)
仏間も埃だらけで、ものも散乱
仏間と続いている和室も、服や布団が脱ぎ捨てられ散乱しているし
リビングも埃だらけ、ものが散乱
お風呂、トイレ、台所ととても自分は使えないと言うほど荒れていて。。。
7月末に来た時はきれいに片付いていたので
このあと、体調が悪くなって掃除もできなくなっていたんだと。。
そして主人と買い物に行き
大みそかの夕飯と後片付けで、わたし紅白もガキつかもほぼ見られなかったよー
お節はいつも私が注文したものを渡していたので
お雑煮だけ用意しました。
さて、この日、主人と父とで
今後のことを確認。
・家の権利書やもろもろ
・連絡が必要な人
・葬儀のこと
ここで分かったのは、
・義母は生前看護師として働いていて、自分の給料は1円も手を付けず
すべて貯金として残していた
・義父の退職金
・毎月の少なくない年金
これだけのお金があったはずなのに、貯金がたった40万しかない!
いやいやありえへんやろう。
そして一切の生命保険、がん保険、医療保険
何も入っていない(亡くなった義母も何も入っていなかった)
父の兄弟はもう亡くなっているので、亡くなった母方の親類とももう付き合いもないので
親類に連絡は必要ないこと
ゴルフ仲間にも知らせなくてよい とのこと
じゃあ家族葬儀で ということなのに
やっぱりボケてるんだろうか?
高額の葬儀屋の積み立てをしているので、それで葬式あげてくれという。
ガンになったいきさつも、先生がおっしゃっていたように奇妙な話をする
「10月にスーパーに行ったとき薄着をしていて
エアコンが強くて急にすごく寒くなって体調わるくなって
それから10日ほど体調悪いのが続いて
それでも体調戻らず、12月になって腹水がたまってきて
結局お腹大きすぎて、歩いたり動いたりできなくなって病院に行って入院した」と
いやいや、先生の話(昔からの検診のカルテ)と違う
最初に癌みつかったとき1cmでほっといたら6cmになって
さらにほっといたら、こんなになって。
スーパーとか関係なくない?
まさか自分がガンとか病気になると思ってなかったから
保険には入っていないけど
毎月の年金で、病院代払えるから問題ない
えーーー先生から、肝炎の人は肝臓がんに移行しやすいって
きいてたよね。
ここで、この後も私を悩ました大きな問題が発覚
自分は医者なんて信用していない。
手かざしで癌が治るので(具体的な宗教の名前はここでは伏せます)
ずっと治療している。
「お父さん、それって真光さんのこと?」
「いや、ちがう。あれは悪い宗教。
もともと真光は自分たちのところから、分裂して出て行った
あれはお金ばっかりとって嘘ばっかり
自分のところは宗教じゃない、癌も治っている人がたくさんいる」
えっ?この人何言ってるんと思ったものの
もうあと数日の命だし、そしてこの時は
あんなに深く洗脳されているとは思っていなかったので
もっと軽い信仰だと勝手に思っていた。。。
とりあえず、宗教に傾倒していて
マルチの親(N氏)が付きまとっている
そして貯金がすっからかんである ってことで
借金がないことを何度も確認。
うちの母は、N氏は怖い人。
何があるかわからんからとにかく権利書その他書類を
すぐに持って帰って大阪の家で保管するように言われ
主人に伝えたけど、大丈夫と権利書は家に置いたままで
私の不安の種となりました。
私が父のお金に執着するのは
私たち夫婦は長年共働きで
いままでも主人の両親から1円の援助も、
結婚や新築の時でさえ、1円のお祝い金ももらってなく
それこそお互いに早朝から深夜まで働き、2人馬力の収入で生活してきた。
それはこれからも同じで、あてにしたことなど一度もありません。
長男であっても、生活の拠点が東京のため
親の面倒も見られないから、何ももらわないと決めていたし
たまたま今回私が1ヶ月介護することになったけれど
すべて財産放棄する(といっても価値のない家以外なにも残っていないが)ということで
お金が残っていようが、残ってなくても何の問題もありません。
主人の弟が2人いて
末の弟は、ずっとひきこもりだったのですが
一時、東京の自宅に引き取っていたこともありましたが
10年近く前から働き出して
いまだに私は大丈夫かなーと心配しているとこもあるけれど
前よりうんと頼りになるし職場の人とお出かけしたり
明るくなって。
ただ非正規なので、先が不安定。
家を相続させて(今も住んでいる)、でも家が古いので
今後修理や家電の買い替えもあるし、
日常生活していくのには給料で十分だと思うけれど
家を維持していくうえで何かあったときのために
1円でも多くお金を残してほしいとずっと思っていて。
(主人はそれについても自分の給料でやらせればいいというけれど)
もう一人の弟は体が弱くて
ここ数年入院しているが、障碍者年金をもらっていて
とりあえずいまのところ年金で入院費は賄えてるが
疾病保険とかなにも入っていないので、やはりお金があるに越したことは無い。
という訳で、父の少なくない年金がなくなったあと
2人の生活が心配で
お金を1円でも多く残さなければと
そればかりが気になってしまいました。
N氏という得体のしれない存在が
父をだまして
最後に残った家を取られてしまうかもしれないという不安。。。
私は、術後入院中の自分の母のお見舞いに行ったり
ずっと母をみていたため、全くできなかった大掃除を簡単にして
31日に自宅に来たお節をうけとって、夕方、主人の実家へと行きました。
家に行ってびっくり
義母はあまり掃除しない人だったけれど、母が亡くなって以来
きれい好きなのか父はいつ行ってもきれいに家が片付いていました。
それが、7月に毎年義母の命日に生花を送っているのですが
それがまだ仏壇の前に飾ったまま(もちろん枯れている)
仏間も埃だらけで、ものも散乱
仏間と続いている和室も、服や布団が脱ぎ捨てられ散乱しているし
リビングも埃だらけ、ものが散乱
お風呂、トイレ、台所ととても自分は使えないと言うほど荒れていて。。。
7月末に来た時はきれいに片付いていたので
このあと、体調が悪くなって掃除もできなくなっていたんだと。。
そして主人と買い物に行き
大みそかの夕飯と後片付けで、わたし紅白もガキつかもほぼ見られなかったよー
お節はいつも私が注文したものを渡していたので
お雑煮だけ用意しました。
さて、この日、主人と父とで
今後のことを確認。
・家の権利書やもろもろ
・連絡が必要な人
・葬儀のこと
ここで分かったのは、
・義母は生前看護師として働いていて、自分の給料は1円も手を付けず
すべて貯金として残していた
・義父の退職金
・毎月の少なくない年金
これだけのお金があったはずなのに、貯金がたった40万しかない!
いやいやありえへんやろう。
そして一切の生命保険、がん保険、医療保険
何も入っていない(亡くなった義母も何も入っていなかった)
父の兄弟はもう亡くなっているので、亡くなった母方の親類とももう付き合いもないので
親類に連絡は必要ないこと
ゴルフ仲間にも知らせなくてよい とのこと
じゃあ家族葬儀で ということなのに
やっぱりボケてるんだろうか?
高額の葬儀屋の積み立てをしているので、それで葬式あげてくれという。
ガンになったいきさつも、先生がおっしゃっていたように奇妙な話をする
「10月にスーパーに行ったとき薄着をしていて
エアコンが強くて急にすごく寒くなって体調わるくなって
それから10日ほど体調悪いのが続いて
それでも体調戻らず、12月になって腹水がたまってきて
結局お腹大きすぎて、歩いたり動いたりできなくなって病院に行って入院した」と
いやいや、先生の話(昔からの検診のカルテ)と違う
最初に癌みつかったとき1cmでほっといたら6cmになって
さらにほっといたら、こんなになって。
スーパーとか関係なくない?
まさか自分がガンとか病気になると思ってなかったから
保険には入っていないけど
毎月の年金で、病院代払えるから問題ない
えーーー先生から、肝炎の人は肝臓がんに移行しやすいって
きいてたよね。
ここで、この後も私を悩ました大きな問題が発覚
自分は医者なんて信用していない。
手かざしで癌が治るので(具体的な宗教の名前はここでは伏せます)
ずっと治療している。
「お父さん、それって真光さんのこと?」
「いや、ちがう。あれは悪い宗教。
もともと真光は自分たちのところから、分裂して出て行った
あれはお金ばっかりとって嘘ばっかり
自分のところは宗教じゃない、癌も治っている人がたくさんいる」
えっ?この人何言ってるんと思ったものの
もうあと数日の命だし、そしてこの時は
あんなに深く洗脳されているとは思っていなかったので
もっと軽い信仰だと勝手に思っていた。。。
とりあえず、宗教に傾倒していて
マルチの親(N氏)が付きまとっている
そして貯金がすっからかんである ってことで
借金がないことを何度も確認。
うちの母は、N氏は怖い人。
何があるかわからんからとにかく権利書その他書類を
すぐに持って帰って大阪の家で保管するように言われ
主人に伝えたけど、大丈夫と権利書は家に置いたままで
私の不安の種となりました。
私が父のお金に執着するのは
私たち夫婦は長年共働きで
いままでも主人の両親から1円の援助も、
結婚や新築の時でさえ、1円のお祝い金ももらってなく
それこそお互いに早朝から深夜まで働き、2人馬力の収入で生活してきた。
それはこれからも同じで、あてにしたことなど一度もありません。
長男であっても、生活の拠点が東京のため
親の面倒も見られないから、何ももらわないと決めていたし
たまたま今回私が1ヶ月介護することになったけれど
すべて財産放棄する(といっても価値のない家以外なにも残っていないが)ということで
お金が残っていようが、残ってなくても何の問題もありません。
主人の弟が2人いて
末の弟は、ずっとひきこもりだったのですが
一時、東京の自宅に引き取っていたこともありましたが
10年近く前から働き出して
いまだに私は大丈夫かなーと心配しているとこもあるけれど
前よりうんと頼りになるし職場の人とお出かけしたり
明るくなって。
ただ非正規なので、先が不安定。
家を相続させて(今も住んでいる)、でも家が古いので
今後修理や家電の買い替えもあるし、
日常生活していくのには給料で十分だと思うけれど
家を維持していくうえで何かあったときのために
1円でも多くお金を残してほしいとずっと思っていて。
(主人はそれについても自分の給料でやらせればいいというけれど)
もう一人の弟は体が弱くて
ここ数年入院しているが、障碍者年金をもらっていて
とりあえずいまのところ年金で入院費は賄えてるが
疾病保険とかなにも入っていないので、やはりお金があるに越したことは無い。
という訳で、父の少なくない年金がなくなったあと
2人の生活が心配で
お金を1円でも多く残さなければと
そればかりが気になってしまいました。
N氏という得体のしれない存在が
父をだまして
最後に残った家を取られてしまうかもしれないという不安。。。
義父が入院したのは、実母が大腸がんの大手術をした年末27日でした。
28日に義父と同居している弟から「末期がんで入院した」と
電話があったと、夜中に会社から帰宅した主人からきき
医師から話があると言われて
夫婦で病院に飛んで行ったのは29日
父の病室には、ひとりの男性がつきそっていました。
父のゴルフ仲間とは明らかに年齢や風貌が違います。
父はゴルフ馬鹿で、サラリーマン時代からほぼ毎週ゴルフのラウンドをし
退職後は、平日、練習やラウンドでゴルフ三昧。
元会社の仲間とゴルフ会を作っていて、その仲間との付き合いは
古い方は入社以来40年以上の付き合いです。
その男性は、30代後半?坊主頭で、
失礼な言い方をすれば、エリートサラリーマンでもゴルフをやるようにも見えず
私の中にある、義父のお付き合いのある方の容姿とはまったく違っていました。
「失礼ですが、どちらさまですか」とお伺いしたところ
「Nと言います。
自分の父親が亡くなったt時に、〇〇さん(父)にお金を貸してもらって
すごく感謝しているので、自分が出来る限りお世話したいと思ってます」と
この人は敬語というものが使えないのかというほど
兵庫県西特有のひどいなまりで(神戸弁でもここまでの人会ったことがない)
ん?父がお金を貸した? と思ったもののそれは呑み込み
「どうもお世話になりまして」と挨拶すると
そのN氏は、せっかく家族の人が来たからと思われたのか
席を外してくれたので、父に
「いまの人なんです?」と聞いたところ
「ずっと通ってた東〇〇〇(地名)の床屋の息子さんで、親父さんは亡くなったんやけど
お母さんにも息子さんにもよくしてもらっている」と聞き
東〇〇〇の床屋! あのネズミの親か!
こんなとこまで来て気持ち悪い と
その時はまだ父のねずみ講の親としか認識してませんでした。
その後、担当医師との面談の時間となり
医師からは、
肝炎治療から肝臓がんが見つかった経緯や
急に12月末に腹水がたまった大きなお腹をかかえて病院にやってきて
入院となったこと。
末期の末期で今日明日死んでもおかしくなく
長くても1ヶ月は持たないことなどと同時に
父親が、おかしな宗教に傾倒していて
言動もおかしいこと。
今日に至るまでにあった経緯(6年前に1cmでみつかり、その後6cmになり)も
まるで覚えていない様子で
10月にスーパーで買い物していたら気分が悪くなり、それ以来体調が悪いと言う。
自分が病状について説明してもまったく理解を出来ていないようで
ご家族に来てもらったこと など
末期がんという衝撃の事実と言動がおかしい(この時は痴呆がきたのかと楽観していた)と
何がなんだかわからない状態でした。
そしてもっと恐ろしい事実、父がN氏に依存している?(のちに洗脳と気づいた)
医師からの話で
父には病院で治療するつもりは全くない
(とはいえ、そもそも末期で病院で治療することが何もない状態だったけど)
家に帰りたいと言っているから
これが最後だし、お正月は家で家族で過ごしていいということと
家で急変したら救急車をよんで病院に戻ってということ。
本人の希望通り今後、自宅療養しても構わないので往診で
最後まで看取ってくれる医師を紹介するが、年末でいますぐは紹介できないので
年明け一旦、病院にもどってもらい
もろもろ準備ができた時点で退院して家に帰ってもらって構わないと言うことでした。
そして年末、自宅に戻るにあたって
極度の貧血で輸血をしないと家には戻せない、ということと
この輸血で1ヶ月近くは持つけれど、
輸血をしたからと言って病気が回復する見込みないため、今後再度輸血をすることは出来ない。
(輸血用の血液は貴重なものであるので延命目的では使うつもりはないと言うことでした)
手術を受けなかった時点で
ガンを自然にうけいれて、元気なうちは好きにして暮らし
もういよいよとなったら延命治療をせずにこのまま死んでいくのが父の希望だろうと
私も主人も思ったので
もう治療は結構ですので、なるべく楽に最期を迎えられるようにお願いします と
医師にお願いしました。
誰もが治療は結構と思うのですが
実は父の考えは全く違っていたと知ったのは、お正月明けに転院してからでした…
主人が父に輸血の説明をし、同意書のサインするように伝えた後
二人でランチに行き、戻ってきたら
看護師さんに呼び止められました。
「同意書サインしないと言っています」
「さっきすると言ってました」
「いまどこか席外されてましたよね」
「ランチに行っていました」
「ご友人の方がナースステーションに来られて、輸血はやめてほしいと
自分の父親は輸血した後性格も変わってしまって輸血はしてはいけないと
言いに来られました」
「は?」
「ランチで席を外されている間にお父様を説得されたようですよ。
病院ではご家族以外の方に、病状を説明したり指示を受けたりは出来ないし
ましてこちらから連絡も出来ません。
このメモを渡されて、自分のところに何かあるときは連絡してほしいと
言われましたが、これはご家族にお返しします」
と、N氏の名前と連絡先を書いたメモを渡されました
怒った主人が
「すぐサインして持ってきますので」と
病室にいって
「はやくサインしろ、家に帰りたくないのか、家に帰るには輸血しないと帰れない」
先ほどまで輸血に同意していた父が
「やっぱり輸血は体に悪いし、血液錠剤を飲むのはどうだろう」と
えっ、あの男なんなん? 風貌や振る舞いも気持ち悪いのに
なに?
この時は、どうしてそこまで父がN氏に依存しているのか
なにもわからず
結局、主人の目の前で、渋りながらも父はサインし、
主人がすぐに同意書を看護師さんに持っていきました。
翌日、輸血して実家へ戻ってきました。
7月末に義母の命日に実家へ行き、ランチに行って以来
あの頃まだふっくらしていた顔は
骸骨のように痩せていて、お腹は臨月の妊婦さんより大きなお腹でした
家に戻ってもお腹が大きすぎて
まったく動けず、
食事や会話は全く問題ないものの一度座ると立ち上がることが出来ないため
座ったきりでした。
28日に義父と同居している弟から「末期がんで入院した」と
電話があったと、夜中に会社から帰宅した主人からきき
医師から話があると言われて
夫婦で病院に飛んで行ったのは29日
父の病室には、ひとりの男性がつきそっていました。
父のゴルフ仲間とは明らかに年齢や風貌が違います。
父はゴルフ馬鹿で、サラリーマン時代からほぼ毎週ゴルフのラウンドをし
退職後は、平日、練習やラウンドでゴルフ三昧。
元会社の仲間とゴルフ会を作っていて、その仲間との付き合いは
古い方は入社以来40年以上の付き合いです。
その男性は、30代後半?坊主頭で、
失礼な言い方をすれば、エリートサラリーマンでもゴルフをやるようにも見えず
私の中にある、義父のお付き合いのある方の容姿とはまったく違っていました。
「失礼ですが、どちらさまですか」とお伺いしたところ
「Nと言います。
自分の父親が亡くなったt時に、〇〇さん(父)にお金を貸してもらって
すごく感謝しているので、自分が出来る限りお世話したいと思ってます」と
この人は敬語というものが使えないのかというほど
兵庫県西特有のひどいなまりで(神戸弁でもここまでの人会ったことがない)
ん?父がお金を貸した? と思ったもののそれは呑み込み
「どうもお世話になりまして」と挨拶すると
そのN氏は、せっかく家族の人が来たからと思われたのか
席を外してくれたので、父に
「いまの人なんです?」と聞いたところ
「ずっと通ってた東〇〇〇(地名)の床屋の息子さんで、親父さんは亡くなったんやけど
お母さんにも息子さんにもよくしてもらっている」と聞き
東〇〇〇の床屋! あのネズミの親か!
こんなとこまで来て気持ち悪い と
その時はまだ父のねずみ講の親としか認識してませんでした。
その後、担当医師との面談の時間となり
医師からは、
肝炎治療から肝臓がんが見つかった経緯や
急に12月末に腹水がたまった大きなお腹をかかえて病院にやってきて
入院となったこと。
末期の末期で今日明日死んでもおかしくなく
長くても1ヶ月は持たないことなどと同時に
父親が、おかしな宗教に傾倒していて
言動もおかしいこと。
今日に至るまでにあった経緯(6年前に1cmでみつかり、その後6cmになり)も
まるで覚えていない様子で
10月にスーパーで買い物していたら気分が悪くなり、それ以来体調が悪いと言う。
自分が病状について説明してもまったく理解を出来ていないようで
ご家族に来てもらったこと など
末期がんという衝撃の事実と言動がおかしい(この時は痴呆がきたのかと楽観していた)と
何がなんだかわからない状態でした。
そしてもっと恐ろしい事実、父がN氏に依存している?(のちに洗脳と気づいた)
医師からの話で
父には病院で治療するつもりは全くない
(とはいえ、そもそも末期で病院で治療することが何もない状態だったけど)
家に帰りたいと言っているから
これが最後だし、お正月は家で家族で過ごしていいということと
家で急変したら救急車をよんで病院に戻ってということ。
本人の希望通り今後、自宅療養しても構わないので往診で
最後まで看取ってくれる医師を紹介するが、年末でいますぐは紹介できないので
年明け一旦、病院にもどってもらい
もろもろ準備ができた時点で退院して家に帰ってもらって構わないと言うことでした。
そして年末、自宅に戻るにあたって
極度の貧血で輸血をしないと家には戻せない、ということと
この輸血で1ヶ月近くは持つけれど、
輸血をしたからと言って病気が回復する見込みないため、今後再度輸血をすることは出来ない。
(輸血用の血液は貴重なものであるので延命目的では使うつもりはないと言うことでした)
手術を受けなかった時点で
ガンを自然にうけいれて、元気なうちは好きにして暮らし
もういよいよとなったら延命治療をせずにこのまま死んでいくのが父の希望だろうと
私も主人も思ったので
もう治療は結構ですので、なるべく楽に最期を迎えられるようにお願いします と
医師にお願いしました。
誰もが治療は結構と思うのですが
実は父の考えは全く違っていたと知ったのは、お正月明けに転院してからでした…
主人が父に輸血の説明をし、同意書のサインするように伝えた後
二人でランチに行き、戻ってきたら
看護師さんに呼び止められました。
「同意書サインしないと言っています」
「さっきすると言ってました」
「いまどこか席外されてましたよね」
「ランチに行っていました」
「ご友人の方がナースステーションに来られて、輸血はやめてほしいと
自分の父親は輸血した後性格も変わってしまって輸血はしてはいけないと
言いに来られました」
「は?」
「ランチで席を外されている間にお父様を説得されたようですよ。
病院ではご家族以外の方に、病状を説明したり指示を受けたりは出来ないし
ましてこちらから連絡も出来ません。
このメモを渡されて、自分のところに何かあるときは連絡してほしいと
言われましたが、これはご家族にお返しします」
と、N氏の名前と連絡先を書いたメモを渡されました
怒った主人が
「すぐサインして持ってきますので」と
病室にいって
「はやくサインしろ、家に帰りたくないのか、家に帰るには輸血しないと帰れない」
先ほどまで輸血に同意していた父が
「やっぱり輸血は体に悪いし、血液錠剤を飲むのはどうだろう」と
えっ、あの男なんなん? 風貌や振る舞いも気持ち悪いのに
なに?
この時は、どうしてそこまで父がN氏に依存しているのか
なにもわからず
結局、主人の目の前で、渋りながらも父はサインし、
主人がすぐに同意書を看護師さんに持っていきました。
翌日、輸血して実家へ戻ってきました。
7月末に義母の命日に実家へ行き、ランチに行って以来
あの頃まだふっくらしていた顔は
骸骨のように痩せていて、お腹は臨月の妊婦さんより大きなお腹でした
家に戻ってもお腹が大きすぎて
まったく動けず、
食事や会話は全く問題ないものの一度座ると立ち上がることが出来ないため
座ったきりでした。
何から書けばいいのか?
長男である主人と私は都内に勤めていて、主人の転勤で関西に戻って2年目。
毎年正月の帰省で1泊主人の実家に帰るだけで
そうすると義父に会うのも、
義母の葬式、法事も含めて昨年末までで合計30回会ったかなかったか
というほど、薄い関係でした。
まず私が気づいたことから
【肝臓がんの診断がでる】
インターフェロンの治療が効いて
肝炎から寛かいした(実際肝炎には「寛かい」と言うのは無いらしい)と父から聞いたのは
昨年夏に13回忌を終えた義母が亡くなって2年ほどの頃だったか
そうすると今から10年ほど前か
医師の話によると
一度肝炎になると寛かいというのはなく、肝硬変になったり肝臓がんになることが多いため
定期的に健診が必要であった、
実際父は2年ほどは半年に1回、必ず検診に来ていた。
(ということは、父は自分が肝臓がんになりやすい体だと知っていたはず)
それが急に検診に来なくなり、2年ほど空いた後ひっこり現れ
検査したら、1cmの肝臓がんがみつかった。
手術を勧めたが、そのあとまた音信がとだえた。
たぶん、最初に「肝臓がん」と告知されたのは 6年ほど前か?
【ねずみ講に嵌った】
お正月、いつものように年始のあいさつに行くと
洗剤、シャンプー、歯磨き粉、錠剤、ありとあらゆるものを紹介された
市販の洗剤や、歯磨き粉の恐ろしさ、いかに危険かを話だし
自然が由来のものを使わなければいけないと
たしかパンフレットももらったような気がする
(アムウェイ社のものではありませんでした)
父に聞くと、
「兄夫婦がそろって痴呆になり、自分はなりたくないので
気をつけようと思った」
「ずっと通っている東〇〇〇(地名)の散髪屋のおやじに勧められて」
「もし使って良かったら続けて使って、買うのは自分から買ってほしい
自分から買ってもらうと、自分のステージも上がるので」
これを聞いた途端、あーーこれはマルチだ、
ねずみ講のよくあるやつの1種だ
私は、買うつもりはなかったけど、
自然って言ってるから使って毒になるものでもないから
まぁどうせ無料だしと貰って帰った。
(もちろん効果なんてまったくわからず笑)
主人には、そんなもん、もらうなと怒られたけど
義父と接点もないし、持って帰るだけですごい喜んでもらえた。
その後も、正月に帰るたびに、持って帰ってと渡された。
この時に、きつく注意すればよかったんだろうけど
結局自分の中では、
・よその家のこと
・年金の範囲内で自分の分だけ買ってるなら問題ない
・健康に気を使っているならいいか
・そしてなにより地方とはいえ国立大学を出て
日本で有数の大企業の部長として世界中に自分の設計した機械を
送り込んでいるいわゆる元エリートサラリーマンで
決して道を踏み外すことは無い と親族であってもよく知らない人なのに
勝手に私は思い込んでいたのが一番大きかった
と認める形になってしまったことをとても後悔しています。
そして、これがただのマルチでなかったことに気付いたのは
今年の1月になってからという間抜けぶり。。。。
いまから思えば、癌になったからそちらに走ったのか
そっちに走ってから、癌になって、さらに傾倒したのか
どちらにしても、その頃から父は
こちら側から、あちら側の人間へ変わっていきました。
それからさらに数年後には
きっと何百万もして購入したであろう
電磁波?が流れるリクライニングチェア、
寝てる間ずっと電磁波?が流れるマットなど
高額商品も買っていました。
十分な退職金や、潤沢な企業年金という
典型的な団塊の世代なので、それも不思議には思いませんでした。
まさかそれがガンの治療として購入し
治療の一環として使用してたとは夢にも思っていませんでした。
長男である主人と私は都内に勤めていて、主人の転勤で関西に戻って2年目。
毎年正月の帰省で1泊主人の実家に帰るだけで
そうすると義父に会うのも、
義母の葬式、法事も含めて昨年末までで合計30回会ったかなかったか
というほど、薄い関係でした。
まず私が気づいたことから
【肝臓がんの診断がでる】
インターフェロンの治療が効いて
肝炎から寛かいした(実際肝炎には「寛かい」と言うのは無いらしい)と父から聞いたのは
昨年夏に13回忌を終えた義母が亡くなって2年ほどの頃だったか
そうすると今から10年ほど前か
医師の話によると
一度肝炎になると寛かいというのはなく、肝硬変になったり肝臓がんになることが多いため
定期的に健診が必要であった、
実際父は2年ほどは半年に1回、必ず検診に来ていた。
(ということは、父は自分が肝臓がんになりやすい体だと知っていたはず)
それが急に検診に来なくなり、2年ほど空いた後ひっこり現れ
検査したら、1cmの肝臓がんがみつかった。
手術を勧めたが、そのあとまた音信がとだえた。
たぶん、最初に「肝臓がん」と告知されたのは 6年ほど前か?
【ねずみ講に嵌った】
お正月、いつものように年始のあいさつに行くと
洗剤、シャンプー、歯磨き粉、錠剤、ありとあらゆるものを紹介された
市販の洗剤や、歯磨き粉の恐ろしさ、いかに危険かを話だし
自然が由来のものを使わなければいけないと
たしかパンフレットももらったような気がする
(アムウェイ社のものではありませんでした)
父に聞くと、
「兄夫婦がそろって痴呆になり、自分はなりたくないので
気をつけようと思った」
「ずっと通っている東〇〇〇(地名)の散髪屋のおやじに勧められて」
「もし使って良かったら続けて使って、買うのは自分から買ってほしい
自分から買ってもらうと、自分のステージも上がるので」
これを聞いた途端、あーーこれはマルチだ、
ねずみ講のよくあるやつの1種だ
私は、買うつもりはなかったけど、
自然って言ってるから使って毒になるものでもないから
まぁどうせ無料だしと貰って帰った。
(もちろん効果なんてまったくわからず笑)
主人には、そんなもん、もらうなと怒られたけど
義父と接点もないし、持って帰るだけですごい喜んでもらえた。
その後も、正月に帰るたびに、持って帰ってと渡された。
この時に、きつく注意すればよかったんだろうけど
結局自分の中では、
・よその家のこと
・年金の範囲内で自分の分だけ買ってるなら問題ない
・健康に気を使っているならいいか
・そしてなにより地方とはいえ国立大学を出て
日本で有数の大企業の部長として世界中に自分の設計した機械を
送り込んでいるいわゆる元エリートサラリーマンで
決して道を踏み外すことは無い と親族であってもよく知らない人なのに
勝手に私は思い込んでいたのが一番大きかった
と認める形になってしまったことをとても後悔しています。
そして、これがただのマルチでなかったことに気付いたのは
今年の1月になってからという間抜けぶり。。。。
いまから思えば、癌になったからそちらに走ったのか
そっちに走ってから、癌になって、さらに傾倒したのか
どちらにしても、その頃から父は
こちら側から、あちら側の人間へ変わっていきました。
それからさらに数年後には
きっと何百万もして購入したであろう
電磁波?が流れるリクライニングチェア、
寝てる間ずっと電磁波?が流れるマットなど
高額商品も買っていました。
十分な退職金や、潤沢な企業年金という
典型的な団塊の世代なので、それも不思議には思いませんでした。
まさかそれがガンの治療として購入し
治療の一環として使用してたとは夢にも思っていませんでした。
年末に入院し、医師から今日明日どうなるか分からない、
長くても1ヶ月と言われた日から
1ヶ月半、2月の半ばを過ぎて、義父が亡くなりました。
この1ヶ月、私にとっては、人生で一番疲れた、もっともストレスのかかった1ヶ月。
父より私のほうが先に死ぬんじゃないかと思ったほどのストレスで
父が無くなる4日ほど前には
頭が痛すぎて、自分が脳梗塞とか顔面麻痺になってしまうんじゃないかと
かかりつけの整体の先生の所に病院帰りに飛び込んで
先生からも「首も頭も普段も酷いけど、この状態でよく我慢してる」とびっくりされ
「いままで背中はあまり張ってなかったのに、背中ががちがちで気を付けたほうがいい」と
なんでも、うつ病の人は背中が普通の人よりがちがちの人が多く
この状態だと自立神経が自分でコントロールできず
怒りっぽくなったり、悲しくなったりしてうつ病になりやすいから
まずは原因になってるストレスを取り除いたほうがいいと
今の状況を言い当てられて。
その2-3日は、本当に神経が張り詰めしすぎて
病院でも父を怒鳴ったことも1回や2回ではありませんでした。
自分の親ではないので、父が亡くなって心底ほっとしましました。
自分が死ぬより先に父が死んでくれた。。。
そして父が亡くなって、葬儀が終わった後は2日間くらい
昼間も夜も関係なく、ずっと寝続けてしまいました。
自分の覚えているうちに
つぎの被害者が出ないうちに
そして同じような状況の人の届きますように。
長くても1ヶ月と言われた日から
1ヶ月半、2月の半ばを過ぎて、義父が亡くなりました。
この1ヶ月、私にとっては、人生で一番疲れた、もっともストレスのかかった1ヶ月。
父より私のほうが先に死ぬんじゃないかと思ったほどのストレスで
父が無くなる4日ほど前には
頭が痛すぎて、自分が脳梗塞とか顔面麻痺になってしまうんじゃないかと
かかりつけの整体の先生の所に病院帰りに飛び込んで
先生からも「首も頭も普段も酷いけど、この状態でよく我慢してる」とびっくりされ
「いままで背中はあまり張ってなかったのに、背中ががちがちで気を付けたほうがいい」と
なんでも、うつ病の人は背中が普通の人よりがちがちの人が多く
この状態だと自立神経が自分でコントロールできず
怒りっぽくなったり、悲しくなったりしてうつ病になりやすいから
まずは原因になってるストレスを取り除いたほうがいいと
今の状況を言い当てられて。
その2-3日は、本当に神経が張り詰めしすぎて
病院でも父を怒鳴ったことも1回や2回ではありませんでした。
自分の親ではないので、父が亡くなって心底ほっとしましました。
自分が死ぬより先に父が死んでくれた。。。
そして父が亡くなって、葬儀が終わった後は2日間くらい
昼間も夜も関係なく、ずっと寝続けてしまいました。
自分の覚えているうちに
つぎの被害者が出ないうちに
そして同じような状況の人の届きますように。
【「なぜだ」の言葉を残して解任されるまで十年の間、
ワンマン体制を敷き三越に君臨した岡岩茂。
そして岡岩を陰で操った女帝、竹原みちと、二人の周囲に群がった男たち。
栄光と挫折、野望と絶望が交錯する企業社会にうごめく人間たちは
何を求め、何を失い、何を得たのか。
実際の事件に基づいて、様々な欲望と思惑と人間模様が渦巻く老舗の内幕を描いたドキュメンタリー・ノベル。 】
TVの平成史?だったかの再現番組で見て、本を借りてきました。
三越社長、贋作事件、岡田茂、竹久みち と断片的に単語として頭の片隅にあったものの
当時は中高校生?だったので、事件の詳細を全くしらなかったため
新鮮に読むことができましたが。。
あとがきによると90%は事実の小説であるがゆえに、登場人物の名誉を守るための仮名。
まわりの役員を仮名にするにしても
岡田茂、竹久みちの二人やそれにかかわる会社名は仮名を使わなくても良かったのでは?と思いました。竹久みちのブランド名、再現番組では「カトリーヌ」でたぶんこれが本当の名前?
カトリーヌのほうが、趣味の悪さダサさがでて良かったんじゃないかと思いました。
それにしても。この三越で行われてたことが、実在のこと?と信じられない
あきれた内容。
おまけに人事を握られてるとはいえ、登場社員たちの
飽くなき出世欲、これは年代的なものなのか?
そしてこれ普通は役員全員退任でもおかしくないのに
岡田の腹心たちも、さんざん甘い汁をすっていたのにそのまま留任とか
ちょっとコンプライアンスどうなってんの?
と、現代では考えられないし、町の中小企業のような話で
そして、デビ夫人がなんだかこの人すごい人なんだなと知りました。
いろんな意味でおもしろい小説でした。
ワンマン体制を敷き三越に君臨した岡岩茂。
そして岡岩を陰で操った女帝、竹原みちと、二人の周囲に群がった男たち。
栄光と挫折、野望と絶望が交錯する企業社会にうごめく人間たちは
何を求め、何を失い、何を得たのか。
実際の事件に基づいて、様々な欲望と思惑と人間模様が渦巻く老舗の内幕を描いたドキュメンタリー・ノベル。 】
TVの平成史?だったかの再現番組で見て、本を借りてきました。
三越社長、贋作事件、岡田茂、竹久みち と断片的に単語として頭の片隅にあったものの
当時は中高校生?だったので、事件の詳細を全くしらなかったため
新鮮に読むことができましたが。。
あとがきによると90%は事実の小説であるがゆえに、登場人物の名誉を守るための仮名。
まわりの役員を仮名にするにしても
岡田茂、竹久みちの二人やそれにかかわる会社名は仮名を使わなくても良かったのでは?と思いました。竹久みちのブランド名、再現番組では「カトリーヌ」でたぶんこれが本当の名前?
カトリーヌのほうが、趣味の悪さダサさがでて良かったんじゃないかと思いました。
それにしても。この三越で行われてたことが、実在のこと?と信じられない
あきれた内容。
おまけに人事を握られてるとはいえ、登場社員たちの
飽くなき出世欲、これは年代的なものなのか?
そしてこれ普通は役員全員退任でもおかしくないのに
岡田の腹心たちも、さんざん甘い汁をすっていたのにそのまま留任とか
ちょっとコンプライアンスどうなってんの?
と、現代では考えられないし、町の中小企業のような話で
そして、デビ夫人がなんだかこの人すごい人なんだなと知りました。
いろんな意味でおもしろい小説でした。
【200X年、謎の航空機事故が相次ぎ、メーカーの担当者と生き残った自衛隊パイロットは調査のために高空へ飛んだ。
高度2万、事故に共通するその空域で彼らが見つけた秘密とは?
一方地上では、子供たちが海辺で不思議な生物を拾う。
大人と子供が見つけた2つの秘密が出会うとき、日本に、
人類に降りかかる前代未聞の奇妙な危機とは―
すべての本読みが胸躍らせる、未曾有のスペクタクルエンタテインメント。】
病院への通院時間が長いため、とにかく分厚い本を選んで借りてきました。
いつも有川浩作品を読んで、中高生向きだなぁを思いながら読むのですが
これも例外にもれず、中高生向きです。
正直、話もまったく面白くなく、正直言うとつまらない。
途中からはまったく興味すらなくなってしまい読破するのもやっとこ(笑)
「塩の街」「海の底」と自衛隊3部作らしく、そういえば昔「塩の街」は読んでいました。
登場人物が面倒くさい設定で、まず主役の2人、春名と武田が好きになれない。
反「白鯨」団体「セーブ・ザ・セーフ」の代表の女子高生白川真帆が
あまりにありえない設定でしらけたてしまった。
とはいえ、これは自分がこの本の適正年齢ではないからだと思う。
きっと高校生くらいに読むと、きゅんとしながら面白く読めたんだろうなぁとおもうと残念。
高度2万、事故に共通するその空域で彼らが見つけた秘密とは?
一方地上では、子供たちが海辺で不思議な生物を拾う。
大人と子供が見つけた2つの秘密が出会うとき、日本に、
人類に降りかかる前代未聞の奇妙な危機とは―
すべての本読みが胸躍らせる、未曾有のスペクタクルエンタテインメント。】
病院への通院時間が長いため、とにかく分厚い本を選んで借りてきました。
いつも有川浩作品を読んで、中高生向きだなぁを思いながら読むのですが
これも例外にもれず、中高生向きです。
正直、話もまったく面白くなく、正直言うとつまらない。
途中からはまったく興味すらなくなってしまい読破するのもやっとこ(笑)
「塩の街」「海の底」と自衛隊3部作らしく、そういえば昔「塩の街」は読んでいました。
登場人物が面倒くさい設定で、まず主役の2人、春名と武田が好きになれない。
反「白鯨」団体「セーブ・ザ・セーフ」の代表の女子高生白川真帆が
あまりにありえない設定でしらけたてしまった。
とはいえ、これは自分がこの本の適正年齢ではないからだと思う。
きっと高校生くらいに読むと、きゅんとしながら面白く読めたんだろうなぁとおもうと残念。
【その夜―。関沼慶子は散弾銃を抱え、かつて恋人だった男の披露宴会場に向かっていた。
すべてを終わらせるために。
一方、釣具店勤務の織口邦男は、客の慶子が銃を持っていることを知り、
ある計画を思いついていた。
今晩じゅうに銃を奪い、「人に言えぬ目的」を果たすために。
いくつもの運命が一夜の高速道路を疾走する。
人間の本性を抉るノンストップ・サスペンス。】
1992年、25年ほど前の作品です。
『魔術はささやく』からほとんどの作品を読んでいたのに
なんでだろう、読んでなかったのか、乱読しすぎて読んだのに忘れているのか?
母の入院で病院に通っていて、病棟の談話室には
退院されて置いていかれた本や雑誌がたくさん置いてあります。
その中で、ほぼ新品で置かれていたので母の入院中によんで
退院前日に無事読み終わりました。
死刑反対や、加害者の人権や未来、更生について声高に叫ぶ団体や
TVのコメンテーターがいますが
自分の子や、親、兄弟が無残に殺されて
それでも加害者に人権を!未来がある若者!などという広い心を持ち合わせない私には
被害者が復讐したいと言うなら、なにか協力してあげられることは無いか?と思ってしまいます。
25年前に読んでいればもっと話に入っていけたのですが
なんせ今と時代が違うので、えっと思う場面が多く、
あの頃って、まだNシステムとかなかったのかな?
高速で車を奪って逃走って、すぐつかまりそうだから
そこまで乗ってきた車を使うほうが安全でいいと思うんだけど、とか。
ところどころ納得できないところがあるものの
スネーク(怪物)になってしまわざるを得なかった人たちが悲しい。
そして結果、その責をみんな負ってしまったけれど
初期の頃の宮部みゆきは、弱者に本当に優しい、うまく書くなぁと感心しました。
関沼さんを殺そうとした弁護士?研修生?の国分が
弁護士資格はく奪されたかなぁとそれだけが気になりました。
すべてを終わらせるために。
一方、釣具店勤務の織口邦男は、客の慶子が銃を持っていることを知り、
ある計画を思いついていた。
今晩じゅうに銃を奪い、「人に言えぬ目的」を果たすために。
いくつもの運命が一夜の高速道路を疾走する。
人間の本性を抉るノンストップ・サスペンス。】
1992年、25年ほど前の作品です。
『魔術はささやく』からほとんどの作品を読んでいたのに
なんでだろう、読んでなかったのか、乱読しすぎて読んだのに忘れているのか?
母の入院で病院に通っていて、病棟の談話室には
退院されて置いていかれた本や雑誌がたくさん置いてあります。
その中で、ほぼ新品で置かれていたので母の入院中によんで
退院前日に無事読み終わりました。
死刑反対や、加害者の人権や未来、更生について声高に叫ぶ団体や
TVのコメンテーターがいますが
自分の子や、親、兄弟が無残に殺されて
それでも加害者に人権を!未来がある若者!などという広い心を持ち合わせない私には
被害者が復讐したいと言うなら、なにか協力してあげられることは無いか?と思ってしまいます。
25年前に読んでいればもっと話に入っていけたのですが
なんせ今と時代が違うので、えっと思う場面が多く、
あの頃って、まだNシステムとかなかったのかな?
高速で車を奪って逃走って、すぐつかまりそうだから
そこまで乗ってきた車を使うほうが安全でいいと思うんだけど、とか。
ところどころ納得できないところがあるものの
スネーク(怪物)になってしまわざるを得なかった人たちが悲しい。
そして結果、その責をみんな負ってしまったけれど
初期の頃の宮部みゆきは、弱者に本当に優しい、うまく書くなぁと感心しました。
関沼さんを殺そうとした弁護士?研修生?の国分が
弁護士資格はく奪されたかなぁとそれだけが気になりました。
本日、退院。
すごい!
入院後、2週間の日に先生から、いつでも退院できますとお話があり
きょう無事退院しました。
入院時は年齢的に3週間とか1ヶ月かかると言われていましたが
手術から2週間の退院となりました。
手術する前はもうこれで終わりかと思ったけれど
いまの医療技術はすごい。
85歳なのに、手術前と変わらず元気です。
腹腔鏡手術の回復の速さ、術後も動くと皮膚が引っ張られるのが気になると言っていたものの
ほぼ痛みがなく、もちろん肛門と尿のチューブがついたままの状態が
数日続いたため気持ちの悪さや痛さはあっただろうに
それでもチューブが外れてからは、まったく普通の入院生活で
食事も普通。
先生からのお話の際に
切り取ったリンパの組織検査の結果がでて
周辺リンパへの転移が0だったので、他の場所への転移は今のところ見られないという
うれしい結果が出ました。
この年齢で化学療法はきついし、そうなれば諦めるしかないかと思っていたので
ほんとうによかった。
切り取った癌の画像も見せていただきましたが
周辺リンパを合わせて20cmの大きさで、重さでいうと1kgほどを摘出したと言う。
こんな大量のものをお腹の4cmの切り口から取り出すなんてすごい。
切除した腸の接着が問題なく
人工肛門の心配もなくなりました。
ガンの切除
リンパの転移
人工肛門
この3つをすべてクリアできて、先生方が丁寧に手術していただいたおかげで
感謝しかありません。
母は毎日残さず食事もとれるようになったのですが
先生からは「残さず食べなくていいです、これ以上太らないで」と注意を受けました。
母と、上の姉はまったく同じ体型で
お腹だけが中年のおじさんのようにぽっこり、それも妊婦かと思うほどで
どうしてあんなになったのか、七不思議。
手術の際も、先生がお腹の脂肪で腸まで届くのが大変だったと苦言もあり
リハビリ病院にいたときも、お腹が大きすぎて屈んだり腹筋を使うことが出来ないと言われました。
先生からは、お腹が大きくなったら皮がはちきれて、傷口ぱかっと開くこともありますよ!と
今後の注意を受け、
太っていると体に負担をかけていろんな病気になりやすく
何を食べてもいいけど、たべる量は気を付けてと説明され
きょう、退院のご挨拶のときにも
体重を増やさないように、太らないようにと再度注意をうけました。
私より10cm低いのに、わたしより体重あるし
はじめは気を付けても、すぐに忘れちゃうからなぁ
運動というのもしたことがないので、
もっと歩かないとといううものの、すり足が癖で、足を上げて歩くことが出来ず
あまり運動にはならないし。
昨年9月から始まった私の病院詣もやっと終わりましたが
腸が短くなった分、便意を我慢できずすぐ漏らしてしまう危険があり
肛門に数日チューブを入れていたため
肛門が緩くなって便意を感じないまま出ることがあり
日中ひとりではなかなか生活しづらいし
お出かけに付き添いも必要だろうし、実家通いが終わることはなさそうです。
すごい!
入院後、2週間の日に先生から、いつでも退院できますとお話があり
きょう無事退院しました。
入院時は年齢的に3週間とか1ヶ月かかると言われていましたが
手術から2週間の退院となりました。
手術する前はもうこれで終わりかと思ったけれど
いまの医療技術はすごい。
85歳なのに、手術前と変わらず元気です。
腹腔鏡手術の回復の速さ、術後も動くと皮膚が引っ張られるのが気になると言っていたものの
ほぼ痛みがなく、もちろん肛門と尿のチューブがついたままの状態が
数日続いたため気持ちの悪さや痛さはあっただろうに
それでもチューブが外れてからは、まったく普通の入院生活で
食事も普通。
先生からのお話の際に
切り取ったリンパの組織検査の結果がでて
周辺リンパへの転移が0だったので、他の場所への転移は今のところ見られないという
うれしい結果が出ました。
この年齢で化学療法はきついし、そうなれば諦めるしかないかと思っていたので
ほんとうによかった。
切り取った癌の画像も見せていただきましたが
周辺リンパを合わせて20cmの大きさで、重さでいうと1kgほどを摘出したと言う。
こんな大量のものをお腹の4cmの切り口から取り出すなんてすごい。
切除した腸の接着が問題なく
人工肛門の心配もなくなりました。
ガンの切除
リンパの転移
人工肛門
この3つをすべてクリアできて、先生方が丁寧に手術していただいたおかげで
感謝しかありません。
母は毎日残さず食事もとれるようになったのですが
先生からは「残さず食べなくていいです、これ以上太らないで」と注意を受けました。
母と、上の姉はまったく同じ体型で
お腹だけが中年のおじさんのようにぽっこり、それも妊婦かと思うほどで
どうしてあんなになったのか、七不思議。
手術の際も、先生がお腹の脂肪で腸まで届くのが大変だったと苦言もあり
リハビリ病院にいたときも、お腹が大きすぎて屈んだり腹筋を使うことが出来ないと言われました。
先生からは、お腹が大きくなったら皮がはちきれて、傷口ぱかっと開くこともありますよ!と
今後の注意を受け、
太っていると体に負担をかけていろんな病気になりやすく
何を食べてもいいけど、たべる量は気を付けてと説明され
きょう、退院のご挨拶のときにも
体重を増やさないように、太らないようにと再度注意をうけました。
私より10cm低いのに、わたしより体重あるし
はじめは気を付けても、すぐに忘れちゃうからなぁ
運動というのもしたことがないので、
もっと歩かないとといううものの、すり足が癖で、足を上げて歩くことが出来ず
あまり運動にはならないし。
昨年9月から始まった私の病院詣もやっと終わりましたが
腸が短くなった分、便意を我慢できずすぐ漏らしてしまう危険があり
肛門に数日チューブを入れていたため
肛門が緩くなって便意を感じないまま出ることがあり
日中ひとりではなかなか生活しづらいし
お出かけに付き添いも必要だろうし、実家通いが終わることはなさそうです。
【高級住宅地に住むエリート一家で起きたセンセーショナルな事件。
遺されたこどもたちは、どのように生きていくのか。
その家族と向かいに住む家族の視点から、事件の動機と真相が明らかになる。】
毎日のように1時間以上電車に乗っているので
なるべく分厚い文庫本をと図書館で借りてきたものの
2日ほどで読んでしまった。。。
感想
くだらない話だなぁと読んでてばからしくなった。
ストーリーというより登場人物に。
主婦のおばちゃんって本当になんなんだろう
きっとこの人たち、ひとりでランチとかヒトカラとかひとりで映画とか
絶対しない人たちなんだな。
高校とか短大卒業して2-3年ほどで結婚して家庭に入ってという
昭和後期や平成前半の主婦。
ご主人に依存して生活しているからこうなっちゃうのか?
いつも他人の目を気にして
自分がどう見られているか、それでいて自分も人のことが気になって気になって
「あなたそんな注目されていませんよ」
「そんなこと誰もおもってませんよ」と言いたい。
結局は暇なんだろうな
あまりにも登場する主婦3人(娘の友達のお母さんや主婦の妹までいれると5人)
長男の彼女も隣家の娘も気持ち悪い。
いらいらして肝心の話がどうでもよくなり
途中でよむのもやめようと思ったくらい。
これは「ひばりが丘」という狭い造成宅地内の出来事で
もっと広い世界もあるから
いろんな人がいて、いろんな人生があって、いろんな考え方があって
だから一つのことに凝り固まって、頭もがちがちにして人生終えるなんて
面白くないでしょ。
もっと自由に生きてみたらいいんじゃないか 思わせるという話です。
あれ?なんか殺人事件じゃないみたいな説明になっている、
と主婦歴1年の私の感想です。
遺されたこどもたちは、どのように生きていくのか。
その家族と向かいに住む家族の視点から、事件の動機と真相が明らかになる。】
毎日のように1時間以上電車に乗っているので
なるべく分厚い文庫本をと図書館で借りてきたものの
2日ほどで読んでしまった。。。
感想
くだらない話だなぁと読んでてばからしくなった。
ストーリーというより登場人物に。
主婦のおばちゃんって本当になんなんだろう
きっとこの人たち、ひとりでランチとかヒトカラとかひとりで映画とか
絶対しない人たちなんだな。
高校とか短大卒業して2-3年ほどで結婚して家庭に入ってという
昭和後期や平成前半の主婦。
ご主人に依存して生活しているからこうなっちゃうのか?
いつも他人の目を気にして
自分がどう見られているか、それでいて自分も人のことが気になって気になって
「あなたそんな注目されていませんよ」
「そんなこと誰もおもってませんよ」と言いたい。
結局は暇なんだろうな
あまりにも登場する主婦3人(娘の友達のお母さんや主婦の妹までいれると5人)
長男の彼女も隣家の娘も気持ち悪い。
いらいらして肝心の話がどうでもよくなり
途中でよむのもやめようと思ったくらい。
これは「ひばりが丘」という狭い造成宅地内の出来事で
もっと広い世界もあるから
いろんな人がいて、いろんな人生があって、いろんな考え方があって
だから一つのことに凝り固まって、頭もがちがちにして人生終えるなんて
面白くないでしょ。
もっと自由に生きてみたらいいんじゃないか 思わせるという話です。
あれ?なんか殺人事件じゃないみたいな説明になっている、
と主婦歴1年の私の感想です。
帰省。
関西に戻り、主人の実家に日帰りで帰ったのは結局1回だけ。
お正月2日の日に年始のあいさつに伺う予定だったのに
また泊まりか!
それも急に決まったため
義父が31日に病院から戻ってくる。
病院では昼ご飯をたべて夕方迎えに来てくださいと言われていたが
父から朝に家に帰りたいと連絡があったたため
主人が早朝実家へ帰りました。
私は、母の手術があったため家の掃除も洗濯もしてなくて
早朝から洗濯3回して、マットも全部洗い
ベランダ掃除、お風呂、洗面所を掃除して
床の水拭きだけして(窓はもう無理)
神棚も準備だけして
おせちのお重が13時前にとどき、それを冷蔵庫になんとか押し込んで
主人が打ってくれたソバをお昼に食べ
なんとかお正月を迎える準備完了させて
主人の実家へ移動しました。
もう、すでに疲れている。。。
家に帰ってきた父は、元気とはいえ
お腹大きくて動けないし、ソファーに座ったきり。
義母が生きていた頃、雑多だった実家も
義父は結構マメで、いつもきれいにしていて、新しい家電を次々買ったりして
生活空間としては暮らしやすくなっていたはずなのに
家は埃だらけで、あちこちに大量の服が脱ぎっぱなし
仏間も、いつも泊っていたいた客間も足の踏み場がなく、
毎年、7月末の母の命日に合わせて送っている花も
枯れた状態で、仏壇前にお供えしたまま。
7月末にお参り時に父とご飯に行った際は元気で
家もきれいに片付いていたのに
そのあとすぐ体調が悪くなって整理も出来なくなっていたのか。
これ、在宅看護とか無理だな。
とりあえず、仏間だけ片付けて掃除機かけて布団敷く準備はしたが
数回かけて家全部掃除しないとダメだ。
いつも父が鍋の用意やあれこれしてくれてたのに
そういう訳に行かないので
人の家の台所、ただでさえ使いにくいのに
とにかく汚い、ここで料理をするのか。。。
田舎なので、台所も広いだけあって極寒だし。
準備から片付けとか次々用事があって
結局、ガキ使も紅白もほとんど見られなかったし
見たいと思ってた『映像の世紀』も全く見られなかった。
そして、小学生以来だよ、大みそかなのに11時半には寝てしまった。
あーージャニースのカウコン予約しとけばよかった。。
カウントダウンCDも見たかった。。。
1日もお雑煮作るのに6時前から起きだし
おせちをいただいて、11時には早々にお暇しました。
(父が2日まで病院に帰らないと言うので主人は残った)
大阪に戻り、一旦自宅に戻ってお昼を食べて
あーーもう疲れて無理。
兵庫→大阪→ こんどは京都へ
母の病院へいくと、お昼に野菜や魚のお重がでて、全部食べることが出来たと
喜んでいました。
ご飯は3分がゆでしたが、おかずは柔らかく煮てあって
この状態でお重が出ると思ってなかったので
とてもうれしかったようです。
点滴もはずれて、明日には尿のチューブも外れるということで
とりあえず、大きな山は越えてほっとしました。
義父のほうは、新興宗教に嵌ったりして
その関係者が病院に出入りしてるのが気になって
母にも、こっちはいいから、向こうの病院に行って
お金持ち出されたりややこしい人が近づかないように
なるべくお父さんが目の届くところにいるようにと言われたが
京都の街中に簡単に行けるのと違って
大阪からでも2時間近くかかる。
なにしろ病院が駅から1時間に1回のバスで20分ほどかかるので
駅前でカーシェア借りていくのがいいのか。
JRの昼得も廃止されたせいで交通費だけで往復3000円かかる。
向こうの家は汚いし泊るのは嫌だし
困った困った。
義父には、在宅看護は無理だから病院に戻ってと主人が話してくれて
自分の父親を自宅で看取ったため
義父の気持ちはわかるので、なるべく在宅の方向でと私は考えていたけれど
家までのアクセスが病院よりさらに悪いし
この辺りは灯油を売りに来ないそうで
1日1回はガソスタまで車で灯油を買いにいって、補充しないといけないが
そんなん私には絶対無理なので
父には病院に戻るで納得してもらうしかない。
もう何もかも私には無理なことばかりで
わたしは、サラリーマンとして朝から夜遅くまで働いて
ご飯や洗濯するくらいの、世間のお父さんのようなことしかできず
介護や車で買い物行ってご飯作って、人の送り迎えしてという主婦にはなれないんです!
ほんとうに絶対無理だ、もう無理だ。
母の病院で2時間ほど話して、
毎年1月1日は、家族全員集まっての新年会に行くため
母を残して姉と病院を出た。
ことしは、母も主人も来れないため
5人という寂しい新年会。
やっぱり健康で家族がそろって食事をできるなんて
一番なによりも幸せなことだと思う。
来年は母も主人も参加できるだろう。
やっぱり元旦に家族で食事するのって
楽しいし、にぎやかだし疲れも吹き飛ぶ。
亡くなった父が、亡くなったその年の元旦のこの場で
「来年は自分は参加できないけど、自分がいなくても
毎年、元旦に皆で集まって、来年からは割り勘にして続けてください」と。
2日は母にも「病院にはいかない
ゆっくりひとりなので、一日TVみて寝てるから」と言ったので
きょうは、のんびりお正月です。
関西に戻り、主人の実家に日帰りで帰ったのは結局1回だけ。
お正月2日の日に年始のあいさつに伺う予定だったのに
また泊まりか!
それも急に決まったため
義父が31日に病院から戻ってくる。
病院では昼ご飯をたべて夕方迎えに来てくださいと言われていたが
父から朝に家に帰りたいと連絡があったたため
主人が早朝実家へ帰りました。
私は、母の手術があったため家の掃除も洗濯もしてなくて
早朝から洗濯3回して、マットも全部洗い
ベランダ掃除、お風呂、洗面所を掃除して
床の水拭きだけして(窓はもう無理)
神棚も準備だけして
おせちのお重が13時前にとどき、それを冷蔵庫になんとか押し込んで
主人が打ってくれたソバをお昼に食べ
なんとかお正月を迎える準備完了させて
主人の実家へ移動しました。
もう、すでに疲れている。。。
家に帰ってきた父は、元気とはいえ
お腹大きくて動けないし、ソファーに座ったきり。
義母が生きていた頃、雑多だった実家も
義父は結構マメで、いつもきれいにしていて、新しい家電を次々買ったりして
生活空間としては暮らしやすくなっていたはずなのに
家は埃だらけで、あちこちに大量の服が脱ぎっぱなし
仏間も、いつも泊っていたいた客間も足の踏み場がなく、
毎年、7月末の母の命日に合わせて送っている花も
枯れた状態で、仏壇前にお供えしたまま。
7月末にお参り時に父とご飯に行った際は元気で
家もきれいに片付いていたのに
そのあとすぐ体調が悪くなって整理も出来なくなっていたのか。
これ、在宅看護とか無理だな。
とりあえず、仏間だけ片付けて掃除機かけて布団敷く準備はしたが
数回かけて家全部掃除しないとダメだ。
いつも父が鍋の用意やあれこれしてくれてたのに
そういう訳に行かないので
人の家の台所、ただでさえ使いにくいのに
とにかく汚い、ここで料理をするのか。。。
田舎なので、台所も広いだけあって極寒だし。
準備から片付けとか次々用事があって
結局、ガキ使も紅白もほとんど見られなかったし
見たいと思ってた『映像の世紀』も全く見られなかった。
そして、小学生以来だよ、大みそかなのに11時半には寝てしまった。
あーージャニースのカウコン予約しとけばよかった。。
カウントダウンCDも見たかった。。。
1日もお雑煮作るのに6時前から起きだし
おせちをいただいて、11時には早々にお暇しました。
(父が2日まで病院に帰らないと言うので主人は残った)
大阪に戻り、一旦自宅に戻ってお昼を食べて
あーーもう疲れて無理。
兵庫→大阪→ こんどは京都へ
母の病院へいくと、お昼に野菜や魚のお重がでて、全部食べることが出来たと
喜んでいました。
ご飯は3分がゆでしたが、おかずは柔らかく煮てあって
この状態でお重が出ると思ってなかったので
とてもうれしかったようです。
点滴もはずれて、明日には尿のチューブも外れるということで
とりあえず、大きな山は越えてほっとしました。
義父のほうは、新興宗教に嵌ったりして
その関係者が病院に出入りしてるのが気になって
母にも、こっちはいいから、向こうの病院に行って
お金持ち出されたりややこしい人が近づかないように
なるべくお父さんが目の届くところにいるようにと言われたが
京都の街中に簡単に行けるのと違って
大阪からでも2時間近くかかる。
なにしろ病院が駅から1時間に1回のバスで20分ほどかかるので
駅前でカーシェア借りていくのがいいのか。
JRの昼得も廃止されたせいで交通費だけで往復3000円かかる。
向こうの家は汚いし泊るのは嫌だし
困った困った。
義父には、在宅看護は無理だから病院に戻ってと主人が話してくれて
自分の父親を自宅で看取ったため
義父の気持ちはわかるので、なるべく在宅の方向でと私は考えていたけれど
家までのアクセスが病院よりさらに悪いし
この辺りは灯油を売りに来ないそうで
1日1回はガソスタまで車で灯油を買いにいって、補充しないといけないが
そんなん私には絶対無理なので
父には病院に戻るで納得してもらうしかない。
もう何もかも私には無理なことばかりで
わたしは、サラリーマンとして朝から夜遅くまで働いて
ご飯や洗濯するくらいの、世間のお父さんのようなことしかできず
介護や車で買い物行ってご飯作って、人の送り迎えしてという主婦にはなれないんです!
ほんとうに絶対無理だ、もう無理だ。
母の病院で2時間ほど話して、
毎年1月1日は、家族全員集まっての新年会に行くため
母を残して姉と病院を出た。
ことしは、母も主人も来れないため
5人という寂しい新年会。
やっぱり健康で家族がそろって食事をできるなんて
一番なによりも幸せなことだと思う。
来年は母も主人も参加できるだろう。
やっぱり元旦に家族で食事するのって
楽しいし、にぎやかだし疲れも吹き飛ぶ。
亡くなった父が、亡くなったその年の元旦のこの場で
「来年は自分は参加できないけど、自分がいなくても
毎年、元旦に皆で集まって、来年からは割り勘にして続けてください」と。
2日は母にも「病院にはいかない
ゆっくりひとりなので、一日TVみて寝てるから」と言ったので
きょうは、のんびりお正月です。
母の手術が終わってほっとしたのもつかの間、
朝起きた主人が、いまから父の病院にいくという。
昨日、弟から連絡があり
父が入院し、末期がんで先がないという
医師から家族に病状説明があるということで
主人と一緒にあわてて病院にかけつけました。
父は昔の集団接種の影響で肝炎を患っていて
10年ほど前? 父からやっと寛かいしたと聞いていました。
先生の話では
肝炎に寛かいというのはなく、肝炎になると癌の発症率が高いため
定期的に健診しなくてはいけない
父も最初の2年ほどは半年に1度ほど検診に来ていたのに
あるときからばったり姿をみせなくなり
2年後、急に現れてそのときに肝臓に1cmの癌みつかり
場所がよくて切ればすぐに問題ないと言うことだったのに
それ以来ぱったり来なくなり、
2年前に急に検診に来た時に、6cmになっていて
いまなら手術できるし、命にかかわることもないと説明したものの
まったく姿を見せなくなり
今年の12月中旬に近くのクリニックにかかって病院に行くように言われ
ここに現れたが、癌は20cmで先生もいまだ見たことがない大きさで
腹水がたまっていて、血液が流れだしていて
お腹をさしたら血が噴き出すほどだった。
それをいくら説明しても本人は理解していなくて
前からガンにかかっていたことすらとぼけた様子で話にならない。
もういつ亡くなってもおかしくない状態で
長くて1ヶ月だという。
父は正月に家に帰りたいと言っているし
最後だから本人の好きにさせてあげてくださいと。
この先生の話をきいて
たしか6-7年前くらいからだったか
アムウェイではないけれど、おなじネズミで
洗剤やら歯磨き粉、食品を買いだして
私も買ってと勧められたが断って。
それ以外にも、寝る時の電気のマットやソファーなど
何百万もするようなものを買いだして
その時に
「兄が痴ほう症になって自分は気を付けないといけないと思った」から
まぁ父のお金だし、それで本人が健康になったとおもえばいいかと
思っていたけれど
いま思えば、癌と言われてそっちに走ったのか。
主人は「まだ若かったから切ればすぐ治ったのに、逃げただけ」と言ってるけれど
もしその時に切っていればなんとかなったかもしれないけれど
もう今死ぬ段階で、お知らせされても。。。
とりあえず年末父が家にかえるため
主人も実家へかえり、私も年末年始は向こうの家で過ごしますが
こっちも母のこともあるし
85歳の母がどうなるかわからない大手術をうけたのに
60代だった父がステージ1で運よく見つかった癌を放置していたことに
腹はたつし、情けないし。
こんなにバタバタしてゆっくりできない正月を送ることになるとは。。。
朝起きた主人が、いまから父の病院にいくという。
昨日、弟から連絡があり
父が入院し、末期がんで先がないという
医師から家族に病状説明があるということで
主人と一緒にあわてて病院にかけつけました。
父は昔の集団接種の影響で肝炎を患っていて
10年ほど前? 父からやっと寛かいしたと聞いていました。
先生の話では
肝炎に寛かいというのはなく、肝炎になると癌の発症率が高いため
定期的に健診しなくてはいけない
父も最初の2年ほどは半年に1度ほど検診に来ていたのに
あるときからばったり姿をみせなくなり
2年後、急に現れてそのときに肝臓に1cmの癌みつかり
場所がよくて切ればすぐに問題ないと言うことだったのに
それ以来ぱったり来なくなり、
2年前に急に検診に来た時に、6cmになっていて
いまなら手術できるし、命にかかわることもないと説明したものの
まったく姿を見せなくなり
今年の12月中旬に近くのクリニックにかかって病院に行くように言われ
ここに現れたが、癌は20cmで先生もいまだ見たことがない大きさで
腹水がたまっていて、血液が流れだしていて
お腹をさしたら血が噴き出すほどだった。
それをいくら説明しても本人は理解していなくて
前からガンにかかっていたことすらとぼけた様子で話にならない。
もういつ亡くなってもおかしくない状態で
長くて1ヶ月だという。
父は正月に家に帰りたいと言っているし
最後だから本人の好きにさせてあげてくださいと。
この先生の話をきいて
たしか6-7年前くらいからだったか
アムウェイではないけれど、おなじネズミで
洗剤やら歯磨き粉、食品を買いだして
私も買ってと勧められたが断って。
それ以外にも、寝る時の電気のマットやソファーなど
何百万もするようなものを買いだして
その時に
「兄が痴ほう症になって自分は気を付けないといけないと思った」から
まぁ父のお金だし、それで本人が健康になったとおもえばいいかと
思っていたけれど
いま思えば、癌と言われてそっちに走ったのか。
主人は「まだ若かったから切ればすぐ治ったのに、逃げただけ」と言ってるけれど
もしその時に切っていればなんとかなったかもしれないけれど
もう今死ぬ段階で、お知らせされても。。。
とりあえず年末父が家にかえるため
主人も実家へかえり、私も年末年始は向こうの家で過ごしますが
こっちも母のこともあるし
85歳の母がどうなるかわからない大手術をうけたのに
60代だった父がステージ1で運よく見つかった癌を放置していたことに
腹はたつし、情けないし。
こんなにバタバタしてゆっくりできない正月を送ることになるとは。。。
手術の2日前に京大に入院しました。
入院してからは、外科の先生からの説明があり
開腹でなく、腹腔鏡でするとの話で
1時間ほど時間は余分にかかるが、体力的に問題なく
術後の回復がぜんぜん楽なので、という話でした。
これをきいて、あー死ぬのかなぁとおもっていた気持ちがうんと楽になりました。
5mmの穴を2つ、1.5mmの穴を2つ、
切除した腸を取り除くためにおへその下を4cm
先生曰く、ちょっとした切り傷でも痛いから、術後はやっぱり痛いですが
痛みどめの点滴をするから大丈夫ということでした。
可能性もあるということで、人工肛門の説明をうけて
母も私もショックを隠せませんでした。
手術当日は、母は3時まで眠れなかったそうで
私も亡くなった父を思い出したりして、ほとんど眠れず朝の4時には布団から出てしまいました。
朝の挨拶に先生が病室に来られて
いつものように明るく励ましていただき、すこし安心したものの
母が手術室に入るときには
「絶対もどって来なあかんで、絶対戻ってきてや」と
もうこれが母と最期の会話になるかもしれないと涙が止まりませんでいた。
午後3時を過ぎて、手術室から戻ってきた母は
思っていたより意識もしっかりしていて
人工肛門にもならず、リンパに転移しているかは結果に10日ほどかかるということでした。
腸閉塞で手術室に入ったままもどって来れなかった伯母が
助けてくれたのかなぁ
父のお墓にも、伯母のお墓にも、祖父母のお墓にも
石きりさんにも行った、
みんなが守ってくれたおかげです。
翌日の朝も傷の痛みは体を動かしたときくらいで
お腹空いてしにそう、水が早く飲みたい!といつもの母で
看護師さんが歩かせてくれても
お腹すきすぎて倒れそう、無理無理と言いながらも自分の足で歩いていました。
これで10日ほど、切除した腸がきちんと接合されて
便がもれてこなければ人口肛門の心配もなくなります。
京大の先生方は
消化器内科の先生も、外科の先生方も
とにかく説明が丁寧で、わかりやすく、こちらの質問にも真摯に答えてくれて
安心して手術が受けられました。
姉が、父が京大で受診していたら、癌の手術も受けて
いまでも元気でぴんぴんしていたのにと
90歳くらいのお年寄りを見るたびに
父が元気でいられるはずだったのに悔しいと言います。
私も父があんな病院で
高圧的で患者をバカにする酷い態度で
あそこにかからなけれぼ父はいまも元気にくらしていただろうに
京大でみてもらえた母は本当に幸運だったと思います。
入院してからは、外科の先生からの説明があり
開腹でなく、腹腔鏡でするとの話で
1時間ほど時間は余分にかかるが、体力的に問題なく
術後の回復がぜんぜん楽なので、という話でした。
これをきいて、あー死ぬのかなぁとおもっていた気持ちがうんと楽になりました。
5mmの穴を2つ、1.5mmの穴を2つ、
切除した腸を取り除くためにおへその下を4cm
先生曰く、ちょっとした切り傷でも痛いから、術後はやっぱり痛いですが
痛みどめの点滴をするから大丈夫ということでした。
可能性もあるということで、人工肛門の説明をうけて
母も私もショックを隠せませんでした。
手術当日は、母は3時まで眠れなかったそうで
私も亡くなった父を思い出したりして、ほとんど眠れず朝の4時には布団から出てしまいました。
朝の挨拶に先生が病室に来られて
いつものように明るく励ましていただき、すこし安心したものの
母が手術室に入るときには
「絶対もどって来なあかんで、絶対戻ってきてや」と
もうこれが母と最期の会話になるかもしれないと涙が止まりませんでいた。
午後3時を過ぎて、手術室から戻ってきた母は
思っていたより意識もしっかりしていて
人工肛門にもならず、リンパに転移しているかは結果に10日ほどかかるということでした。
腸閉塞で手術室に入ったままもどって来れなかった伯母が
助けてくれたのかなぁ
父のお墓にも、伯母のお墓にも、祖父母のお墓にも
石きりさんにも行った、
みんなが守ってくれたおかげです。
翌日の朝も傷の痛みは体を動かしたときくらいで
お腹空いてしにそう、水が早く飲みたい!といつもの母で
看護師さんが歩かせてくれても
お腹すきすぎて倒れそう、無理無理と言いながらも自分の足で歩いていました。
これで10日ほど、切除した腸がきちんと接合されて
便がもれてこなければ人口肛門の心配もなくなります。
京大の先生方は
消化器内科の先生も、外科の先生方も
とにかく説明が丁寧で、わかりやすく、こちらの質問にも真摯に答えてくれて
安心して手術が受けられました。
姉が、父が京大で受診していたら、癌の手術も受けて
いまでも元気でぴんぴんしていたのにと
90歳くらいのお年寄りを見るたびに
父が元気でいられるはずだったのに悔しいと言います。
私も父があんな病院で
高圧的で患者をバカにする酷い態度で
あそこにかからなけれぼ父はいまも元気にくらしていただろうに
京大でみてもらえた母は本当に幸運だったと思います。
【AVでレイプされ、失踪した一色リナの捜索依頼を受けた村野ミロは、
行方を追ううちに業界の暗部に足を踏み入れた。
女性依頼人が殺害され、自身に危険が及ぶ中、ようやくつかんだリナ出生の秘密。
それが事件を急展開させた…。乱歩賞受賞直後に刊行された圧巻の社会派ミステリー。】
シリーズものの2作目だということでしたが
前作読んでいなくても問題なく読めました。
この作品、20年以上前の作品だけど
ここ2-3年前から問題になっているAVの契約問題とか
だましてAVに出させるとか、古いけれど新しい題材だなぁと感じました。
携帯が普及していない時代が舞台なので
連絡が夜に家に帰ってからって。。ベルもない時代なんだろうか。
話しはもっとハードボイルドな感じかと思ったらそうでもなく
途中で、この人がキーだと思った人がキーだったり
わかりやすい内容で
飽きずに最後まで読めて良かったです。
行方を追ううちに業界の暗部に足を踏み入れた。
女性依頼人が殺害され、自身に危険が及ぶ中、ようやくつかんだリナ出生の秘密。
それが事件を急展開させた…。乱歩賞受賞直後に刊行された圧巻の社会派ミステリー。】
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この作品、20年以上前の作品だけど
ここ2-3年前から問題になっているAVの契約問題とか
だましてAVに出させるとか、古いけれど新しい題材だなぁと感じました。
携帯が普及していない時代が舞台なので
連絡が夜に家に帰ってからって。。ベルもない時代なんだろうか。
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
(。'(ェ)'。)ノ.。・:*:・°'☆♪
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