弟にはN氏には気をつけろと注意されていたにも関わらず
私は、N氏が来るのを病室で待っていましたが
結局父が亡くなるまでの3日間、N氏は病室に来ませんでした。
その週の頭に
N氏が、宗教施設で無農薬で作っていると言うみかんを
私が帰った後にきて、みかんを押し売りしていたことで
私が父を激怒しました。
そのみかんは、あきらかにきれいなみかんで
父に指摘したところ
「1個1個丁寧に手をかけて作っている」というので
「お父さん、作ってること見に行ってないのに
そんなのどうしてわかるの?」と言うと、
「そうかもしれん」
父も少しは怪しいと考えれられるようになったか?
毎日400円を病院に支払、パジャマやタオルの交換を頼んでいて
ティッシュBOXの消耗品もその料金に入っています。
みかん押売りの翌日、病院に行くと、高級ティッシュボックスがあり
「これなに?」と聞くと
「N氏がティッシュ少なくなってるといって、買ってもってきてくれた」
「お金払ったの?」
「払った」
「また押し売りか、これは病院にお金払ってティッシュも交換してもらえるの
こんな無駄なことしないで
N氏には、勝手に買い物しないでって前に注意したこと
お父さんもしってるよね、どういうつもり?
なんで断らないの、買い物は家族だけ」 と怒った経緯があって
そのことを注意したいのと借金がある事実だけでも伝えなければと
待ち構えていましたが
結局会うことはありませんでした。
たぶん最後に病室に来た時
もうこれは今週もたないなと思ったのでしょう
(特殊な能力なくても誰でも見たらそう思う)
あと父と毎日電話で話しながら、もう会話が聞き取れなくなって
そろそろ終わりとも思っていたでしょう。
父が亡くなる朝、ちょうど生死をさまよっているときで
N氏からかかってきた電話に父がでれなかったことで
「もう死んだ」と確認したのかもしれません。
その電話以降、電話を解約するまでの5日間
電話が鳴ることも、メールが入ることもありませんでした。
その後、病院にきたかどうかも知りません。
実は、ずいぶん前にお見舞いに来てくださった父の友人から
自分の親戚が同じ宗教にかかわってしまい
葬式に集団で乗り込んで来られて、
こちらの制止も聞かず
自分たちの思うように勝手にされたので
最後まで気を抜かずに注意しないといけないよと
忠告いただいたので
N氏から紹介された葬儀社も使用しなかったし
自宅は知っていても、N氏には車がないため
こないだろうし、もう完全に縁がきれて
正直、負のオーラから解放され
ほっとしています。
父が結局借金のことを言ったかどうかは分かりませんが
N氏母親には弟が借金のことを言ってあるため
家族が知った以上、ヤバイと思って
病院にも来なくなり、身を引いたのだと思っています。
特に、N氏もN氏母も長男の妻である私が
理論武装で攻め立てるのに応戦できず、
私に対しては本当に苦手な態度が顔に出ていたため
私に責められるのは明らかだし。
ゴルフ仲間の数人の方も、三男がN氏に付きまとわれていないかと
心配して連絡いただいた方もいましたが
本当にもういまはとりあえず安堵しました。
父が亡くなる前の日曜日
N氏が一人の男性を連れてきました。
父が「NA先生」とよぶその男NA氏
休日、家族が全員そろっていたときに来たため
私が父に激怒し、NA氏が引き下がってすぐに帰ってしまったのですが
そのNA氏について父に問いただすと
その教団のその地区の一番偉い人で
すごい能力があって
そのNA氏に
「しこりは手かざしで治る」と言われたそうです。
私は、とても大事なことなので
父に2度確認しました。
「お父さん、NA氏は、
お父さんに、(しこりは手かざしで治る)って言ったのね」と
「そう」と答えた父に
「大事なことだからもう一回確認するけど
本当にそういわれたのね?」と聞くと
「そう、しこりは治るって」
出直しますと言って去ったNA氏に
そのことを、NA氏の口からきいて、必ず録音して残そうと思っていましたが
結局、つぎに来たのは
その日の19時過ぎで会うことはできず、
きちんと確認できなかったことだけが心残りです。
いくら信仰したところで、癌は信仰でも手かざしでも
治療などできません。
せいぜい精神が安定するくらいでしょう。
実際、父の1cmで見つかった癌は、順調に進行して肥大し
入院時は20cmもの大きさになり
腹水は16kgも溜まって、
入院中も腹水の量が減ることなどありませんでした。
薬は毒、薬を飲むと死ぬとか
輸血は悪 などという考えを父に植え付け、治療すら受けさせなかった
(ガンと知っていながら治療うけることをすすめなかった)
NA氏が代表をつとめる団体は
絶対、信用できない危険な団体です。
川島なおみさんだって、麻央ちゃんだって
民間治療に走った人で完治した人などいません。
最後まで生活することを大事にしたいという選択で
民間治療に走ることには同意しますが
義父のように、癌を完治させる目的という選択には
同意できません。
奇しくも時期をまったく同じくして
義父よりひとまわり以上年齢が上の85歳の実母は
大腸がんステージ2の手術で、20cm腸を取り除きリンパも含めて1kgもとりましたが
翌日からぴんぴんして、
いまはひとりで買い物にも行っています。
昔のガン治療と比べて今の医療はほんとうに進んでいます。
6時間の大手術をおこなった85歳の母でさえ
10日後、まったく問題ないのでと退院を促され、14日目に退院しました。
主人が、あと数年すればAIが手術して
いまより手術の精度はもっと上がるだろうと言います。
ガンを切ったら寿命を縮めるなどという
父やN氏の考えはとても古い考えであると実感しました。
義父の誤った選択、そこに付け込んで父を操った集団。
彼らの自己満足に父は付き合わされただけです。
末期がんの父が、1ヶ月以上死ななかったのは
彼らに言わせると「自分たちの手柄」だと言うでしょうが
父が快適に過ごせるようにお世話頂いた
看護師さん
リハビリの先生、
前の病院を追い出されたにも関わらず、引き受けてくださった担当の先生の
おかげだと思っています。
本当に最後まで一生懸命看ていただき
感謝の言葉しかありません。
亡くなった父はそれに気づいているのかいないのか
本当に感謝すべき病院スタッフの方に
「あなたたちのおかげで1ヶ月命が延びた、ありがとう」と思っていると
思いたいです。
食べたり飲んだりはしているものの
確実に量は減っていて、顔も死相が出てきたほど変わってきた。
呼吸器がついたその日
ゴルフ友達が面会に来られ、見送った後
帰る間際コーヒー飲みたいとか、フロスしてほしいと言われ
フロスをして、うがい、歯磨きして
いつもよりすっかり遅くなってしまって
仕事帰りの弟と久しぶりに顔を合わせた。
私が、もう帰るね と病室を出ると
病室の外まで送ってくれて
「日曜日にお父さんに聞いたばかりなんだけど
借金があるって、聞いた?」と言われ
「いやいや、知らない、借金?」
「借りてるんじゃなく、貸してる、200万」
「200万!」あまりの額に大きな声で「200万!」と叫んでしまった
弟から聞いた話を整理すると
・N氏は、3人兄弟で
すでに結婚して家を出ている長女、N氏、N氏の妹といて
現在は、母とN氏の2人暮らし
・お金を貸したのは妹で
妹はずらかって現在行方不明らしい (真偽不明)
・借金のことをN氏は知らない
母親は借金のことは知っているが、金額は知らない
・N氏は、話し方が子供っぽいため私は若いのかと思っていたら
49歳お中年のおっさんである
・N氏と母は、生活保護を受給している
・借用書はある
ということだった。
母親の年金で暮らしてるのかと思ったら生活保護受給者か。
じゃあ返済可能なお金は持っていない
父を食い物にしてマルチで稼いだお金があるのに、生活保護ね。
借金の話を聞いてから弟がおばさんにいろいろ確認して
ここまでがわかったことらしい
弟は、またもや
「とにかくN氏は危険な人だから、N氏に安易にいったり詰め寄ったりしないで」と
くぎを刺されてしまった。
私もあまりのショックと、確実に近付いている父の死期を思うと絶望的になった
「とりあえずこういうことは兄さんに相談するほうがいい、
私もパニックで何も考えられない」と帰宅しました。
この日帰ったら21時廻ってしまい、さすがにクタクタ。
主人に大事な話があると言ったのに、夜中の2時に帰って来られて
借金の話をしたところ
「借りてるんじゃなくて貸してるんだったら、もういい
あんな連中とこれ以上関わり合いになるな
おやじのお金だから、好き勝手に使ったと思えばいい」と言われ
金額の大きさとショックと怒りで、結局一睡もできないまま
翌日、病院に行き
とりあえずまだ意識のあるうちに、話ができるうちに
父に詳細を確認しなければと
病室で父を問い詰めました。
「きょうはとても大事な話があるので、きちんと答えてください
私が初めて前の病院でN氏と会ったとき
お父さんがお金を貸したと言ってましたけど、それはなんです?」
「N氏の親父さんが死んだときに、葬式代を立て替えてほしいと頼まれた。
保険金が入ってすぐに返却してもらった」
「じゃあそのお金はもう返してもらってるのね」
「返してもらっている」
「では妹に貸してるってそれは本当? 妹とはどういう関係?
そういうお金貸すような関係?」
「そういう関係はまったくない」
「じゃあ弱み握られているとか、なにか脅されているとか」
「そういうこともまったくない」
「じゃあなんで200万貸してるの、妹失踪中でどうするつもり」
「ほかに何かサインとかしてない?
気づかないうちに借金背負わされたりしていない?」
父の話では
・人に金は借りていないしサインもしていないし借金はない
・おばさんにお金を頼まれて貸したりして返してもらっていて
・娘に貸してほしいと何度も頼まれて
・年金生活だから自分もお金貸すほど余裕がないと何度も断ったが
・自分は人がいいので貸してしまった
・妹が失踪中だと知らなかった
・自分もこんな状態だし、どうしろと言われてもどうしようもなく
もう借金はしょうがない
とこんな感じで開き直られてしまった。
おまけに
N氏と毎日電話連絡取ってるんだからちゃんと言ってくださいと
言ったけれど
「母親もN氏も関係ない、悪いのは妹」
「おとうさん、これ典型的な詐欺でしょう
最初貸して、返す、貸して返す、信頼したところで最後にどろんって
これ犯罪者の一家ですよ」
「おばさんもN氏もいい人で、絶対悪い人じゃない
だましたとか、そんなこと絶対ない
あの人たちいないと、自分は生きていられないのに」
「こっちはお父さんの葬式代さえなくて困ってるのに
どうするんです?お金なかったら葬式だせませんよ」
「葬式は、積み立ててある」
「N氏の紹介で入った葬儀屋、あれ使えませんよ、
すごく高い値段提示されて そんなの払うお金ないから、
積み立てたお金も流すことに決めたんです。
お父さんが積み立てたお金は全部無駄になったんです」
「そしたら、次男の貯金がある、それ使って葬式代に使ったらいい」
そこで私もぶちっと頭の線が飛んでしまい
「なにばかなこと言ってるんですか!
あれはお父さんのお金でも、私たちのお金でも、三男のお金でもない
あれは次男のお金でしょう。
次男に何かあって大きなお金が必要になった時どうするんですか
そのときのために貯金してあるお金でしょう
親が子供のお金あてにするって、どこまで自分勝手なんですか」
「それしか方法ないから仕方がない」
もう、心のなかで、はじめて
「死ね、くずオヤジ」 と大声で叫んだ。
わたし、こんなにやさぐれた人間じゃなかったのに
この1ヶ月マイナスオーラ浴びすぎて、こんなすさんだ人間になってしまった。
「とにかく200万はもう長男がいいといっているので諦めますけど
N氏に借金あることは伝えてください
毎日連絡してるんだから」
「わたし毎日来てますけれど、お父さんは私が来るよりも
N氏を信頼してN氏だけいてくれたらいいんですよね
わたし、お父さんの態度にあきれました。
今日はもう帰りますし、もうここに来ることもありませんので」
といって帰ろうとすると
「ちょっとまってちょっとまって
来てくれな、毎日食べるもんも飲むもんもどうするの
自分でもう何にもできひんのに」 って
結局自分のことか。
この日、本当にもう主人の父だしと親切心だして、
のこのここの1ヶ月病院に通っていた
自分にほとほとあきれて果て、
もうこの人のことはあきらめよう、ただただ早く死ねばいいのにと思ってしまった。
この日の帰り、もう頭痛くて脳梗塞とか顔面神経痛になりそうで
駅からいつもの整体院に予約の電話をし
帰りに飛び込みこみました。
そして翌日から亡くなる前日まで
「N氏に借金のこと電話で話してくれました?」
「してない、N氏は関係ないから」の繰り返しでした。
この借金の確認した日が、はっきり父が話せていた最後で
翌日以降、いままで全く昼寝しない父が
うとうとしている時間のほうが多くなり
話していても、半分は聞き取れなくなっていました。
自発呼吸が弱くなったとのことで
鼻呼吸器を装着されていました。
尿も先生が亡くなる目安と言っていた一日1000mlを初めて切りました。
この日から700ml、700ml、400mlと尿の量は減りました。
呼吸器つけていて、だいぶ言葉がでなくなって
今までのように続けて話つづけることもできなくなっていました。
じょじょに言葉は少なくなっていたものの
この日急に弱った感じはしました。
それでも、相変わらず私が持って行った食事も取り
甘酒やヤクルト、牛乳、コーラなど量は少ないものの摂取は出来ていました。
バレンタインデーなので一口チョコを持っていきましたが
それは手にすらできませんでした。
主人に呼吸器のことを連絡し、面会謝絶にしてもいいかと電話で確認したところ
もうさすがに自分で連絡とることはないだろうから
いいと許可がでたため
看護師さんに面会謝絶の札をかけてもらいました。
最後に連絡するところと
何度も面会に来ていただいた父のゴルフ仲間の幹事の方に
面会謝絶にしたけれど
まだ話は出来るし意識もしっかりしているので
面会してもらうことは可能ですと言うと
ゴルフ場から帰り道に病院に来てくれました。
この日はまだ会話も出来ていたのですが
亡くなる前日、お見舞いに来てくださったゴルフ仲間の方とは
ほとんど話は出来なくなっていました。
声がほとんどでなくて、話してはいるが何いってるのか聞き取れなくなっていました
本当に、今週末だなと覚悟しました。
葬儀の積立金の話をしていた父。
義母の葬儀は、義父母両方が現役だったため、いわゆる普通の葬儀でした。
義母の仕事関係者、親戚はもちろん、義父方の会社関係、親戚と
通夜・葬儀とも大勢の参列者がいて、花輪の数もすごかったし
当時で300万ほどかかっていました。
生命保険にも入ってなかった為、全部貯蓄から出したことになります。
入院中、父といろんな話をしていたとき
何の話かのときに
「そうだ、あの葬儀場あそこの御膳おいしいから楽しみにしておいて」と言われ
「お父さん、あそこの葬儀いったことあるんですか」と聞いたところ
「N氏に試食会無料であるからと誘われて、N氏の親父さんもあそこで葬儀をやって
すごくいいので積み立てしたほうがいいと言われて
それで積み立てすることになった」
ここでもN氏。。。
早速主人に「あの葬儀場、N氏にすすめられて入ったんだって」というと
「きっとそうだと思っていた、だって東〇〇〇(地名)の葬儀なんて
家の場所と関係ないし、生命保険さえ掛けない家なのに
葬儀の積み立てするわけないやろ」と
「N氏はどうせわずかな紹介料貰ったんやろうけど、
葬儀屋はチェーン店だから、積み立てあるなら使えばいいよ」ということで
でも、私はN氏が絡んでいることにそれだけで拒否反応が出ていました。
弟に「お金を1円でも多く弟に残してやりたいので、葬儀は簡単に安くしたいんだけど
どういう風に考えてる?お母さんみたいなのがいい?」と聞いたところ
「葬式にお金かけるのもったいないし、3人の参列だけなら安いほうがいい」というので
弟の平日の休みの日に、一緒に積み立てしている葬儀社で見積もりしてもらいに行った。
そこは、最近TVのCMもバンバン流していて
京都にはないけれど兵庫のあちこちにある大手の冠婚葬祭場「ベル〇」でした。
そこで話をきいたところ、びっくり仰天
ほんと絶対、葬儀屋の積み立てなんてやっちゃダメ。
・2口だと、このパック以外使用できない → 約50万
(98万くらいのが会員価格で48万くらいになる)
・パックにはついていないオプションを絶対頼まないと
葬儀が出来ない → 約50万
・現在、満期になっていないため、残りの積み立て金を全部払わないと
上記のパックは使用できない → 残金60万ほど
さらに、ここで入っている死亡保険金83万がでる保険も一緒に入っていたが
・この保険金は、あくまで葬儀費用と相殺するための保険金のため
ここで葬儀しないと支払われない。
たとえば、葬儀が10万であっても残りの73万は流れる。
あくまで葬儀プランが使用目的となり
オプション費用でも、この保険支払可能なものと可能でないものがある
そして葬儀をここで全くしない場合は
積立金の払い戻しは一切しません。
これは、ここでの葬儀する際の積み立てです
これを聞いて、私も弟も真っ青。
既に積み立てた金額や満期残りの支払い、オプション
お寺さんに払う分を合わせたら200万かかるし
貯金は40万。
200万のうちの僅かが保険でまかなえるだけ。。。。
これは
もう支払い済みの積立金を捨てて、他を探すしかないんじゃないか。。。
葬儀をするとしたら。長男、三男、私の三人の参列とすると
そんな大げさな葬儀はいらないかなぁと勝手に思っていて、
私にとっての知恵袋である高校時代の友人に電話で相談したところ
(その友人は一人っ子が4代続いているため
名家なんだけど親戚が全くいない)
昨年の母親の葬儀で一番最低ランク選んだけれど200万かかったと、
(うちの実父の時も一番最低ランク選んで200万だった)
だから、チェーン店はどこも値段は変わらないから
安くするなら個人の葬儀社使わないとだめだから
地元の役所で紹介してもらったほうがいい」とアドバイスをうけた。
町役所は病院からも車がないと行けないし。。
病院の受付で、お金をかけずに葬儀をしたいのでチェーン店以外で紹介してもらえないかと
聞いたところ
「明石市は市営の葬儀場があります、ただ明石市民以外が使用できるかはわかりません」と教えてもらえた。
まず電話で、自宅のある町役場に聞いたところ
町でも葬儀が直葬で可能だけれど、いろいろ聞くと葬儀社を頼まないといけないこともわかり、
町役場の人に、明石市の市営が使用できるのでそちらを使ってはどうかと教えてもらえた。
明石市営葬儀場に電話して見積もりを取ってもらったところ
市民以外は3割ほど料金の割り増しがあるものの
安く上げるなら15万あれば出来るということと
お寺さん呼ぶのなら、ホールを借りて祭壇がないといけないので50万かかるとのこと。
迷っていると
こんな方法もありますよと
葬儀はここで直葬という形でやって、遺骨になってから
骨葬という形で、お寺で葬儀と初七日やってもらうのが一番安上がりですよ
ただお寺によっては骨葬をやってもらえるかどうかは分かりませんが
本当にここの人は親切で助かりました。
さっそく、義母のお参りをお願いしているお寺にお話ししてみると
骨葬はやったことは無いけれど、することは可能ですと
おっしゃっていただけた。
明石のネックは、自宅から少し距離があることだったけど
私も弟も明石でいいかとおもっていた。
決めるのは喪主となる主人だけど、情報だけ集めておいて
自分でもすっきりした。
父といろいろ話をしながら
ちょこちょことN氏のことも話に混ぜながら
父にいろいろ説得を試みましたが、無理でした。
私がN氏の施術?父曰く「除霊」だそうです(笑)を見たのは
父が号泣した2日ほど後でした。
それまで私が病室にいると病室には絶対入ってこないし
N氏がいるところに私がはいると、N氏が席を外していたため
そのおかげで私はN氏の本当の正体を知らなかったわけですが
あの日を境に、私がいても
勝手に病室に入ってきて施術を始めるようになりました。
こちらとしても、父に余計なことを吹き込まれたり
お金を渡されたり、サインを強要したりといった不安を
見張ることで取り除くことが出来て、それはそれで良かったと思っています。
そしてこれを目にして、初めは笑いをこらえるのに必死だったのですが
この「除霊」と称する癌の治療が全くの茶番であることも気が付きました(笑)
N氏が来てなんかしてても、私は変わらず椅子に座ったまま
父と話を続けます。
N氏が来ているときは、ほぼゴルフの話。
父はゴルフ馬鹿でかなりうまい、そりゃ練習も必死でラウンド数もプロ並みにやってるし、
私は一度も一緒にラウンドしたことないけれど、
ゴルフの話だと尽きることがないのと
N氏が全くゴルフと無縁の人なので
2人の話に入ってこれないので。
ガンを治す などと大層なことをいう割には、
2人の話になんとか入ってこようとするし
女子プロ選手や男子プロのプライベートな話やゴルフのエピソードなど
コアな話に参加しようとして
頓珍漢のことを言ってきて、父に「ちがうちがう」と話を瀬切られたり
とにかく施術にまったく集中していない。
話に入ろうとすることに必死になっている。
時計をチラチラ見ながら、ただ手をかざしているだけで
おまけにむっちゃ距離もある。
足元にたって、体にむけて手かざしとか。
それで手からマイナス電流だかプラス電流だかが反応してって
「おいおい、いくらなんでも遠すぎるやろ」って(笑)
そんなに離れてて電流とんでたら怖すぎるし(笑)
全く集中もせず、電波飛ばせるってすごすぎるよ(笑)
どうせならもっと真面目に集中してやってくれないと
信じてるお父さんがいくらなんでも可哀想すぎる。
っていうか、ほんとに信じてるとしたら
お父さん、やっぱり認知症になってしまったんだろうか。
そもそも、こんな不真面目なのに騙される人いるんだろうか?
って、目の前にいた!
あるとき、父の熊本の子供の時に家にあった果物の話をしているときなんか
「えーきいたことない、そうだしらべてよ」とか言いながら
片手は手かざし、片手はスマホで検索して
「あーーこれのことか、いまはすぐ調べられるから便利や」って
ちょっと、布教活動中なのに雑すぎる。まじ真面目にやれよ!
父には毎日、むくんだ足のマッサージをしにきてくれる
リハビリの先生がいます。
若くてかわいい先生で、いつも楽しい会話をしながら
リハビリが終わるとむくんだ足が少し軽くなって
体調も良くなるそう、父も先生がくるのを楽しみに待っています。
先生が帰られてすぐあとにN氏が来て
施術はじめて、
「あーー〇〇さん(父)、ほら足のむくみちょっととれてますねぇ」と言うので
あっけにとられたものの
「いまリハビリの先生がきて、マッサージしてくださったんですよ
気持ちよかったよね、お父さん」とぴしゃりと言うと
「そうですか、リハビリの先生来られて良かったですね」と
とにかく、おかしなことばかりで
信じられる要素が全くない。
私ならもっと信じてもらえるようにうまく出来るのに
この商売立ち上げたらぼろ儲けできるし
なんならコンサルとして教えてあげてもいいくらい(笑)
私もありとあらゆるマッサージ系が好きで
占いも好きで、まぁいろいろ行ってるし自分でも簡単に星をみたらわかる程度なんだけど、
だから
人間にはエネルギーや、不思議な力ってもんがあるっていうのは信じていて
赤ちゃんのお腹をさすると赤ちゃんが安心するとか
痛いところを手で撫でるだけで痛みが軽減するとか
いわゆる昔から言われていることは信じているけれど
それはあくまで精神的に安定すると思っていて
そういう手のひらの力は誰もが持っていると思っている。
父が言うには
N氏母はすごい力を持っていて、N氏も治療が出来る程度の力を持っていて
自分はずっとやったけど才能無くて
そういう力がない (笑)
父にも、肩がこるならN氏にみてもらえばいいよ と言われたことがあって
それで肩こり治るなら、
いまごろ行列のできる電波師でてんてこ舞いになってるよ、
力があるのと癌が治るのは全くの間違いで
ガンは手をかざしたって治りません。
そんなん出来たら、いまごろ京大病院もっと予約とりやすくなってるし
あんなに次から次へと新棟建設工事やらないでしょう。
私がいままで経験した気功の話をしたり、
気功のすごい先生が小岩にいて
お父さんこんなん好きなら 小岩の先生紹介してあげたのにって言ったら
父も食いついてきた。
でも気功をやる他の先生に聞いた話で納得した話があり
気功の良くないところは
気功をする人の体の弱いところや病気の部分も飛ばしてしまうことがあること
だから気功も必ずしもいいことではないということ。
その話を父にして
N氏のようにネガティブで負のオーラ被っている、不健康そうな人に
気をいれてもらったら、
「お父さん本当にそれはとても危険なことなんだよ」 と言ったときは
びびっていたが
父がいうのは
「とにかく信じることが大事で、まず信じないと効かない
効き目は、すぐに目に見えるわけでなく徐々に徐々に病気は治っている」
って
なるほど、うまいこと言って騙しているんだなぁと
実母が手術前に癌の神様「石切さん」にお参りに行きたいと言うので
主人が車で母を連れて行ってくれました。
その前夜、亡くなった義母が出てきたので
その話も父にしていたんだけど
私には特殊な能力あるから
人の手を触ったり、顔見たりしたら
考えてること、性格とかすぐほとんどわかるから
お父さんが考えていることも全部わかるからね、と脅しをかけていました。
実際は、教育系の大学行ってたから
いろんな子供と接してたので、顔を見るだけで
人の性格がすぐわかるようになったので
この子はいじめっ子とか、いじめられっ子とかも話すとすぐわかるし
仕事でたくさんの人をマネージングしていたので
経験上、ちょっと話したり顔見るだけで
その人が真面目な人か、真面目そうでもサボってばっかりで仕事してないなぁとか
性格とか家族構成とかも少しでも話すとほぼわかる。
それは不思議な力でもなんでもなく
自分の社会経験から培われたもので、だれもが磨けば光る能力の一つ。
父には、スピチュアル系の言い方をしていたけれど(笑)
だから、N氏のことも全部わかるのよ と一日一回はいっていました。
N氏は私の目は絶対みない、
私に見透かされてること、
私がN氏を軽蔑していること、
悪い言い方をすればN氏をバカにしていることもわかっている。
結構両親に抑圧されて育っていて
裕福な家で生まれ育っていない。たぶん生活に困っていた時期もある。
父と私の会話にはいってくるN氏の発言を拾うと、
努力している人、頭のいい人に対して
ものすごく僻み根性の強い。
父に、ほんとうに部長として部下の人事評価してたの?と言ったこともある。
「お父さんは仕事中にスマホいじってたり、べらべらバカ話ばっかりして
手の動いてない人でも、あの人いい人だからインセンティブつける とか
やってた訳?
N氏は、真面目に施術なんかやっていないよ
お父さん気づいてても知らぬふりしているでしょう、
あんな不真面目でいい加減な人いないから
わたしなら辞めてもらうな」と言ったり
まぁ何をいっても
「でもちょっとずつ病気は治っている」って言うというか
頑固で頭がこりかたまっていて
人の意見を行けない、自分の間違いをけっして認めないという
父の性格がここまで意固地にさせてしまったんだと思う。
結局2週間以上は通った。
最初に、どうせ2-3日だし、今週末まで と思ったものの
父の食欲やわがままは衰えることがなく
自分のストレスは半端なくN氏のことで言い合いをすることも
たびたびでした。
毎日15時前に到着し、遅いときは仕事帰りに弟が来る19時ごろまで
早いときでも16時半ごろまで
1時間半以上かかるけれど、JR西も山陽電鉄も
往復座っていられるので、その間にひたすら借りてきた本を読んだり
都内の通勤とくらべると天国と思いながらの日々でした。
それよりも、往復の切符を正規で買うと3000円。
金券ショップで乗車券を買い
毎日往復2000円が痛かった。JRの昼得が廃止になったのが本当辛い。
ある日、父から呑気に
「定期買えばいいのに」と言われ
心の中で「まだ生きるつもりかい!」と叫んだこともありました(笑)
結局、転院してからも1ヶ月以上生きたけれど
きょう、あす、今週末とその繰り返しで
回数券を買うことすらためらわれました。
滞在時間が長いけれど
最後の2日を除いて、話すことは問題なく、さいごの週が言葉がでなくなったことを除いて
ずっと多弁で、こちらが話しかけると何時間でも自分のことを話し続ける人でした。
先生のお話の時に
転院時は2-3日かと思ったけれど、心臓がとても強くてとおっしゃったので
「父は前回の東京オリンピックで聖火の伴走して走ったんですよ」というと
弟がそんな話知らないと言っていて
義母は急死で、きっと子供に言いたかったこともあったろうに
なにも伝えずに死んでしまって
お父さんは時間があるんだから
いままでの人生を降りかえってとか、それぞれ息子に言いたいことは書いたらどうでしょうと提案し、ノートも買って持っていきましたが
「そんな恥ずかしいことできん」と結局ノートは白紙のままでした。
それでも私とはいろいろ話しました。
義母との出会いや結婚まで
新婚生活のこと
熊本での小学生時代のこと、祖父のこと
大学時代のこと
アメリカ駐在時代のこと
ゴルフの理論について
イーグル、ホールインワンを出したときのこと
父自身がいろんなことを思い出しながら懐かしげに話してくれました。
いろいろ話してわかったのは
結局、結婚生活も今も、自分自分のわがままな人で
人のことに全く興味はなく、常に自分中心、
病気のことも宗教のことも
「Nさんも自転車で来るのは気の毒でしょう、あまり無理言わないように」と言ったときに
「どうせたいした仕事もしてないんやからええんや、暇やから来てるんやろう」と答えが返ってきたときには
この人は、ほんとうに自分の都合のいいように宗教を信じてて
自分が生き続けるためだけにN氏を利用しようとしてるだけなんだな と感じました。
主人に聞いても「自分のことしか考えていないから、亡くなった母は本当に苦労した」と
3年前に癌でなくなった実父は
85歳で手術はしないと決めてから、葬式以外は全部自分できれいに整理して
最後も迷惑だけはかけたくないと一切の治療も受けず
最後まで日常生活を大事に過ごしていました。
自宅での緩和ケアを受けていましたが
わがままなんて一度も言わず
最期食事がとれなくなった時に
もうこれでいい、はやく死にたいといって
静かになくなっていきました。
手術をしないと決めたのは自分のくせに
最後までそのことに背を向けて
現実逃避しつづけ、散々わがまま三昧に好き勝手にすごす義父をみていると
自分の父の立派さや、家族への愛情ややさしさに
改めて父に尊敬の念がわきました。
私も自分の父のように
最後はいさぎよくきれいに、迷惑かけずにこの世から消えなければと
そう思えば思うほど
義父の醜さがたまらなく我慢できなく思いました。
「とにかく判子やサインして大金の借金背負わされたら最後だから
自分はひとりで大丈夫だから、病院に行って」と言われ
もろもろ相談していた友人にも母と全く同じことを言われ
「借金のサインでもさせられたら大変だから、絶対見張ってないとだめだよ」と言われ
N氏が来るときは、必ずiPhoneで音声を取っておくこと
何かあった時に、何か証拠を残しておかないといけないと言われ
音声録音のアイコンを、トップ画面に置いて
その機会をうかがっていました。
母が心配するといけないので
母には言いませんでしたが、
姉と友人には、弟から「N氏が危険な人で注意するように」言われた話をしたところ
とにかく、現状を病院に話して対応してもらうしかないと言われました。
そこで、翌日、看護師長さんに面会し
昨日のN氏母にお金を取られていたことから、
父が取り乱したこと、そこまで洗脳されていることに気が付いてなかったこと
父が薬に殺される、手かざしで病気が治ると思い込んでいること など
話をしました。
ただこの病院に転院して
母が入院していた京大病院とに違いは分かっていました。
いつも少ないスタッフで、
土日となるといついってもナースステーションに人がいることもなく
平日でもとにかく看護師さんが少なく、
コールしても10分以上放置されるのも日常茶飯事。
ほんとうによくしていただいて頭は上がらないのですが
とにかく馬車馬のように働かれていて気の毒なほどの状態は
毎日みていてわかっていました。
やはりお話をしても
病院側で対応できることは無いと言うことでした。
だれが宗教の人で、だれがお見舞いの友人でもわからないし
カーテンを閉められているので
人がきているかもわからないし
長時間いるから注意と言っても、いつから誰がどれくらいいるかも
把握できないとのことでした。
提案としては、
面会謝絶にすること。
それでも勝手に入ってくる人はいるけれど
家族以外なら注意できる という1点でした。
それを弟にも主人にも相談しましたが
父の状態をみていない主人は
「どうせあと数日なんやから好きにさせればいい、
もう病院にもいかなければいい
借金させられたら、相続放棄して家も手放せばいいだけ」というし
弟は
「お願いだから最後までお父さんの好きにやらせてあげて
それだけが楽しみなんやから」と言われ
肝心の父も、意識はまだまだしっかりしていて
常に手のひらに携帯電話を握ったままで
N氏と毎日のように連絡をとりあっているため
面会謝絶は無理かなぁとあきらめてはいました。
それでも、こんなに私が毎日父の面倒を見ていても
主人からも弟からも拒絶され
病院では、家族の扱いは長男と三男だけで
長男の妻は家族扱いされないため、
長男か三男の依頼がなければ面会謝絶にもできないと
とてもあと数日で亡くなりそうにもなく
自分はもういっぱいいっぱいになって八方ふさがりとは
まさにこれで
家族を守ろうとしているのに、だれからも信任を得られず
本当に辛い毎日でした。
それでも病院のスタッフの方の中には
毎日、父に食事を持ってくる私に
「本当に必要な大事な人は家族だったと最後はわかって逝かれますよ」と
声をかけてくれる人もいました。
私がプリンを持ってお見舞いに行くと
プリンも食べたし、食事にも手を付けていた。
ただその後、むっちゃ吐いてしまったんだけど。。
看護師さんに、食事を軟食か刻み食に変更してほしいとお願いたところ
「先生と栄養士さんとでご本人に確認しますね」とのことで
「いやいやそれだと、本人絶対いやって言うんです」といったものの
結局、本人が嫌がって普通食のまま
普通食はもうたべられないのにー。
先生に相談したところ「軟食にしてもどうせもう食べられませんから
それより本人が目で見て楽しめるように、普通食でいいですよ」ということでした。
でも、それでは食べるもの本当にないからなーと
翌日から亡くなるその日まで
リンゴをすったもの
湯むきしたトマトを裏ごししたもの
みかんの実をつぶしたもの
を持っていって食べさしました。
甘酒に、ヤクルト 牛乳、黒酢
リンゴも初めのころは、2分の1でしたが
だんだん呑み込めなくなり、さいごの2日は6分の1をすったものでした。
チョコが食べたいと言ったら
細かく刻んで噛まずに食べられるようにしてもっていったり
長イモの酢の物が食べたいと言われたら、すったナガイモの酢の物と
食べたいと言うものをすりおろして毎日運んでいました。
父の食欲というかわがままには困ったもので
熱いコーヒーが飲みたいと、一口飲んだと思ったら
コーラ飲みたいと言い
そのたびに買うものの、どれもせいぜい多くて3口くらいなので
父の分だけ置いて
私も紙コップを持っていき、自分の分をとって飲んでいました。
カフェオレが飲みたいと言ったのに、苦いと飲まなかったり
コーラや甘いカフェオレが苦手な自分にはなかなかの苦行でした。
弟にはもっとひどくて
毎日仕事帰りスーパーで大量の食品を交わされていました。
もう食べることも出来ないのに
あれかってこい、これ買ってこいと、
いったいお金がいくらあると思ってるんだろうと
あきれて、何度か注意しました。
弟も最後のわがままだからと聞いていましたが
あまりにひどいので、主人に話して
主人から弟にも父にも注意してもらいました。
わたしも主人から「どうせ食べない飲まないから、いちいち全部買う必要は無い」
わがままにつきあうな!とよく注意されましたが
「言っても今週末まで」、と
みんながそれぞれ父のわがままを聞いてしまいました。
よく食べられなくなったら1週間で、と言いますが
食が細くなっても食べないことは無かったので
いったいいつまで生きるんだろうかと実際不安になりました。
亡くなる前日は、
リンゴ、トマト、ヤクルト、甘酒、コーラ、アイスクリーム、オレンジ
どれも2口ずつだったけど 最後までわかまま放題
食べたいんじゃなく、生きるために必要な栄養素を取るのを
義務と思っていて、
亡くなる朝も、直前まで牛乳を飲んでいたようですから
ほんとうに幸せな人です。
「いつ急変してもおかしくないので、余命は週単位では考えないでください」と
ここは「看取りの病院」ですので
あとは好きなものを食べて好きなことをさせてあげてください
とのことでした。
先生からも
「お父様はここが看取りの病院とわかってらっしゃるんですよね」と聞かれ
「ええもちろんわかっています」と答えたものの
???と思っていました。
入院時の説明で担当の看護師さんから説明があった際に
「前の病院からの引継ぎで、新興宗教に傾倒されていてと書かれているのですが
こういうことが初めてなんですが」
「まえの病院では友人という男性が出入りして先生や看護師さんにご迷惑おかけしたんですが
つよく注意しましたので、こちらではご迷惑おかけしないように注意しますので」
「ご長男夫婦は強く反対されているようですが、三男さんはどうなんでしょうか」
「三男は優しい子で、父のいうことに逆らえないので、宗教には関係ないことは
確認していますので大丈夫です」
「余命のことはご本人知ってます? ここが看取りの病院ということも」
「ええ、あと1週間とかそこまでは言っていませんが、末期ということと、
ここが看取りの病院ということもわかっています」
??? 末期ってわかってるし、ここが看取りってわかってるんだけどなー
いまとなってはN氏から吹き込まれていたんだろうと察しがつきますが
「まえの病院では治療もしてもらえなかったが、転院して治療してもらえるので
ここで元気になったら退院できる」とゴルフ仲間にも言っていたようで
私にも1月末頃「みんな葬式どうするとか、そんな話ばっかりするけど
自分は死ぬつもりなんか全然ないわ。腹水のコントロールさえうまくいけば
肝臓も動いてるから全く問題ないんやで」と
父が本当に洗脳されて恐ろしいことになっていると気づいた事件、
それ以来、私は毎日病院に通い、父に付き添うことになりました。
入院して2週間近くなり、父の状態も安定していたし
これだと今月は元気そうだなぁと
私は、自分の母の面倒を見るために京都に帰ったりしていました。
基本、週末に夫婦で見舞いに行けばいいやと思っていました
転院して2週間もたち一度先生にお話をしたいと申し込んだところ
弟の平日の休みに合わせて予約を取り、面会時間は15時からですが
14時に先生の約束で、13時半に病院に行ったところ
ほどなくして弟が来たのですが、N氏の母親を伴っていました。
「三男くんがきょう病院に行くと言うので送ってきてもらった」というのです。
「面会時間は15時からですよ、このあいだ息子さんにもいいましたけれど
きちんと病院のルールは守っていただけますか」
「えーーでもそしたらどうしたらええの」
「いったん時間つぶしに出られたらどうです」
弟には、「このおばさんは許してあげて、お父さん喜ぶから」と言われたが
「いやいやルールはきちんと守らないと
ここに居られなくなったら次行くとこなくなるよ」
2人で、先生のお部屋に行くと何故かおばさんも付いてきたが
「説明は家族のみですので」といって入室させませんでした。
先生とお話をおえて、病室に戻ると
N氏の母親は、父からお金をもらっていました
お札を数枚8000円くらいかな。
「それ、なんです?買い物は家族でしますので、それ返していただけますか
家族で出来ることは家族でするのでお見舞いだけお願いしますと先日
息子さんにも言いましたけど」
「わたしはただ買い物頼まれただけで」
「ですから買い物はこちらでします。必要なもの言ってください、なんです?」
「いや、そのへんで売ってるのと品質が全然違うんです、
同じもの買うとしたらものすごく高いけど、
私が買うと安く買えるので」
「ここ病院ですよ、あなた方親子が父とマルチしているのは知っていますし
父も大人ですし、これまで黙ってみていましたけど
ここで商売するのはやめていただけますか」
「だから頼まれただけで」
「ここで商売するのはやめてくれって言ってるんです
非常識でしょ」
父が「僕が頼んだんや、ごめんごめんもう頼みません」
「お父さん、わかってる?
いま先生のおはなしがあって、先生がお父さんの体すごく細かくデータも取って
何をどんだけ食べて何をどんだけ飲んだかでそのたびに
薬替えたりいろいろしてくれてるのに、
勝手なことして勝手なもの食べたり飲んだりしないで
この人たちは何にもわかってない、
家族しかそういうことわからないんだよ」
「あなたこないだも、うちの息子にいろいろ言ったそうやけど
それなら直接息子にいっていください。私に言われても困る」
「息子さん?わたし長い間息子さんにお会いしてませんけど。
私の顔見ると、いつも逃げるように消えてしまって、
挨拶もろくにされませんけど」
「いま来てるので、呼びます」
しばらくしてN氏が来て
「いま父からお金受け取っていましたけど、
ここで商売するのはやめていただけますか
ここは病院ですから、もう父もこういう状態ですし、
これ以上、お金も渡せませんし
もう御引取ねがえますか」
N氏母「商売って、あんたら、私たちと〇〇さん(父)は
長い間ずっと人間としての崇高な付き合いをずっとしてたんです」
(正確には覚えていないけどこんな感じ)
N氏急にやくざ口調で
「おーーおーーーあんたら長男夫婦は、
俺らのこと邪険にして、そこまでいうならもう金輪際縁きったるわ、
これから生涯もう一切関係ないし
二度とここにはきいひん」
N氏母もやくざ口調になり「さいなら、もう2度ときいひんから」
えーーーちょうラッキー、向こうから引いてくれるなんて
ありがたい
おまけにとうとう本性あらわした!本性見られてよかったー
と、そのとき信じられないことに
父が号泣して錯乱状態になり
「待ってください、待って 帰らないでー
かえったらあかん、見捨てられたらしんでしまう
全部自分が悪いんです、自分のせいやから
ごめんなさい、ごめんなさい
薬なんかいくら飲んでもあかんね、薬は毒で 薬に殺されるんや
手かざししてもらわなガンは治らない、手かざしやめたら死んでしまう」
えーー なにこの三文芝居
なに言ってることわからんけど
こんな取り乱したら死んでしまうやん
「お父さん、ちょっと落ち着いて、大丈夫 この人らいなくても大丈夫やから」
こんどは弟も泣きながら
「お姉さん、お父さん許したあげて、これだけは続けさしてあげて
お父さんの生きがいやから 最後までやらしてあげて
お父さんが死んでしまう」
はぁ、ほんま何これ
私以外の人、「モニタリング」の出演者なのか
「わかったから、お父さんとりあえず落ち着いて、血圧上がるから」
「やってもええんか」
「とりあえずはいいよ」
そのときのN氏の勝ち誇った醜い顔、あーイライラする
「だけど家族で話してる時は席はなしてください、家族の中には入って来ないで
私、今日は父に大事な話があって確認するために来てるんで」
N氏「なんやそれは」
「家族のプライベートな話です、話に入って来ないでください」
N氏。父に「ほな、あとでまた席外すわ」
父 ふたたび取り乱し号泣 「あかん、あかん、帰らんといて」
N氏「かえんのちゃう、またもどってきたるわ」
いままで猫なで声で父と話していたN氏がヤクザになったのに父は本当に気づいてないんだろうか?
その後、父が元気なうちに確認したかった個人的なことを
父と弟と話していると
廊下で大きな声でN氏が
「おぅ、いつまでまたせんねん、おれはもう1時間もここで待っとう、
ええ加減にしーや」
と何度も叫びだし、これでは病院に迷惑かけてしまうと
わたしも帰宅時間になったため、じゃあこれで帰るわと病室を出ました。
病室出たときには、そこにN氏はいませんでした。
帰り際、弟には
「息子のほうにあんないい方して、おばさんはまだマシやけど
あの息子はほんまにヤバイ人なんやで、なんでもハイハイおとなしいしてたらええから
あと少しなんやから
あの息子はほんまに何するか分からん人なんやから、今後は気をつけて」
えっ?そうなん
でも、はっきり言ってあんな無職の親子が何言っても
10年外資で働いてきた自分にとったら簡単に論破できるし、
まったく怖くないんやけど
と思いながらも
暗い帰り道、駅まで20分の道のりを
何度も後ろを振り返りながら帰ったびびりの私(笑)
にしても、なによりびっくりしたのが
父がそこまで「手かざし」に傾倒していて
洗脳されていたこと。
恐ろしすぎて、これは死ぬまでに正気に戻さないと
ほんとうに家までとられてしまう。。。
最初に会った日からこの日まで1ヶ月近く、
N氏もN氏母もその取り巻き連中も、私や主人がいる時はすぐに席を外すので
一度も見たことがなかったので
いったい病室で何が行われていたのか、どんなことを言われていたのか
ほんとうに恐ろしい。
家族の知らないところで行われていた洗脳。
そしてそれに対して支払われているであろう料金
あとから知ったことだけれど、
前の病院では頻繁に手かざしが行われていて看護師さんも知っていて
そのことが引き継ぎに書かれていたようです。
父のゴルフ仲間がお見舞いに来た時にも出くわした人も数人いて。
休日しか来ない長男や、自分の母の看護に忙しかった自分だけが
知らなかった本当に恐ろしい宗教。
もう一つ知った事実。
東〇〇〇(地名)の散髪屋でマルチに引っかかったんじゃなくて
その宗教は、自然食品をつくったり売ったりしていて
マルチは、宗教が副業?事業?収入源として行っていて
宗教とマルチ、別々のものと思ってたら
実は同じ正体だった。
そして父の死後、父のゴルフ友達が
数年前、東〇〇〇のサティで、電気椅子の展示販売をしていたのが
散髪屋のN氏母と、N氏で
父に展示販売に連れて行かれ、そのあとN氏の家に連れて行かれ
呪文を唱えながら手かざしをされてお金を請求され
お金を置いて帰ってきたという話をお伺いしました。
父がN氏の商売に加担までして長年の友人にそんな仕打ちをしていたとは
本当に洗脳されている人間はこわい。
何も他のことが見えていない。
人間は見た目が9割とはよく言ったもので
年齢を増すごとに顔に性格が表れてくる。
N氏の顔を見たら、だれもが
この人は近づいてはいけない人、顔に邪気がでていて
絶対信頼できない人だとわかるのに。
なぜ父がここまでN氏に心酔して従いつづけるのか
最後まで私にはわかりませんでした。
同居する弟は仕事があるし
仕事をしていない私も、主人の実家は遠く、
さらに駅から車で30分かかるため通いではいけないし、
私は、その頃1週間かそのくらいなら在宅看護も可能かと
安易に考えていましたが。
主人が、家の介護は無理だから
病院に入ってもらうと言って父に納得してもらいました。
しかし最初の病院の医師は父に対して感情の拗れがあり
(ややこしい友人は出入りするし、医師のいうことも聞かないし)
関係も最悪で、ここで治療することは何もないので転院してくださいということで
こちらの病院は、とにかく大阪から遠いだけでなく
駅から1時間に1本のバスに20分乗っていかないといけないため不便で
主人が、駅にもうすこし近い病院を紹介してほしいと依頼していました。
病院に行くたびにN氏がいて、おまけにN氏の母親やその友達など
いわゆるマルチ商法のグループの人がいつも誰かしら見舞いに来ていて
とりあえず気味が悪く、
ただ向こうも長男夫婦が来ているときは、席はずしたほうがいいと思っているみたいで
行くと席をはずされるのであまり問題にしていませんでした。
それは、私が彼らの本当の正体を知らなかっただけなのですが。。。
1月の中旬、転院
せいぜい1週間かとおもっていたのに
このころまだ父は歩いて移動出来ていたので、
平日休みの弟が車で転院先まで送っていくことになっていて、
私もこの日、あさ6時に家を出て病院まで退院の手続きをするために行きました。
8時過ぎに病院に到着すると父はもういつでも出られるよと準備万端で
8時半に弟が到着すると、なんとN氏も付いてきていました。
弟に送迎を頼んでついてきたようでした。
はーー?
退院時間は9時半で、退院手続きも9時からなのに
8時半に来たそうそう、さぁ行きましょうと父を連れ出そうとするので
「まだ退院の手続きや、紹介状、薬など貰っていないので」と言うと
「じゃあ看護師に言ってやりますよー」というので
「もうやめてください、まだ時間でもないのに
病院に迷惑かけないでもらえますか」
「退院手続きも家族しかできませんし、入院手続きも家族でします。
来ていただいても待っていただくばかりですので
今日は帰っていただけますか。
家族で出来ることは家族でやりますのでお世話にならなくて結構ですので」と
やんわりと注意したところ
口をとがらして、じゃあ帰ります
というので、「わざわざありがとうございました」と見送る。
その後、私が先生とお話したり
看護師さんから薬の説明、退院の手続き、その他書類をもらって
病室に戻ると、
「じゃあ荷物持っていきまーす」と荷物を持って下に降りてしまい
はぁ?と唖然としてしまったけれど
その後会計も終えて。弟のまわしてくれた車に乗ると
さきにN氏が乗っていました。
なんなん この人、ほんとうに気持ち悪い
車に乗ると、運転している弟に対して
この道よりあっちへいけ、車線を移動しろと
後ろの席から、乗り出して指示しはじめ
それも乗せてもらってるのに、命令口調で
おとなしい弟もイライラしているのがわかって
私も弟に対してのバカにした偉そうな態度にイライラ。
(それは父に対するものでも、私に大してとも違う一面をみました)
「あの、先ほども言いましたけれど
入院とか退院とか家族でやりますので今日は御引取いただけますか
お見舞いには今まで通りきていただいて、父も喜びますので」
きつい兵庫弁で
「えーーなんでそんなこというとう
ねぇ〇〇さん(父に)、いいよねぇ僕がいてもいいよねぇ」とネコ撫で声で。
父は
「Nさんは、すきで来てくれてるんやから好きにさしたらええ」
「お父さん、そういう訳にはいかないんですよ
まえの病院でも私は何度も注意されたんです。
家族以外の人が、ナースステーションや先生に治療や手続きのことで口出しされても困るんです。いくら来ていただいても家族以外には出来ないことばかりですから
このまま病院についても、入院手続きおわるまで
何時間もまっていただかないといけませんので帰っていただけますか」
「えーーなんでー病院がそんなんいうとう?」
「いまはコンプライアンスが厳しくて、家族以外は面会しかできませんので」
「まぁそういうことやったら」と引いてくれましたが
10時前に転院先の病院に着いても帰る様子はなく、
私と弟は入院手続きに説明を受けに移動し、
父は検査のためあちこち連れて行かれて
その後、担当の先生からのお話もあり
結局、病室に入れたのは13時過ぎ。
途中まで待合に座っていたN氏も、こちらがバタバタしている間に帰ったようでした。
なんだかいつも見張られているようで
ほんとうに気持ちの悪い目つきの悪い男で。
でも、N氏の本性を見るのはまだまだこの先でした。
私は、術後入院中の自分の母のお見舞いに行ったり
ずっと母をみていたため、全くできなかった大掃除を簡単にして
31日に自宅に来たお節をうけとって、夕方、主人の実家へと行きました。
家に行ってびっくり
義母はあまり掃除しない人だったけれど、母が亡くなって以来
きれい好きなのか父はいつ行ってもきれいに家が片付いていました。
それが、7月に毎年義母の命日に生花を送っているのですが
それがまだ仏壇の前に飾ったまま(もちろん枯れている)
仏間も埃だらけで、ものも散乱
仏間と続いている和室も、服や布団が脱ぎ捨てられ散乱しているし
リビングも埃だらけ、ものが散乱
お風呂、トイレ、台所ととても自分は使えないと言うほど荒れていて。。。
7月末に来た時はきれいに片付いていたので
このあと、体調が悪くなって掃除もできなくなっていたんだと。。
そして主人と買い物に行き
大みそかの夕飯と後片付けで、わたし紅白もガキつかもほぼ見られなかったよー
お節はいつも私が注文したものを渡していたので
お雑煮だけ用意しました。
さて、この日、主人と父とで
今後のことを確認。
・家の権利書やもろもろ
・連絡が必要な人
・葬儀のこと
ここで分かったのは、
・義母は生前看護師として働いていて、自分の給料は1円も手を付けず
すべて貯金として残していた
・義父の退職金
・毎月の少なくない年金
これだけのお金があったはずなのに、貯金がたった40万しかない!
いやいやありえへんやろう。
そして一切の生命保険、がん保険、医療保険
何も入っていない(亡くなった義母も何も入っていなかった)
父の兄弟はもう亡くなっているので、亡くなった母方の親類とももう付き合いもないので
親類に連絡は必要ないこと
ゴルフ仲間にも知らせなくてよい とのこと
じゃあ家族葬儀で ということなのに
やっぱりボケてるんだろうか?
高額の葬儀屋の積み立てをしているので、それで葬式あげてくれという。
ガンになったいきさつも、先生がおっしゃっていたように奇妙な話をする
「10月にスーパーに行ったとき薄着をしていて
エアコンが強くて急にすごく寒くなって体調わるくなって
それから10日ほど体調悪いのが続いて
それでも体調戻らず、12月になって腹水がたまってきて
結局お腹大きすぎて、歩いたり動いたりできなくなって病院に行って入院した」と
いやいや、先生の話(昔からの検診のカルテ)と違う
最初に癌みつかったとき1cmでほっといたら6cmになって
さらにほっといたら、こんなになって。
スーパーとか関係なくない?
まさか自分がガンとか病気になると思ってなかったから
保険には入っていないけど
毎月の年金で、病院代払えるから問題ない
えーーー先生から、肝炎の人は肝臓がんに移行しやすいって
きいてたよね。
ここで、この後も私を悩ました大きな問題が発覚
自分は医者なんて信用していない。
手かざしで癌が治るので(具体的な宗教の名前はここでは伏せます)
ずっと治療している。
「お父さん、それって真光さんのこと?」
「いや、ちがう。あれは悪い宗教。
もともと真光は自分たちのところから、分裂して出て行った
あれはお金ばっかりとって嘘ばっかり
自分のところは宗教じゃない、癌も治っている人がたくさんいる」
えっ?この人何言ってるんと思ったものの
もうあと数日の命だし、そしてこの時は
あんなに深く洗脳されているとは思っていなかったので
もっと軽い信仰だと勝手に思っていた。。。
とりあえず、宗教に傾倒していて
マルチの親(N氏)が付きまとっている
そして貯金がすっからかんである ってことで
借金がないことを何度も確認。
うちの母は、N氏は怖い人。
何があるかわからんからとにかく権利書その他書類を
すぐに持って帰って大阪の家で保管するように言われ
主人に伝えたけど、大丈夫と権利書は家に置いたままで
私の不安の種となりました。
私が父のお金に執着するのは
私たち夫婦は長年共働きで
いままでも主人の両親から1円の援助も、
結婚や新築の時でさえ、1円のお祝い金ももらってなく
それこそお互いに早朝から深夜まで働き、2人馬力の収入で生活してきた。
それはこれからも同じで、あてにしたことなど一度もありません。
長男であっても、生活の拠点が東京のため
親の面倒も見られないから、何ももらわないと決めていたし
たまたま今回私が1ヶ月介護することになったけれど
すべて財産放棄する(といっても価値のない家以外なにも残っていないが)ということで
お金が残っていようが、残ってなくても何の問題もありません。
主人の弟が2人いて
末の弟は、ずっとひきこもりだったのですが
一時、東京の自宅に引き取っていたこともありましたが
10年近く前から働き出して
いまだに私は大丈夫かなーと心配しているとこもあるけれど
前よりうんと頼りになるし職場の人とお出かけしたり
明るくなって。
ただ非正規なので、先が不安定。
家を相続させて(今も住んでいる)、でも家が古いので
今後修理や家電の買い替えもあるし、
日常生活していくのには給料で十分だと思うけれど
家を維持していくうえで何かあったときのために
1円でも多くお金を残してほしいとずっと思っていて。
(主人はそれについても自分の給料でやらせればいいというけれど)
もう一人の弟は体が弱くて
ここ数年入院しているが、障碍者年金をもらっていて
とりあえずいまのところ年金で入院費は賄えてるが
疾病保険とかなにも入っていないので、やはりお金があるに越したことは無い。
という訳で、父の少なくない年金がなくなったあと
2人の生活が心配で
お金を1円でも多く残さなければと
そればかりが気になってしまいました。
N氏という得体のしれない存在が
父をだまして
最後に残った家を取られてしまうかもしれないという不安。。。
28日に義父と同居している弟から「末期がんで入院した」と
電話があったと、夜中に会社から帰宅した主人からきき
医師から話があると言われて
夫婦で病院に飛んで行ったのは29日
父の病室には、ひとりの男性がつきそっていました。
父のゴルフ仲間とは明らかに年齢や風貌が違います。
父はゴルフ馬鹿で、サラリーマン時代からほぼ毎週ゴルフのラウンドをし
退職後は、平日、練習やラウンドでゴルフ三昧。
元会社の仲間とゴルフ会を作っていて、その仲間との付き合いは
古い方は入社以来40年以上の付き合いです。
その男性は、30代後半?坊主頭で、
失礼な言い方をすれば、エリートサラリーマンでもゴルフをやるようにも見えず
私の中にある、義父のお付き合いのある方の容姿とはまったく違っていました。
「失礼ですが、どちらさまですか」とお伺いしたところ
「Nと言います。
自分の父親が亡くなったt時に、〇〇さん(父)にお金を貸してもらって
すごく感謝しているので、自分が出来る限りお世話したいと思ってます」と
この人は敬語というものが使えないのかというほど
兵庫県西特有のひどいなまりで(神戸弁でもここまでの人会ったことがない)
ん?父がお金を貸した? と思ったもののそれは呑み込み
「どうもお世話になりまして」と挨拶すると
そのN氏は、せっかく家族の人が来たからと思われたのか
席を外してくれたので、父に
「いまの人なんです?」と聞いたところ
「ずっと通ってた東〇〇〇(地名)の床屋の息子さんで、親父さんは亡くなったんやけど
お母さんにも息子さんにもよくしてもらっている」と聞き
東〇〇〇の床屋! あのネズミの親か!
こんなとこまで来て気持ち悪い と
その時はまだ父のねずみ講の親としか認識してませんでした。
その後、担当医師との面談の時間となり
医師からは、
肝炎治療から肝臓がんが見つかった経緯や
急に12月末に腹水がたまった大きなお腹をかかえて病院にやってきて
入院となったこと。
末期の末期で今日明日死んでもおかしくなく
長くても1ヶ月は持たないことなどと同時に
父親が、おかしな宗教に傾倒していて
言動もおかしいこと。
今日に至るまでにあった経緯(6年前に1cmでみつかり、その後6cmになり)も
まるで覚えていない様子で
10月にスーパーで買い物していたら気分が悪くなり、それ以来体調が悪いと言う。
自分が病状について説明してもまったく理解を出来ていないようで
ご家族に来てもらったこと など
末期がんという衝撃の事実と言動がおかしい(この時は痴呆がきたのかと楽観していた)と
何がなんだかわからない状態でした。
そしてもっと恐ろしい事実、父がN氏に依存している?(のちに洗脳と気づいた)
医師からの話で
父には病院で治療するつもりは全くない
(とはいえ、そもそも末期で病院で治療することが何もない状態だったけど)
家に帰りたいと言っているから
これが最後だし、お正月は家で家族で過ごしていいということと
家で急変したら救急車をよんで病院に戻ってということ。
本人の希望通り今後、自宅療養しても構わないので往診で
最後まで看取ってくれる医師を紹介するが、年末でいますぐは紹介できないので
年明け一旦、病院にもどってもらい
もろもろ準備ができた時点で退院して家に帰ってもらって構わないと言うことでした。
そして年末、自宅に戻るにあたって
極度の貧血で輸血をしないと家には戻せない、ということと
この輸血で1ヶ月近くは持つけれど、
輸血をしたからと言って病気が回復する見込みないため、今後再度輸血をすることは出来ない。
(輸血用の血液は貴重なものであるので延命目的では使うつもりはないと言うことでした)
手術を受けなかった時点で
ガンを自然にうけいれて、元気なうちは好きにして暮らし
もういよいよとなったら延命治療をせずにこのまま死んでいくのが父の希望だろうと
私も主人も思ったので
もう治療は結構ですので、なるべく楽に最期を迎えられるようにお願いします と
医師にお願いしました。
誰もが治療は結構と思うのですが
実は父の考えは全く違っていたと知ったのは、お正月明けに転院してからでした…
主人が父に輸血の説明をし、同意書のサインするように伝えた後
二人でランチに行き、戻ってきたら
看護師さんに呼び止められました。
「同意書サインしないと言っています」
「さっきすると言ってました」
「いまどこか席外されてましたよね」
「ランチに行っていました」
「ご友人の方がナースステーションに来られて、輸血はやめてほしいと
自分の父親は輸血した後性格も変わってしまって輸血はしてはいけないと
言いに来られました」
「は?」
「ランチで席を外されている間にお父様を説得されたようですよ。
病院ではご家族以外の方に、病状を説明したり指示を受けたりは出来ないし
ましてこちらから連絡も出来ません。
このメモを渡されて、自分のところに何かあるときは連絡してほしいと
言われましたが、これはご家族にお返しします」
と、N氏の名前と連絡先を書いたメモを渡されました
怒った主人が
「すぐサインして持ってきますので」と
病室にいって
「はやくサインしろ、家に帰りたくないのか、家に帰るには輸血しないと帰れない」
先ほどまで輸血に同意していた父が
「やっぱり輸血は体に悪いし、血液錠剤を飲むのはどうだろう」と
えっ、あの男なんなん? 風貌や振る舞いも気持ち悪いのに
なに?
この時は、どうしてそこまで父がN氏に依存しているのか
なにもわからず
結局、主人の目の前で、渋りながらも父はサインし、
主人がすぐに同意書を看護師さんに持っていきました。
翌日、輸血して実家へ戻ってきました。
7月末に義母の命日に実家へ行き、ランチに行って以来
あの頃まだふっくらしていた顔は
骸骨のように痩せていて、お腹は臨月の妊婦さんより大きなお腹でした
家に戻ってもお腹が大きすぎて
まったく動けず、
食事や会話は全く問題ないものの一度座ると立ち上がることが出来ないため
座ったきりでした。
長男である主人と私は都内に勤めていて、主人の転勤で関西に戻って2年目。
毎年正月の帰省で1泊主人の実家に帰るだけで
そうすると義父に会うのも、
義母の葬式、法事も含めて昨年末までで合計30回会ったかなかったか
というほど、薄い関係でした。
まず私が気づいたことから
【肝臓がんの診断がでる】
インターフェロンの治療が効いて
肝炎から寛かいした(実際肝炎には「寛かい」と言うのは無いらしい)と父から聞いたのは
昨年夏に13回忌を終えた義母が亡くなって2年ほどの頃だったか
そうすると今から10年ほど前か
医師の話によると
一度肝炎になると寛かいというのはなく、肝硬変になったり肝臓がんになることが多いため
定期的に健診が必要であった、
実際父は2年ほどは半年に1回、必ず検診に来ていた。
(ということは、父は自分が肝臓がんになりやすい体だと知っていたはず)
それが急に検診に来なくなり、2年ほど空いた後ひっこり現れ
検査したら、1cmの肝臓がんがみつかった。
手術を勧めたが、そのあとまた音信がとだえた。
たぶん、最初に「肝臓がん」と告知されたのは 6年ほど前か?
【ねずみ講に嵌った】
お正月、いつものように年始のあいさつに行くと
洗剤、シャンプー、歯磨き粉、錠剤、ありとあらゆるものを紹介された
市販の洗剤や、歯磨き粉の恐ろしさ、いかに危険かを話だし
自然が由来のものを使わなければいけないと
たしかパンフレットももらったような気がする
(アムウェイ社のものではありませんでした)
父に聞くと、
「兄夫婦がそろって痴呆になり、自分はなりたくないので
気をつけようと思った」
「ずっと通っている東〇〇〇(地名)の散髪屋のおやじに勧められて」
「もし使って良かったら続けて使って、買うのは自分から買ってほしい
自分から買ってもらうと、自分のステージも上がるので」
これを聞いた途端、あーーこれはマルチだ、
ねずみ講のよくあるやつの1種だ
私は、買うつもりはなかったけど、
自然って言ってるから使って毒になるものでもないから
まぁどうせ無料だしと貰って帰った。
(もちろん効果なんてまったくわからず笑)
主人には、そんなもん、もらうなと怒られたけど
義父と接点もないし、持って帰るだけですごい喜んでもらえた。
その後も、正月に帰るたびに、持って帰ってと渡された。
この時に、きつく注意すればよかったんだろうけど
結局自分の中では、
・よその家のこと
・年金の範囲内で自分の分だけ買ってるなら問題ない
・健康に気を使っているならいいか
・そしてなにより地方とはいえ国立大学を出て
日本で有数の大企業の部長として世界中に自分の設計した機械を
送り込んでいるいわゆる元エリートサラリーマンで
決して道を踏み外すことは無い と親族であってもよく知らない人なのに
勝手に私は思い込んでいたのが一番大きかった
と認める形になってしまったことをとても後悔しています。
そして、これがただのマルチでなかったことに気付いたのは
今年の1月になってからという間抜けぶり。。。。
いまから思えば、癌になったからそちらに走ったのか
そっちに走ってから、癌になって、さらに傾倒したのか
どちらにしても、その頃から父は
こちら側から、あちら側の人間へ変わっていきました。
それからさらに数年後には
きっと何百万もして購入したであろう
電磁波?が流れるリクライニングチェア、
寝てる間ずっと電磁波?が流れるマットなど
高額商品も買っていました。
十分な退職金や、潤沢な企業年金という
典型的な団塊の世代なので、それも不思議には思いませんでした。
まさかそれがガンの治療として購入し
治療の一環として使用してたとは夢にも思っていませんでした。
長くても1ヶ月と言われた日から
1ヶ月半、2月の半ばを過ぎて、義父が亡くなりました。
この1ヶ月、私にとっては、人生で一番疲れた、もっともストレスのかかった1ヶ月。
父より私のほうが先に死ぬんじゃないかと思ったほどのストレスで
父が無くなる4日ほど前には
頭が痛すぎて、自分が脳梗塞とか顔面麻痺になってしまうんじゃないかと
かかりつけの整体の先生の所に病院帰りに飛び込んで
先生からも「首も頭も普段も酷いけど、この状態でよく我慢してる」とびっくりされ
「いままで背中はあまり張ってなかったのに、背中ががちがちで気を付けたほうがいい」と
なんでも、うつ病の人は背中が普通の人よりがちがちの人が多く
この状態だと自立神経が自分でコントロールできず
怒りっぽくなったり、悲しくなったりしてうつ病になりやすいから
まずは原因になってるストレスを取り除いたほうがいいと
今の状況を言い当てられて。
その2-3日は、本当に神経が張り詰めしすぎて
病院でも父を怒鳴ったことも1回や2回ではありませんでした。
自分の親ではないので、父が亡くなって心底ほっとしましました。
自分が死ぬより先に父が死んでくれた。。。
そして父が亡くなって、葬儀が終わった後は2日間くらい
昼間も夜も関係なく、ずっと寝続けてしまいました。
自分の覚えているうちに
つぎの被害者が出ないうちに
そして同じような状況の人の届きますように。
高度2万、事故に共通するその空域で彼らが見つけた秘密とは?
一方地上では、子供たちが海辺で不思議な生物を拾う。
大人と子供が見つけた2つの秘密が出会うとき、日本に、
人類に降りかかる前代未聞の奇妙な危機とは―
すべての本読みが胸躍らせる、未曾有のスペクタクルエンタテインメント。】
病院への通院時間が長いため、とにかく分厚い本を選んで借りてきました。
いつも有川浩作品を読んで、中高生向きだなぁを思いながら読むのですが
これも例外にもれず、中高生向きです。
正直、話もまったく面白くなく、正直言うとつまらない。
途中からはまったく興味すらなくなってしまい読破するのもやっとこ(笑)
「塩の街」「海の底」と自衛隊3部作らしく、そういえば昔「塩の街」は読んでいました。
登場人物が面倒くさい設定で、まず主役の2人、春名と武田が好きになれない。
反「白鯨」団体「セーブ・ザ・セーフ」の代表の女子高生白川真帆が
あまりにありえない設定でしらけたてしまった。
とはいえ、これは自分がこの本の適正年齢ではないからだと思う。
きっと高校生くらいに読むと、きゅんとしながら面白く読めたんだろうなぁとおもうと残念。
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だらだら、のんびり。主婦業もマイペースです。
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